八雲学園 感性教育「合唱コンクール」(1)

八雲学園の感性教育の象徴的な行事「合唱コンクール」が開催された。同学園の行事は、毎月のように行われるが、全学年が共通のアクティビティを行う行事は、おそらく合唱コンクールだろう。

それゆえ、全学年が高3生の姿をみて、「メンタルモデル」を強烈に共有できるという意味でも、八雲学園においては重要な教育プログラムである。感性教育の大きな結晶体としての「合唱コンクール」を取材した。by 本間勇人:私立学校研究家

合唱コンクールであれなんであれ、行事というのは実は組織作りであり、その運営である。したがって、その組織の性格によって、そこにかかわる人間が成長したりも、鬱屈したりもする。

一般に組織は、抑圧的で、メンバーを委縮させる存在としてバッシングされるケースが多いが、オーガナイズされない人間の営みはなく、そういう意味では組織のない人間社会はないといっても過言ではない。

学校選びとは、どういう知識形成組織を選ぶのかということでもある。20世紀型教育の組織は、ピラミッド型組織であるのが一般的で、官僚組織が貫徹しているのが普通だ。

ところが、私立学校は、公共性という意味では、日本という国の方針を尊重しつつも、普遍的原理につながった建学の精神に基づいた生徒の学びを形成する自由度が高い。

八雲学園は、その自由度を最大限に活かし、自ら困難な状況を切り拓き、互いに協力し合いながら、新しい世界観を創造していける女性を育てる組織である。

そのような女性を育てるのに、あれを覚えろ、これをやれといったコントロール型で、それに従属する受け身の人材が育つような組織は役に立たない。残念ながら20世紀型教育というとき、その教育を推進する学校組織は、そのようなコントロール型の組織であることも含まれる。

ところが、八雲学園はそのような組織とは無縁であるという意味で、21世紀型教育を創っている学校なのである。それを象徴するのが、合唱コンクールで教師も合唱するというアクションである。近藤校長もピアノを演奏し大いに歌う。

生徒にとって、毎年、色々な行事で行われる教師の挑戦は、織り込み済みのサプライズであるが、大いに盛り上がり、歓声あふれる中、先生方は懸命に合唱するのである。教師という仕事が多忙で極まりないことは、今ではニュースになるぐらいだが、八雲学園の教師の忙しさは、生半ではない。にもかかわらず、寸暇を惜しんで、練習もするのである。

なぜか?それが八雲学園の組織の性格なのである。というのは、生徒が勉強するのに、行事を運営するのに、忙しいからここまででよいと指導する教師は世の中にいない。それなのに、なぜ教師だけは忙しいと言って、ここまででよいと判断ができるのか。そう八雲学園の先生方は考えているのである。

つまり、八雲学園の組織とは、ビジョンやメンタルモデルは、教えるのではなく、共有するというスタイルなのである。子どもが歌うなら、教師も歌い、子どもがダンスするなら教師もダンスし、子どもが学ぶなら、教師も学ぶのである。

互いに共通体験する中で、ビジョンやメンタルモデルが伝播していくのである。このタイプの組織は、コミュニケーションが密である。だから、クラスや部単位でコミュニケーションは密だし、学年もそうだし、学校全体もそうだ。となると、クラスと学年と学校全体とを架け橋する存在が必要になる。それが「実行委員」である。

そして、その「実行委員」をサポートする教師の存在である。「感性教育」の極意は、このコミュニケーションの組織の質なのである。互いに通い合うコミュニケーションでなければ、創造性や感性は豊かにならない。この極意の結晶体が、チューター制度という八雲学園の教育の4本の柱の1つであるが、このコミュニケ―システムが隅々にまで共有されているのである。

このような学びの組織であるから、互いにコミュニケーションする中で、互いにアクションをし合う中で、強烈な気づきが生まれてくるのである。そして、それは行動力を生み出し、行動力は挑戦につながっていく。

今回も各クラスの「実行委員」は楽屋で運営に奔走していたが、互いに明るく話し合うシーンも多かった。コンクールであるから、グランプリを巡って互いにライバルであるから、そこはうちのクラスが優勝するとしのぎ合うが、全体としては成功してほしい、1つの大きなハーモニーを創りたいと協力の絆も強い。互いに尊重しながらもよきライバルであり、最後は全体が一丸となるというビジョンやメンタルモデルが共有されるには、八雲学園が学びの組織を構築しているからに他ならない。

 

 

 

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