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八雲学園 イエール大学と感動のリベラルアーツ連携<了>

声楽部から始まった音楽による<empathy>は、glee部、軽音楽部、吹奏楽部へと進むにつれて、拡大しダイナミックに展開していった。八雲学園の豊かな音楽活動に改めて感動したが、イエール大学のWhimメンバーのジャンルを超えた音楽性に、あらゆることに好奇心を抱き、領域横断的に<empathy>を響かせる何か強靭な精神性を感じないわけにはいかなかった。

(軽音楽部とロックンロールで弾けた。)

イエール大学との国際音楽交流が始まってすぐにミュージカル部であるglee部が誕生した。最初の一年目は同好会だったが、あっという間にメンバーがあふれ、今では一大勢力の部活になった。そんなWhimと縁のあるglee部だからこそ、顔を合わせるや互いに通じ合うものがあった。

だから、glee部がもてなした曲は、“Dog Days are Over.”.。次の日国際音楽交流でWhimのメンバーがアカペラで歌う彼女たちの持ち歌である。インディー・ロックといって、大衆音楽に迎合しない独創的ロックンロール。オルタナティヴロックで、<Stranger>を<community>にというイエール大学のミッションに合っている。

しかし、日本の中高生でこのような歌に挑戦することはめったにないだろう。イエール大学との出会いがあったからこそだ。ロックなんだけれどクラッシック音楽のようなサウンドで、そんな気品のあるサウンドに日常はもう終わった自分はこれから変わるんだという恋の終焉のt次に立ち臨む生々しい内容が歌われているこの曲に挑戦するなんて!

この背伸びをしたglee部に対し、リスペクトの拍手を贈ったWhimメンバーだが、他の部との交流とは違ったテンションというか緊迫感があった。ただヒューヒューという拍手ではない。「その挑戦に受けて立つわ、ちょっとその歌は早いんじゃない、意欲は大いに認めるけれど、歌は正しく旋律をたどるだけではないの、マインドよ、インディペンデントな覚悟を表現しなきゃね」というような気持ちがその場に広がった。

そして、こう歌うのよとばかりWhimのメンバーは本気を見せた。glee部のメンバーは一瞬圧倒された。ギャップは歴然としていたからだ。しかし、もちろん、Whimのメンバーは、わかったわね、さあいっしょに歌いましょうと、恐縮しているglee部のメンバーを誘った。

glee部のメンバーは、憧れのWhimと共演できるなんてとこの機会を十分に活かそうといっしょに歌った。声だけではなく、全身で表現する見事なアカペラコーラスが展開したのだ。それには思わず近藤理事長・校長も拍手喝采。

そして、「一流は一流を育てるなあ」とボッソと。たしかに、Whimのメンバーはglee部の生徒に、やるじゃない、これからもがんばってとエールを贈っていた。

そして軽音楽部とは、アメリカでも日本でもメジャーな曲を共に歌い合い、大いに弾けた。

歌うってこんなに楽しいのよという変わり身振りに、驚いたが、glee部の時とは違って、すっかりリラックスしてのびのびと歌っていた。その様子が余計に、glee部は、Whimにとっても特別な思いがあることを浮き彫りにした。自分たちのマインドの継承者と認めたから、瞬間的に何かを伝えようとしたのだろう。そこには彼女たちがふだんトレーニングしているクリエイティブテンションがたしかにあったのだ。

そして、いよいよクライマックス。吹奏楽部との音楽交流だ。「美女と野獣」のメドレーでストーリーを奏でるその繊細でときに激しい美しい演奏に、感動を表現するWhimのメンバー。

迫力あるオーケストレーションは、映画のシーンをパッと思い浮かべるに十分だった。それゆえ、Whimのメンバーは、身体や床を打楽器として使い、すばらしいコーラスをお礼に贈った。

それにしても、どのチームと音楽交流をするかで、そのチームにピタリと合った曲を選ぶ様子を見て、ただ美しく歌えば<empathy>が生まれるわけではないということが了解できた。共感するにもディレクションが必要で、Whimにはディレクターの役割を果たすメンバーがちゃんといる。

このような国際音楽交流が可能なのは、Whimと八雲学園がそれぞれインディペンデントな組織力があってこそである。美しさの背景にあるしっかりとした組織。八雲生の学びの本質はこの組織マネジメントにもあったのだとしみじみ感じた取材でもあった。

八雲学園 イエール大学と感動のリベラルアーツ連携③

声楽部との合同練習のとき、<Stranger>から<Community>に移行する<Empathy>が目の前に広がった。イエール大学のWhimのミッションと八雲学園のウェルカムの精神が響き合った瞬間だった。

放課後、声楽部はWhimの学生をもてなした。まず、代表生徒が、ようこそ声楽部へ。明日一緒に歌うことができてワクワクしています。そして、先日私はイエール・ブック・アワードを頂きました。ありがとうございます」と挨拶するや、それはおめでとうと一斉に喜びの拍手が舞った。

もちろん、そのやりとりは英語で。昨年、その代表生徒は、ケルンで開催されたラウンドスクエアの総会に出席し、世界問題を議論してきただけでのことはある。今年はケープタウンに行くのだが、Whimのメンバーのツアースケジュールにもケープタウンの同じ学校に立ち寄る予定がある。当然、話は盛り上がった。

そして、すぐに明日のための合同練習が始まった。まずWhimメンバーが明日合唱する曲である「浜辺の歌」を歌った。楽譜も見ずに、日本語で見事に歌いきった。米国で相当練習してきたのだろうが、それにしても日本語をだれに教えてもらったのだろう。すると、榑松先生が「日本語の楽譜しかPDFで送っていないけれど、彼女たちの仲間に日本語ができる学生がいるのは当然だからね」と教えてくれた。たしかにそういうことかと思ったが、すごいことに変わりはない。

八雲生も驚いたし、果たして本当にいっしょに歌えるのかと喜びと不安のダブルバインドの雰囲気がサっーと広がった。しかし、まず互いにハーモニーの調整をしようということになった。なんと一瞬にしてハーモニーが共振した。不安はスーっと消えた。

そして、すぐに金子先生の指揮で、合唱。歌いながら八雲生が感動しているのが伝わってきた。しかし、金子先生は、日本語の発音を今一度確認するように指示。

イエール大学の学生が、素直に八雲生の指示に従って日本語の発音や意味を確認していく。八雲生のさっきまでの不安は、今度は自分たちにもイエールの学生に教えられることがあるのだと、自信に変わった。<Stranger>が<Community>にシフトした瞬間だ。

そして、再度合唱。なるほどさらに透明感が増した。たった2回いっしょに歌っただけだったが、金子先生はOKを出した。プロフェッショナル!と言う言葉が浮かんできた。

最後に八雲生が「桜」をWhimに贈った。すばらしい大和魂というか八雲魂の響きだった。

イエール大学の学生はうっとりと聞き入り、拍手を返礼した。そして、なんと自分たちも「桜」を練習してきたというのだ。

それは、紛れもなくイエール大学のWhimの「桜」だった。八雲生は、自分たちの「桜」との違いに驚き、すばらしいとリスペクトした。金子先生は、はじめ、八雲生だけが歌うつもりでいたが、同じ「桜」でもこんなに違うということは、何らかのメッセージとして明日共有したいと両者がそれぞれ歌うことにした。

ダイバーシティーが、<Stranger>から<Community>に変わるとは、同じ<hospes>というラテン語から生まれた<hospitarlity(もてなし)>と<hostility(敵意)>のうち、<hospitality>を選ぶという重要な意志決定を意味していたのだ。金子先生のメッセージには、八雲のウェルカムの精神の意味の深さを共有しようということだったと思う。まさにリベラルアーツの真骨頂である。

八雲学園 イエール大学と感動のリベラルアーツ連携②

Whimのメンバーと八雲生が、<stranger>から<community>に変容するにはどうしたらよいか。それは、もちろん、コミュニケーション。毎年、最初は日本文化や日本の食事をいっしょに体験する。しかし、今年は様子がかなり違ってた。

何が違っていたかというと、今ままでは、「英語」を媒介として相当レベルのコミュニケーションをする八雲生は限られていた。したがって、英語ではなく、書道、すごろくなどの日本のゲームを媒介にコミュニケーションをしてきた。

イエール大学の学生のすばらしいところは、日本のゲームを文化として楽しむ好奇心が旺盛なことだ。八雲生もウェルカムの精神で、相手が好奇心を持っている表情をしたら、それにきちんと呼応する表情で応じる。だから、場は和むし、「英語」はカタコトでも、共感することができた。

この「共感」=<エンパシー>が、イエール大学の学長ピーター・サロベイ教授が卒業式の演説で語ったもう一つのキーワードだった。ウェルカムの精神を大切にしてきた八雲学園にとって、イエール大学の学生とは出会うべくして出会う文化的な背景があったわけである。

ところが、今年は何が違ったかというと、「英語」でもきちんとコミュニケーションがとれるようになり、ユーモアのレトリックで互いに大笑いしたり、日本の文化の説明にイエール大学の学生が感動したりしていたのである。

近藤理事長・校長も自然に英語で、コミュニケーションの輪に入ってきて,場が盛り上がった。このようなシーンが、今までになく自然な雰囲気だったのだ。

思い返してみれば、イエール大学の学生との交流が契機となって、ミュージカル部「グリー部」が立ち上がった。菅原先生によると、今では最大規模の部活だそうである。

八雲といえば、もともと英語教育で有名なのだが、授業のみならず、学園生活全体が英語でコミュニケーションすることは当たり前になっていたのである。そして、毎年イエール大学の学生と交流するたびに、もっと自然に、もっとたくさん議論したいということになったというのである。

昼休み、中3の生徒とすれ違ったので、ちょっとインタビューしてみた。このような機会があることは何か意味があるのかとたずねると、「言葉ではいい尽くせないほど貴重な経験です。中1、中2のときは、先輩方の交流を見ているだけで、自分たちもいずれと思い、イングリッシュファンフェアとか英語劇などの英語でコミュニケーションする機会にチャンレンジしてきました。」

「でも、実際コミュニケーションしてみると、まだまだんだと思い知らされたし、ますます英語を学びたいという気持ちが溢れてきました。」

「高1になる前に、サンタバーバラに英語研修にでかけますから、そこでもう一度チャンレンジして、来年こそイエール大学の学生ときちんと英語で対話ができるようにするつもりです。」と実に彼女たちの脳内は神経物質がいっぱいにあふれていた。

そして、驚いたことに、3人とも口をそろえて、「高1になったら、6月からの3ヶ月留学に挑戦します。行けるかどうか選抜されるので、まずそこをクリアする挑戦をしなくてはなりませんが、3ヶ月留学に行った多くの先輩方が、対等にコミュニケーションしている姿を見て、あのぐらいにならなければ、英語で考えプレゼンできるとは言えないと思っています」と決意の熱い思いを聞いた。

<stranger>から<community>にシフトするには、共感=エンパシーが必要なのだが、それはこんなにもモチベーションや知的刺激を生み出すものなのだと感心した。なによりイエール大学の学生や先輩方の挑戦が憧れのロールモデルになるという効果は絶大ではないだろうか。

しかし、感動の渦は、放課後ますます大きくなるのだった。空手部の部員の練習風景を見に行ったイエール大学の学生は、目を丸くして驚いた。「ようこそ、八雲学園の空手部へ。2020年の東京オリンピック・パラリンピックで競技に選ばれた空手の型をご覧ください」と流ちょうな英語から始まった空手道場。

おそらくイエール大学の学生は、空気を切り裂く体の動きと気合の声の共演を見たことはなかったのではないか。今米国ではマインドフルネスをいっぱいに心にふくらませる瞑想が見直されているが、その「道」の1つにこのような武道もあるのだということに興味を抱いたに違いない。

空間と身体と声のエンパシーのアクティビティ。それは、アカペラのコーラスと形は違うが通じるものがあるのだと。エンパシーはいよいよ体感や言葉の意味の触れあいという具体的なものから、構造という抽象性の響き合いに移っていったのである。

八雲学園 イエール大学と感動のリベラルアーツ連携①

今年もイエール大学の女性コーラスチーム“Whim’s Rhythm(通称Whim)”が八雲学園を訪れた。もう5年目だ。Whimは、プロのチームではない。イエール大学の在学生で女性のみで構成されるチーム。
 
しかし、プロ顔負けのコーラスチームで、選抜された優れた人材が集まっている。優れているというのは、音楽の才能があるのは大前提で、それだけではなく、スポーツや学問、芸術など多様な潜在的才能の花を開かせる自分に挑戦し続けるマインドセットがなされているということを意味する。
 
つまり、豊かなリベラルアーツをイエール大学で学び優れた成績を収めているのだ。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
 
この時期、米国大学は卒業式の時期だ。今回ワールドツアーをしているWhimのメンバーも卒業したばかり。東京、神戸、香港、シドニー、オークランド、シンガポール、ケープタウン、バルセロナ、ブタペスト、ストックホルム、ダブリンと2か月間のツアー。日本の大学生でいう卒業旅行とは、そのスケールも意味も目的も全く違う。
 
国際バカロレア機構の世界の私立学校版であるラウンドスクエアの名誉会員(日本で1人)である榑松先生は、Whim歓迎式で、八雲学園の生徒に、イエール大学の学長ピーター・サロベイ教授の先日の卒業式の演説から言葉を引いて、その目的をこう説明した。
 
 
「学長は、卒業式の演説で、君たちは、入学時は互いに<ストレンジャー>だったと語っている。そして、この<ストレンジャー>は、宗教的にも文化人類学的にも心理学的にも国際政治的にも重要なキーワードで、現代のグローバルな越えがたい問題の1つにもかかわっていると。
 
人類は、いつも、この<ストレンジャー>を大切にしたり、排除したりしてきたのだ。しかし、イエール大学は、君たちが、はじめ互いに<ストレンジャー>であっても、4年間の間で、イエール大学のコミュニティの絆に結び付けられたように、<ストレンジャー>から<コミュニティの絆>に変化することを大切にしていると語る。
 
今日、Whimと八雲生は今のところ<ストレンジャー>だ。しかし、明日の音楽交流会にむけて、今日一日いっしょに準備をする中で、<ストレンジャー>から<コミュニティのつながり>になる体験を是非して欲し。それがイエール大学の理念であり、Whimのワールドツアーのミッションです」と。
 
イエール大学の学長ピーター・サロベイ教授といえば、「IQ」から「EQ」へ、能力のパラダイムを転換した理論的提唱者である。日本では、ダニエル・ゴールマンの著作でEQは有名になったが、もともとの理論的提唱者は、ピーター・サロベイ教授。
 
 
 
実はイエール大学の卒業式の演説で、EQの理論的提唱者が<ストレンジャー>から<コミュニティの絆>への変容について語ったことは、ものすごい意味があるのである。
 
というのも、いかにしてその変容が起こるのかということが肝心なのだが、それがEQに大いに関わることであり、リベラルアーツの根源的な意味に通じるのである。
 
 
(八雲学園のグローバル教育のスーパーバイザー榑松先生)
 
では、それは何か?それは、今回丸一日行われた多様なプログラム――日本文化や日本の食事、コーラス、ミュージカル、ロックンロール、空手、吹奏楽など――を一気通貫する意味でもあり、八雲生はそれを実によく体感したのである。
 
感動のリベラルアーツの高大連携というのが、今回のイエール大学との音楽交流のもう一つの意味だったのであるが、そのことについて、これからゆっくりと解き明かしていこう。
 

三田国際 未来を拓く「基礎ゼミナール」

三田国際学園中学校・高等学校(以降「三田国際」)の本科では、中2から週2時間「基礎ゼミナール」を実施している。「経営」「理論物理」「アプリ制作」「遺伝子工学」「細菌学」「言語記号論」というような学問的な背景が横たわっている探究テーマをPBLスタイルで研究していく。

今回、田中潤教頭の「経営」をテーマにした基礎ゼミナールの様子を拝見した。by 本間勇人 私立学校研究家

(文化祭という擬似市場で商品を販売する株式会社を創業する起業家プログラム。中3に社長・副社長がいて、中2・中3と協働して株式会社を運営していく。田中先生はコンサルタントさながら。)

1時間目、中3は、組織論やマーケティング理論をみっちり学び合い、2時間めに中2とともに会社を創っていく準備にはいる。文化祭では、出店する外部からの本物の会社がある。その会社は、いあわば競合他社ということになる。

文化祭に訪れる人々を消費者に見立てて、自分たちの会社の比較優位を計算していく。SWOT分析を田中先生が文化祭という擬似市場にアレンジしたマトリクス表を使って行っていく。マーケティング戦略をつくりあげていくのだ。

その際、中3メンバーは、組織論に基づいて、マネジメントしたりモチベーションを持続可能にしていったりする。何せ相手はプロフェッショナル。そこと競える会社を創るにはどうしたらよいのか。強みや弱み、機会や脅威を分析していく。

経営企画会議よろしく、グループディスカッションをしている間に、他の基礎ゼミも案内して頂いた。どの教室も「好奇心」「開放的精神」「批判的精神」がさく裂していた。あのファインマン教授が、科学者としての才能の3要素と語ったものであるが、まさに小さな研究者の頭脳が躍動していた。

理論物理の基礎ゼミナールでは、ベナール・セルと呼ばれる渦をつくる対流を観察していたが、田中先生のゼミの生徒がこの姿を見たら、組織論として散逸構造をどのように活用するか越境的想像を膨らますだろうなあと、この基礎ゼミの無限の可能性を感じ、見ている側もワクワク興奮した。

アプリを創ったり、プログラミングしている中2の生徒とかもいて、すぐにもエンジニアになれるのではないかとその才能の可能性に驚きもした。

生物の教室では、生命科学の研究をしている生徒たち、言語記号論では絵文字の言語学的アプローチをしたりして、現代コミュニケーション論を組み立てていた。

ちらっと見学しただけでも刺激的だったが、一年間1つのテーマを追究していく生徒たちが知的にも感性的にも大きく成長するのは火を見るよりも明らかだった。目の前に希望のスペースがパッと広がった。

後ろ髪をひかれつつも、田中ゼミに戻ってみると、白熱議論が起きていた。

「機会」と「脅威」は、実は分けにくい。表裏一体で、機会は常に脅威になるし、脅威は機会をつくるなど、マーケティングのダイナミズムについて、直観的なのだろうが、なかなかセンスのよい議論していた。そして、私たち大人は、今まで中高生をあまりにも決められた枠の中に押し込めてきたのではないか、もっと中高生の発想の自由を、三田国際のように大切にしたほうがよいのではないかと改めて思いもした。

中間報告のプレゼンも、大人顔負けの指摘が多々あった。たとえば、消費者を抽象的に捉えずに、人脈分析をして、セグメントまでしていたし、競合他社とのブランド力の差や立地条件の差異などを分析し、そこをどのように解決すべきかあるいは意志決定すべきか課題を明らかにしていた。

グループワークの合間に、田中先生に、企業活動が、リーマンショックに代表される欲望の資本主義の常であるリスキーなものを生み側面もあることについて、今回議論するのですかと尋ねてみると、もちろん会社を創業する時の理念を決めますが、そこで、社会と自分たちの幸福についての均衡をどうするか当然議論が生まれますと話してくれた。

この基礎ゼミナールで、生徒は会社を創業し、運営し、利益をきちんとあげ、決算報告や社会貢献まで考案し体験していく。田中先生によると、実際に社長や会計士にもきてもらい、アドバイスをしてもらうチャンスも作っていくという。

起業家プログラムというと、外部のプログラムに丸投げのところが多いが、田中先生は、すでにある学校の環境や、自分たちのネットワークを、市場経済の環境に見立てて、コンパクトにブリコラージュ的手法で作っていく方が学びの効果があると語る。

砂漠に放りなげられた時、身の回りにあるものを、サバイバルのための道具に仕立てる柔軟な野生の思考こそが、たとえ第4次産業革命になったとしても、いややはり予測不能な社会という点では砂漠と同じで、そこでサバイブするには、柔軟で創造的なブリコラージュ的思考が役に立つことは間違いない。田中教頭の英語圏の発想にはないフランス―ドイツ的な学問発想が、三田国際学園のインターナショナルな教育の奥行きを深くしているのだろう。

工学院 さらなる挑戦

工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)は、21世紀型教育を完成するべくさらなる挑戦に取り組んでいる。それは、2020年大学入試改革で予想される大学入試問題の研究を通して、そこから越境する知の領域に拡大する授業のGrowth Mindsetに取り組むという教育活動。

21世紀型教育というと、巷では、多様な経験を積み上げ、創造的な活動をすることが第一の目的で、大学合格実績は二の次であるという間違ったイメージがある。それは全く違う。そのような考え方は学校や教師の立場の話であって、先鋭的な21世紀型教育はあくまで生徒の未来の生き方の可能性をいまここで共に考え、関門を乗り越えていくというところにある。その生きていく道に大学進学があれば、当然そこを突破する。

ただし、そのとき、21世紀型教育は21世紀型教育、大学進学指導は大学進学指導と二項対立にはもっていかない。両方を融合するというのではなく、両者は1つのシステムに収まるのである。by 本間勇人 私立学校研究家

2020年大学入試改革で、今メディアで話題になっているのは、大学センター入試に替る新テスト「大学入学共通テスト(仮称)」(これまで「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」と呼ばれてきたテスト)。特に英語4技能教育と記述式問題。しかし、工学院では、この点に関してはすでにカバーしているから、やはり最終関門である各大学個別入試を素材にして研究に臨んでいる。

とはいえ、2020年になっていないのであるから、各大学個別入試はまだない。しかし、従来の知識論理型思考をベースにした問題から論理創造型問題になるのはある程度想定済みであるから、現状すでに実験的に変わり始めている国立大学の問題をヒントにして研究していこうという試みである。

たとえば、今年の東大の数学の問題を、その場で、数学科の主任が解きながら、生徒にとって何がハードルか分析していく。そして、プロジェクトチームのメンバーが、教科を超えて質問していく。この数学の問題のどこに新たな地平が開かれるヒントがあるのかと。

すると、東大受験の生徒は体験してきただろうが、そうでない生徒はあまり体験しないで、大学に進んでいくということが判明していく。東大を受けるからそのような思考方法が必要で、そうでない生徒は不要というのが、20世紀型教育の効率重視の授業デザインだっただろう。

ところが、数学は公式やパターンを当てはめながら解けばよいのではなく、ある程度与えられた条件を整理しながら、なぜこの条件なのか予想する目検討の構えが必要であるということは、実は数学に限らず必要なことだという議論がでてくる。奥津高校教務主任は、それはバックキャスティングという発想で、数学をはじめとする教科だけではなく、イベントの企画を創るときにも必要な力だと語る。

その点に関しては、教科の違うメンバーで構成されたグループワークで議論しながら抽出していく。東大の数学の問題にフォーカスしながら、その背景にある思考スキルや発想という思考の領域に越境していく。

数学の教師としては、そんなのは当たり前であると通過してしまうようなところで、他教科の教師が、今の代入はなぜ生徒はしようと思うのか?パターンを当てはめるだけではないという判断はなぜできるのか?結局数学の思考スキルは1つの種類のバリエーションということなのか?国語でもそのスキルは実は重要だが、もう少し種類はあるかななど、数学科の教師の暗黙知を引き出していく議論が白熱する。

そして、東大の問題が解けるようになるにはというお題ではなく、素材として扱った東大の問題から見出した突破する思考スキルやコンピテンシー、発想法を身に着けるには、中1・中2のときに各教科でどんな授業をデザインしていくのか、中3・高1ではどうするのか、高2・高3ではどうするのかと6年間通じてのカリキュラムコンセプトのデザインをしていく。

このプロジェクト名は「qチーム(クエストチーム)」。中学の教科主任、高校の教科主任、各教科のリーダーで構成されている。各教科に浸透させていくと同時に、高校では、ダイレクトにこのような入試問題をトリガーとして展開させていく授業の場面も増えていく。

このqチームの探究活動で、素材としての大学入試問題を選択する太田中学教務主任、奥津高校教務主任、田中英語科主任は、「難度」で選択しているのではなく、「思考コード」に照らし合わせて「論理創造型思考を要する問題」、「ルビンの壺型問い」が埋め込まれている問題を探し出す。素材としての大学入試問題の選別眼は、実は問いを創るときの視点と重なる極めて重要な研究でもある。

 

静岡聖光学院 新草創期の息吹

風かおる東の道のたたなわる小高き丘になつかしく学び舎は立つ。静岡聖光学院は、南に太平洋を望み、北に富士山を仰ぐ、澄み切った空気に包まれる丘の上にある学校。雨が降り、霧が立ち込めれば、天空の城ラピュタさながらだとも言われている。
 
来年2018年、静岡聖光学院は、中学校設置認可されてから50年が過ぎようとしている。学内では、周年事業の一環として、ハードパワーではなく、教育のソフトパワーのさらなる進化/深化を追究することに決めた。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
(左から、星野明宏副校長、岡村壽夫校長、田代正樹副教頭)
 
それは、開設当初ひたすら学問の自由を追究したアカデミアの殿堂を引き継ぐことも意味する。開設当時、最先端の教育ソフトを実践し、生徒の未来をともに創ってきた草創期の息吹を、50年目、再びもっともっとふくらますというのだ。
 
開設当初の教育ソフトとは、「学問」そのものであった。当時の初等中等教育の学習指導要領は「現代化カリキュラム」と呼ばれ、スプートニク・ショックという衝撃が生み出した宇宙をも視野に入れた科学の最前線を生徒と共有しようという時代だった。
 
 
(身近な問題から、合意形成のルールを抽出するPBL型授業)
 
現代数学や最新の科学の内容が盛り込まれ、時間数も、脱ゆとりの学習指導要領と比べても16%も多かった。それゆえ、その濃密過密の反動として、ゆとり教育への路線を開いたのも確かだったが、初代のピエール・ロバート校長は、学習指導要領の量を問題にするのではなく、その背景にある時代の精神を引き受けた。
 
それは、目の前の生徒にとって未来を拓くカギは、学問や科学であり、「聖光 聖光よ望み湧き わが命拠る アカデミア」と聖光讃歌にあるように、未来を創り社会に貢献するには、大学で研究ができるアカデミアという学問の道を説くことなのだと。当時の大学進学率が20%いかなかったことを鑑みれば、いかに斬新な教育だったか了解できる。
 
 
(自然科学の知識や用語を、英語で調べ直す作業も)
 
岡村壽夫校長は、母校静岡聖光学院の2期生であるが、開設当初から、自分の好きなことにチャンレンジする気風があったと語る。チャンレンジには失敗がつきものであるが、大いに試行錯誤が奨励されたという。それは、教師も生徒も同様で、したがって、教師は専門教科以外に自分の好きな領域についても生徒といっしょに探究してきた伝統があると。
 
そして、50年。同校にとって、歴史を積み上げてきた記念碑的な数字であるが、同時に時代は、第4次産業革命の衝撃、人工知能のシンギュラリティショックという異次元の局面にぶつかっている。
 
 
(英語のスピーチをペアワークで)
 
アカデミアへの強い意志は、新たな科学、技術、エンジニアリング、数学、哲学などへ再び挑戦する時を迎えたのである。
 
星野明宏副校長は、「この大きな時代のウネリに立ち臨むには、小手先の改革改善では歯が立たない。あたかも新しい静岡聖光学院をもう一校創り出す新草創期の気概で行動しなければなりません。幸い学問への気風の伝統があります。それを引き継ぎながら、新たな学問環境に備える最先端の教育ソフトパワーを展開する50周年にするべく動き始めたのです」と気概に満ちている。
 
そして、そのアイデアは、「アカデミア部」という新たなプロジェクト部署を立ち上げてすでに実践が始まっている。
 
その中核メンバーである田代正樹副教頭によると、アカデミアの活動として「個人研究」「職業体験プログラム」「ゼミナール活動」など多様な探究活動が進化/深化しているということだ。特に、50年という歳月は、OBの中に東大や京大の教授も輩出し、後輩である在校生と学問研究プログラムの協働活動も進んでいるという。
 
たしかに、大学の学問も再構築される時代である。中高もその動きに対応するには、学びの環境そのものを進化させる必要がある。そして、同校のアカデミア活動を支える生徒一人ひとりの好奇心、開放的精神、探求への眼差しという内発的動機づけは、日々の授業が源泉となる。
 
 
(素数のルールについて対話している数学授業のシーン)
 
静岡聖光学院が探究授業としてのPBLやC1英語教育、ICT教育を大胆に授業でスタートした理由は、以上のような50周年記念事業を機に描いた教育ソフトパワーの大きなグランドデザインに根差していたのである。
 
 
(授業中は、静かに生徒を見守る人工芝)
 

アサンプション国際 校長哲学教室 さらに進化/深化

今年4月からアサンプション国際は、共学化、校名変更、21世紀型教育改革という大転換を果たした。すでにご紹介したイマージョン教育やPBLの授業も、速くも広がり深くなり始めている。
 
そんな中、同校の改革のエッセンスすべてが凝縮しているのが、江川校長哲学教室である。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
 
というのも、前年度行っていた校長哲学教室は、すべて女子生徒だったが、今回からは男子も共に参加して行えるようになっているし、学びのスタイルは、PIL×PBLであるし、プログラム最後の振り返りで自分を語るときは英語で表現するからである。
 
また、学びの空間も、ICT環境が完備しているフューチャー・ルームで行われた。そもそも、この哲学教室そのものが、リベラルアーツの現代化なのである。なぜ現代化であるかというと、哲学教室というと、プラトンからカントくらいまでの哲学者の考え方が基礎になるのが一般的である。
 
 
(まずはアイスブレイク。共感的コミュニケーションの足場作り)
 
しかし、アサンプション国際の哲学教室は、現代思想や心理学、社会学など学際的だし、扱う素材もアンチ専門分野主義で、新しい知の地平、つまり要素還元主義から関係総体主義へというパラダイム転換を基礎とした21世紀型教育の哲学がベースである。
 
今回も素材は、「ルビンの壺」「ドーナツとマグカップ」「グローバルゴールズ」。これらが一体どんな関係にあるのか?なぜ「ルビンの壺」と「ドーナツとマグカップ」が「グローバルゴールズ」に関係するのか?
 
モヤ感あふれる出る分かち合いとなったが、江川校長とアルベール先生のファシリテーションとフィードバックで、生徒は、偏った見方や先入観から解放されるGrowth Mindsetがまず必要なのだということにだんだん気づいていくことになった。
 
 
ルビンの壺の絵を見て、壺に見えたり、波に見えたり、ベルに見えたり、二人の向き合っている顔に見えたり、いろいろでてきた。しかし、江川校長がどうしてそのように見えるのか問うことにより、何に注目するかによって、その時の気分や感情によって、違うとか、経験に照らし合わせて見えてくるが、その経験が人によって違うから、それぞれ違うのでは?とか多様なアイデアがでた。
 
哲学教室では、正解を出すのが目的ではないから、ルビンの壺の関係総体主義的な考え方については、説明することはない。それは、生徒自身が何かの局面で、はたと思いつくことだから、それでよいのだと江川校長。実際、今プログラムの途中で、生徒は気づくことになる。
 
ドーナツとマグカップについては、これ以外にどう考えればよいのかわからない、いったい何を問いかけているのかわからないと生徒たちは口々に語った。そこで、インターネットでNHKのアーカイブ「トポロジー」をいっしょに見ることにした。
 
 
見終えたとき、生徒たちの驚きの表情は想像するに難くないだろう。分かち合いスタイルなので、一人ひとり感じたこと気づいたことを順番に語っていくが、参加者全員が、ものの見方や考え方のコペルニクス的転回に到ったのは言うまでもない。
 
穴の数で、図形をカテゴライズするとは?硬い幾何学の世界に自分たちはいるが、柔らかい幾何学の世界もあるのかあ?と。しかも、このトポロジー的発想が、新物質を創るときに、すでに役に立っていたり、宇宙のカタチを考える時に役に立つなんてと、角度を変えてみると、先入観が崩れるという実感に、感動する生徒もいたし、どこかまやかしがあるのではとクリティカルシンキングを発動させる生徒もいたり、知と感情の合力が生まれていた。
 
 
そして、「ところで」と江川校長哲学教室のストーリーはいいよいよ「転」の局面に到った。「みなさんが学んでいるグローバルゴールズの中に男女の差別をなくそうというのがあるが、ジェンダーギャップが激しい例としてアフリカが話題にのぼることが多い。ジェンダーギャップについて、日本と比べるとどんな状態だろう、予想してみよう」と新しい問いが投げられた。
 
全体的にアフリカの方が日本より男女格差は激しいのではないかという仮説が多かった。中には、日本も項目によっては、低いかもしれないが、それでもまだ男女格差は改善されつつあるのではないかというのもあった。
 
そこで、世界ランキングンの一覧表が配布され、見てみると日本は111位ととても低かった。項目によって違うから、各国の状況の違いを無視できないが、それにしてもなんて自分たちは、もっと考え直さねばならない。憶測だけではなく、情報やデータを収集することの必要性を強く感じたと生徒は語っていた。
 
 
こうして、最終問題は、グローバルゴールズを達成するために、先入観から解放されなければならい具体的なケースにはどういうものがあるか、チームで議論して、まとめてほしいというものだった。
 
各チームがプレゼンを終えるたびに、教育社会学者でもあるアルベール先生は、生徒とクリティカルシンキングの対話を深めた。
 
たとえば、ジェンダーギャップと教育の質は関係ないと思っていたが、データを見ると関係があるように思える。教育の質を上げれば、よい仕事につけるから、男女の格差は縮小するのではないかと生徒がプレゼンすると、アルベール先生は、たしかにそれは正しいけれど、教育の質を上げて、よい仕事につけたとしても、インドのようにそういう人材がアメリカなどに移住すると、インド社会そのものは善くならないというようなパラドクスも起こる。さてどうするのだと。
 
 
生徒は、あっ、ルビンの壺だと。1つのことだけ見ていて、そのほかの関係性を考えていなかったと。もっと、視野を広くして考えてみなくてはと。
 
最後のリフレクションでは、日本語だとたくさん言えるのに、英語だと限られる、もっと英語を勉強しなくてはとなり、江川校長は、そう気づいたのなら頑張れるねと、クリエイティブコーチングも見事に果たしていた。
 
 
アルベール先生は、これが言語の世界が思考の限界。もどかしさが、Growth Mindsetを生む善き欲望ですねと私の方を向いて目で語っていた。あの微笑が印象深かった。
 
身近なものが、あるいは関係ないと思っていたものが、世界の痛みと強く関係する根本問題にいたり、そこから自分は何をすべきか、自分の才能を引き出し、キャラクターをデザインしていく生徒。アサンプション国際のミッションは今まさに実現しようとしている。
 
 

富士見丘 SGHプログラム4年目に突入

富士見丘学園は、SGH(スーパーグローバルハイスクール)のプログラムを実施して、4年目を迎える。この間に、多くの輝かしい実績を積み上げてきたし、模擬国連部の活躍に代表されるようなSGH以外のグローバルな教育活動も広がった。

そしてまた、今年も新高1のSGHプログラムが、心優しくもパワフルに始まった。by 本間勇人 私立学校研究家

(昨年、釜石フィールドワークを通して「環境とライフスタイル」を探究した新高2生の新高1生に向けたガイダンスシーン。ユーモアもあり探求へのモチベーションを共有。)

 SGHプログラムは、高1では「サスティナビリティ基礎」という授業と「釜石フィールドワーク」を通して、持続可能な社会を創造するにはいかにしたら可能かを探究していく。高2になると、フィールドワークがシンガポール、マレーシア、台湾とグローバルな拠点に拡張する。慶応大学や上智大学などの高大連携プログラムも展開する。

したがって、高1時代に、調べるスキル、コミュニケーションスキル、論文編集スキル、インタビュースキル、プレゼンスキル、クリティカルシンキングなどアカデミックな探究の基礎を学ぶ必要がある。

(昨年の慶應義塾大学SFCの大川研究室との高大連携プログラム。スカイプで海外の高校生と協働企画について議論しているシーン。)

そのスキルを釜石フィールドワークを通して鍛えながら、その探究のまとめのレポートやプレゼンテーションが成果物となる。新高2生は、自分たちが学んできた内容やそこに到るまでのさまざまな苦労や気づきについて語り、SGHとは何かガイダンスを行った。

新高1生は、内進生と高校から入学してくる生徒が共存しているから、4月スタートしたばかりでのガイダンスは、どちらの生徒にとっても新しい探究活動を共に行っていくというというのはアイデンティティ形成にとっても大事な行事。

したがって、このようなガイダンスの集まりを仲間にエールをおくり、プライドと自信を共有する機会とするのも忘れないのが高1の学年主任の遠藤先生。スポーツや芸術活動で活躍している生徒の自己紹介の場を集会に瞬間的に織り込んだ。

自己紹介を終えて席についた生徒が周りの生徒とハイタッチしている雰囲気は、富士見丘学園が大切にしている心である「忠恕」という互いに尊重し、受け入れ、高め合う精神が浸透している証しでもあった。

こうして、また富士見丘のSGHの新たなステージは始まった。新高1生は、10月の釜石フィールドに向けて、サスティナビリティ基礎という授業で、知の準備を行っていく。

(昨年の高2のシンガポールフィールドワークを通してまとめあげた探究のプレゼンシーン。)

1年後、この新高1生が、様々な賞を受賞し、大学の教授陣が息をのむプレゼンを行うように成長しているだろう。このように、先輩が自分の経験値を後輩に伝えていく心優しい絆は、同時に毎年パワフルなグローバルな知を生んでいく。

それは富士見丘の教育自体を大きく変容させる力にもなろう。

香里ヌヴェール学院 モヤ感が深い学びを生む

2017年4月、香里ヌヴェール学院は、校名変更、共学化を果たし、21世紀型教育改革を立ち上げた。学院長石川一郎先生は、2冊の教育関連書籍を出版し、全国各地から講演依頼を受けている21世紀型教育改革の旗手である。

そして、4月24日、NHKのEテレ「テストの花道 ニューベンゼミ」に出演。正解が1つではない2020年大学入試に頻出されるはずの問題の案内人としてゲスト出演したのだ。番組の中で、そのような典型問題として、2017年中学入試で同学院が出題した「思考力入試問題」も紹介した。

この「思考力入試問題」こそ、香里ヌヴェール学院の人気を生み出した奥義でもある。by 本間勇人 私立学校研究家

 

(香里ヌヴェール学院は、PBL型授業研修と思考力入試問題作成プロジェクトの活動が、毎月のように開かれている。)

同校にとって、思考力入試問題は、21世紀型教育改革のアドミッションポリシーのシンボル的存在。カリキュラムポリシーの柱の1つにPBL(プロジェクト学習)型授業があるため、そのエッセンスを問題に反映させている。PBLとは、生徒が「主体的・対話的で深い学び」を促進できるように、深イイ問題が投げられる。正解が1つではないから、最初はモヤ感満載なのだが、そこを仲間とワイガヤで議論したり調べたりフィールドワークに出かけしながら、新たな問いに気づく。

そのとき生徒は、あのアハ体験をする。なるほど!そっかあ!というモヤ感の霧の中に一条の光を見出すのだ。やがて、新たな問題を解決しようとわくわくしてくる。そして、最優的にもくもく(黙々)探究の道へと没頭していく。

このような渦がだんだんと周りの知やネットワークを巻き込み、探究活動は広く深くなっていく。こんな知の道を、「思考力入試問題」で体験し、共感する生徒に入学してきてほしいというメッセージが込められている。

(思考を広げ深めるときに、マインドマップやベン図など「思考ツール」もフンダンに使う。中1の国語。)

そのアドミッションポリシーに映し出されているカリキュラムポリシーの象徴的存在は、中1のヌヴェール科や高1の探究ゼミ。見学しに訪れたときは、高1の探究ゼミが行われていた。

探究ゼミでは、ディベートや修学旅行のプロデュース、未来都市企画提案などクリティカルシンキングとクリエイティブシンキングをフル活用して、プロダクトをきちんと生産する探究活動を年間通じて行っていく。まさに本格的なPBL。チームでディスカッションする学びのスタイルは基本。

PBLのもう一つの特徴は、教師と生徒が共に学ぶという対話型。実は論理的に議論しいく際に、そのベースになるのは、合理的思考スキルより前に、互いに自由を承認するできる相互尊重の状態。絆がちゃんとないと話し合うことなどそもそもできない。教える教わるの関係には、ネットワークの相互尊重の絆が形成できないのだ。

探究ゼミでは、思考の成長も重視しているが、このように互いに尊重して協働作業ができる仲間作りのプログラムも仕掛けている。正解が1つではない問いを投げるのは、深い学びができるようにすることも目的だが、正解が1つではないからこそ、互いに刺激し合い、多くの気づきが生まれるからだ。実際、授業の振り返りにおいて、多くの感じ方考え方に新鮮な感覚を抱く生徒が多い。

そして、講義形式ではなく個性尊重と同時に協働スタイルで行うということを、生徒と共有するために、まずは学びにダイブしようというわけで、香里園は都会か田舎か?都会派と田舎派に分かれてディベートを行うことになった。作戦を立てるためにディスカッションは大いに盛り上がる探究ゼミとなった。

(高1の英語の授業もPBL型授業)

しかし、生徒にとって最も時間を費やす学園生活は各教科の授業である。そのため、この探究ゼミのようなPBL型授業をさらに凝縮して普段の授業にも実践していくというのが21世紀型教育改革。たとえば、モヤ感やわくわく感を内燃させる工夫として、高1の英語では、自己紹介の英語プレゼンテーションを行っていた。自分のことについて思いを巡らすことは、誰でも最も関心が高いことだからである。

語りたいというモチベーションが英語という言語能力を高めるのは、すでに多くの人によって実証されている。

また、“If could Fly”という英語の歌に耳を傾け、その歌詞の解釈や物語の構造についてディスカッションするシーンもあった。夢や恋について語り合うのは青春時代の特権。Growth Mindsetができあがるのだが、もちろん、この過程で仮定法を学んでいくのである。

(中1の英語は、ダイナミックイマージョン教育。)

中1の英語もインパクトがあった。いきなり20分間教師が英語でしゃべりまくった。生徒は、いったい何が起こったのか驚きモヤ感満載。それでもとにかく聞き取ろうとした。先生がしゃべり終えた後、いったい私は何を語ったのかと問うた。すると、生徒はクラスの知を結集して、こういったんじゃないかああいったんじゃにかとワイガヤになった。

先生の狙い通り。わからないなんて関係ないということに、生徒は気づいたのだ。おそれずに、まずは英語の海にダイブしようと。その後英語の歌に合わせてリズムをとったり、ゲームをしたりしながら、英語を学んだ。

英語のPBL型授業は、中学の初回の授業から、「英語を学ぶ×英語で学ぶ」というダイナミックなイマージョンの授業にたった。

かくして、香里ヌヴェール学院は、教師も学び生徒も学ぶPBL型授業が全面展開となった。石川学院長のもと、モヤ感から深い探究への道を歩むことになった。なるほど「テストの花道」のプロデューサ―とシンクロするはずである。道を究める者どうしということであろう。そして、NHKという媒体と石川一郎先生の書籍と同校の教育活動が、子どもにとって何が大切かその種を運ぶことになろう。大いに期待したい。

 

 

 

 

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