工学院 1人ひとりの物語(3)

世界を救う拠点を求めて ラノベから純文学に 東京からクアラルンプールに

橋本紡ぐさんは、読者の反応によっても、小説家になった幸せを実感したという。月に300通以上のファンレターから、自分の言葉が多くの人の人生のヒントになっていることが伝わってきた。サイン会の時に、自分の本を媒介にして語り合っているうちにカップルになった話を聞いて、読者に愛されていることも実感できた。

しかし、その幸せは長く続かなかった。自分の愛する人のために小さな日常で、リスクをとりながら、幸せをつくるために生きる。その身近なことを丁寧に描くことにこだわってきた。だが、それはほんわかとした、それでいいんだよというメッセージを書くこととは違う。

たしかに、世界の問題がどうであれ、自分の世界が幸せであれば、それでよいというスタンスで書いてきた。その自分の世界を丁寧に描くことが、読者の人生のヒントになればよいと思っていた。

ところが、結婚し、愛する妻の幸せを思ったとき、子どもの誕生を望んだ。この幸せを自分がこの世を去ったのちも、持続するには、新しい家族をつくらねばならないと。

すると、再び人生は一転した。なんて日本社会は子供を、そして子供を育てる親をリスペクトしないのか。その現実が立ちはだかった。世界の問題に、社会の問題に立ち臨む運命が顕れたのである。

自分の小説では、世界の問題に背を向けて、小さな自分の世界を守っていればよかったと思っていたが、それができないことに気づいた。そこで、テーマを世界や社会の問題に広げ、訴え続けた。

結果、自分の小説が売れなくなった。編集者には、以前のようにほんわかしたストーリーに戻してはどうかと何度も提案された。

たしかに、それが売れるのだろう。だから、今やそのような種類の小説ばかりが世に出て、問題の解決は先送りされる社会をどうすることもできない。問題を解決するのではなく、ただただ時間を消費させるばかりの作品を世に出している今の出版界にとどまることは、そう予定調和なのだ。

暗闇に突っ込むのは怖くない。とどまることのほうが怖い。ならば新しい動きをと、日本の社会から脱出することに決めた。アジアを回りながら、クアラルンプールに住むことに決めた。

そこは多民族で、イギリス人もドイツ人も住んでいる。バスの中で、子どもが泣いても、うるさいと言わない。むしろみんなよってたかって、子どもの世話をしてくれる。乳母車は邪魔だ電車から降りろなどと怒鳴る人などまったくいない。子どもは私たち人類の贈り物なのだ。その贈り物を大切にしている親をみんなで助け合うのは自然の摂理だという考え方が浸透している。

そこから眺めたら、日本は少子高齢化対策だとか、子育て支援だとか言いながら、子どもを支える社会のシステムができていないことがよくわかる。それは子どもだけではなく、大人にも同じことが言える。そこをどうするか。しかし、日本の多くの人は、今や「自由」を「自らを由し」とする、つまり「自らをREASON」とするのではなく、「自らを善し」とする、つまり「自らをGOOD」とする雰囲気が蔓延している。

耳触りの良い言葉しか消費しようとしなくなった。そんなタイプの小説しか売れない社会になってしまった。それゆえ暗闇に突っ込み、すべて自分で作ることができる場所としてクアラルンプールに住まいを移したのだと。

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