富士見丘の高2の物理の授業を見学。中野先生と生徒の息と眼差しはぴったり一致していた。高校生は大学履修決定のように、92科目の科目から、選択する。自分の進路に、自ら科目選択をしてマッチングさせる。だから選択への意志もモチベーションも高い。
中野先生の物理の授業では、作用・反作用を通して力の概念を生徒と学んでいた。学習ツールは、
電子黒板
パソコン
iPad
台車
風船
ワークシート
眼差し
などなどであった。
ICTの活用がなかったら、眼差しはいつも生徒の方に向けられていただろう。黒板に向かっていても、まるでヤヌスの顔のように教師は後頭部からも眼差しの光をはなっている。常に生徒とアイコンタクトをとること、そしてスマイル。20世紀型教育の基本である。
もちろん、アイコンタクトやスマイルは大切であるが、四六時中そうなってくると、当然監視や操作性が強くなる。これが生徒のモチベーションを下げ、支配-被支配の同調圧力をつくってきた一要因であるといわれる。
ではどうするのか。生徒への眼差しを弱めると、うるさくなると心配されてきた。
ところが、中野先生は、iPadのカメラ機能を活用し、生徒と同じワークシートに、生徒といっしょに書き込みながら授業をする。授業の3分の1は、上記写真のように下を向いている。しかし、生徒のモチベーションは高い。
なぜだろう。それは、完全に教師と生徒の眼差しが、iPadと電子黒板の映像という「媒介」によって、シンクロしているからなのだ。見つめ合う、見守る、同じ目線でというのが20世紀型教育の教授法の道徳だった。
しかし、21世紀型授業を推進している中野先生は、眼差しを生徒と感覚という意味でもシンクロしてしまう。メタファでもなんでもなく、現実的感覚としてシンクロする。ヴァーチャルリアリティとはまさにこのことだった。
この写真のシーンも重要だ。20世紀型教育では、机間巡視が大事だと強調されてきた。しかし、これは実に反情報公開の雰囲気を醸し出す手法。ところが、中野先生は、個人との問答も、ワークシートを映し出しながら、そこでやりとりをするから、その問答過程が公開され、その場で共有される。
共有とは21世紀型教育のキーワードの一つであるが、ただ情報を受発信するだけでは、共有にはならないことはよく言われる。ではどうしたらよいのか。問答のプロセスを公開しシェアするところまでいかなくてはならない。それを中野先生は自然な雰囲気で実践されていた。
台車にのって、たがいに作用反作用の実験をする。すると、さすが女子校。体重の違いが大問題になる。仮説によると、同じ体重だと離れる距離は等価のはず。しかし、そうならない。そのとき体重が違うという議論にはならない。違う条件を見つけてくる。
台車の重さや、車輪の摩擦力の違い。中野先生は生徒たちのその何気ない意見を、科学的ものの見方や考え方の基礎だよとエンパワーメントする。この評価も実に21世紀型。
力の概念を、テキスト→数式という順番で、教え込む20世紀型授業ではなく、5つの感覚→統合→概念→数式へと、理解のプロセスを丁寧にたどっていく。
これは欧米の物理学の教授がたどる講義形式そのもの。つまり、中野先生の物理の授業は、学問の最前線を、プロトタイプにして中高生の授業に埋め込むという手法。本物の21世紀型教育とは教育と学問の境界を越境する事なのだと目から鱗だった。