プログラム終了15分前、一気呵成に通しで海辺のスポーツの演技を行った。午前中から練習してきたパーツとソロが物語のシークエンスの中にパタパタ織り込まれていく。そのスピード感、躍動感。テンションは一気に高まった。
怒涛のごとく
センターでソロでダンスをしていると思ったら、疾風怒濤のごとく背景を走り回るパフォーマンス。個と全体が一体となる瞬間。
演技の演技
ベースボールを演技し、その演技を見ている観衆の演技。視点が入れ子になっている。
完全自己開示
そしてすべてが終わった瞬間。「イエイ!」「完璧!」。自己完全開示。
実は物語の演技ではなった
完全に自己開示できた様子をみて、ハッと気づいたことがある。もしこの海辺のスポーツを3日後演技するとなると、すでにできたものを明日もまた繰り返すことになる。それは全体のモチベーションを持続できない。おそらく、今回の海辺のスポーツの演技の中には、他の物語を演じる時にも応用可能な演技の型があったのだろう。この型はこうだよと説明するのではなく、いきなり使ってみる。たとえば、ベースボールの演技を楽しみながら、別の内容を演技するステップや足のあげかたが同時にトレーニングされていたのだろう。
プラグマティックというか経験主義というか、米国流儀のプログラムだったのである。実はここにこそ佼成学園女子の「学びの転移」の奥義があったのである。ある内容を勉強しているとき、その内容について学ぶと同時に学び方も学んでいるのである。この学び方が、他の内容を学ぶときにも使われるのである。
1日目を終えて
プログラムが終了するや解散。一気に水分補給。一息ついたところで、感想を聞いてみた。すると、臆することなく、「ネイティブスピーカーと英語を話すのに慣れていましたが、歌あり、ダンスあり、演技あり、YAのサポートありで、新しいコミュニケーションのあり方を見つけました!」と。初日、自己開示は成功である。3日後のフィナーレを飾る演技は相当インパクトと感動の嵐を呼ぶに違いない。