東京女子学園 梅香祭 創造的才能の発揮(2)

東京女子学園のクリエイティビティの構造が「女学生の魂=創造性×近代化された日本の女性のセンス」となっているのではないかという想いは、ダンス部と筝曲部のパフォーマンスをみて、さらに深まった。

創造と伝統

ダンスは学習指導要領でも指定されている演技である。いわば現代の女性が身につける表現である。これに対し、筝曲は、日本の女性が身につけてきた演技である。

このように対照的に並べると、ダンスは生徒たちが創作するから、創造的で、筝曲は昔からの奏法を守り抜くから伝統であると思いたくなる。たしかに対照的ではあるが、それはそんな表面的な対照性ではなく、構造的な対照性なのである。

ダンス部は、全員でばかりではなく、中1は中1だけのユニットでもダンスに挑戦するチャンスがある。

しかし、先輩たちのユニットに比べると、当然ながら、ファッションや選曲、振り付けの差があるのは一目瞭然。ただ、それはそれでよいのである。デザインやパフォーマンスは、そうやって成長するのである。そして、その成長を逆に眺めれば、それが伝統になる。伝統の向こうに、棚橋絢子先生の女学生の魂が燃えているのが見える。

一方筝曲は、十七弦までつかった伝統的な楽器だし、服装も着物であるから、伝統がベースである。しかし、その響きは超弦さながらなのである。もののけ姫やルージュの伝言がなんて新鮮に聞こえてくることか!きちんと伝統にのっとりながら、現代化して創造を生み出していたのだった。

つまり、ダンス部は伝統を創りながら創造活動を行っているし、筝曲部は伝統を生かしながら創造活動を行っている。もちろん、筝曲部も先輩から後輩に伝えられることはあるが、圧倒的に伝統に先輩後輩関係なくともに学ぶところが多いのは、ダンスとは大きく異なるところだろう。ただ、いずれにしても対照的でありながら伝統と創造の両方を内なる魂に凝縮しているところは共通している。つま「り女学生の魂」がそこにはあり、それぞれの方法で表現しているのである。

華道は小原流 茶道は江戸千家

今回の取材には、リサーチャーとして永田修介氏(東京理科大学1年)が同行してくれた。イタリアのインターナショナルスクールに通っていて、大学は帰国生入試で進学した。氏が感動したものはたくさんあるが、その一つに華道と茶道という「道」のパフォーマンスがあった。

インターナショナルでは、文化祭のような行事はなかったために、「梅香祭」という行事そのものの存在に驚いていたが、日本文化が根付いていることに非常に興味を持っていたようだった。茶道もおてまえ体験までさせてもらい、「道」なるものに触れて感動している様子だった。

しかし、永田氏が感動したのには、日本文化を体験したということだけではなかったのである。実は、東京女子学園では、華道は小原流、茶道は江戸千家を選んでいたのである。どちらも、利休や池坊の伝統に由来するが、近代化・現代化という創意工夫をしている新しい流派なのである。どちらもその方法は、フラット化である。

一握りの限られた人しかできない「道」の作法ではなく、多くの人が参加できる創意工夫をしている。そういう意味では21世紀のフラット化に通じる動きである。小原流は、それまでの生け花が天地人という3点や3つの線で構成されていたデザインを、面で表現するようになった。面というのはパースペクティブの見える化。ここに創造性の見える化を生徒も共有できる学びの方法があるのだ。

また茶道も、7つの作法という標準化がなされている。7つのリズムは、学びのタキソノミーに相当する、道行きのレベル分けである。こうして生徒も自ら学び方をリフレクション出来るわけである。自分で自分の創造的才能を伸ばしていくことができるのである。

「道」もまた、東京女子学園では伝統を現代化に変換できる仕掛けになっている。この変換こそ、絢子先生の女学生イメージが今回のポスター像に変換できているのと同じ創造性であろう。

 

 

 

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