富士見丘×GiFT ロールモデルカフェ(2)
富士見丘学園は、生徒がダイバーシティに気づく機会をたくさん用意している。しかし、大島先生は、GiFTの対話の中で、大切な機会をまだ用意していないことに気づいた。
富士見丘学園は、生徒がダイバーシティに気づく機会をたくさん用意している。しかし、大島先生は、GiFTの対話の中で、大切な機会をまだ用意していないことに気づいた。
富士見丘学園は、スーパーグローバル教育を推進している。スーパーグローバル教育の肝は「ネットワーク」。知識ともの、知識と知識、知識と人、人と人・・・。生徒が、多次元で多様なネットワークを、自らつなぎ、うみだし、駆使する教育はいかにして可能なのか。大島規男教頭と今回同校との協働プロジェクトとして『ロールモデルカフェ』を開催するGiFTの辰野まどかさん、鈴木大樹さん、三代祐子さんに聞いた。by 本間勇人:私立学校研究家
聖パウロ学園の夏期合宿の通奏低音は「対話」であるが、実はこの通奏低音は、聖パウロ学園の教育全体に響いている。しかし、それが夏期合宿の時は、前面に出てくるのである。それはまるで、無伴奏チェロソナタの曲が流れているかのごとくだった。あるいはパイプオルガンの重低音の響きだったか。
夏期合宿のプログラムを構成する大きな要素は、「自学自習」という個人ワークと「授業」という対話型自己探求の2つ。「自学自習」は、先生から与えられた問題を解くというものとは意味合いが違う。毎日「夏期合宿日誌」をつけて、自分の学び方、何を学ぶのか、どこまで達成できたのかを振り返って、自学自習によって自己成長を果たす実践の場である。
4日目、午前の2時間目の授業から取材にはいった。1日勉強しているわけだから、4日目はさすがに疲れてきているだろうと思って、授業を覗いたら、先生方はもちろんのこと生徒も真剣そのもので、集中力と適度な緊張感が持続しているその姿に驚かされた。
かつて全寮制だった聖パウロ学園。その寄宿舎というリソースを活用して、新しいボーディングスクール(寮制学校)型のプログラムを開発した。もちろん通学制の学校であるが、時期に応じた合宿勉強を実施するのである。昨年から高2・3生のために6日間の夏期合宿を開始。
好評だったため、今年6月高1にも2泊3日のプログラムを実施してみた。これもたいへん好評で、2泊3日タイプの宿泊学習を数回体験して、高2になってから6日間の夏期合宿につなげる壮大なプロジェクトが立ち上がっている。
ボーディングスクールではないが、ボーディングスクールのエッセンスを凝縮させた、いわば、ポストボーディングスクールとして他に追随を許さない新しい学びの体験の場となっている。by 本間勇人:私立学校研究家
(女子生徒が宿泊する寄宿舎「パウロハウス」。イタリアから持ってきた山荘。パウロの森に小さなおしゃれな空間があった)
工学院は、日本初の大胆なカリキュラムイノベーションを歩み始めたわけだが、そのためには学内の教師が一丸になることが極めて重要である。一丸になるには、教師どうしの信頼関係をベースにした相互に学ぶ組織を持続することである。そのため、平方校長は「研修」を中心とした「学びの組織」を構築しているという。
工学院は、2015年に入学する中1生から、3つの新しいコースを開設する。「ハイブリッドインタークラス」「ハイブリッド特進クラス」「ハイブリッド特進理数クラス」。それぞれ募集人数は、35名ずつ。彼らが卒業するときには、東京オリンピックのつぎの年で、日本は相当グローバルな社会になっているはずである。
そのときに、グローバル人材として活躍するには、CEFR基準でC1英語力、ICTによるデータサイエンス力、IBレベルの高次思考力(IB型思考力)である。どのクラスもこの3つの力は工学院の教育の基礎とするが、その学びの方法に違いがある。
7月23日(水)、工学院大学新宿キャンパスで、同大学附属中学校・高等学校は、プレスリリースを実施。テーマは「工学院大学附属中学校が21世紀型一貫教育をスタート 日本初のハイブリッドインタークラスを開設~大学で 企業で 世界でスカウトされるグローバル人材を育てる」。
2018年から2030年までに、日本は、世界の人々といっしょに生活する多様性に満ちた社会や学校に移行している。工学院はいちはやくその新しい世界に備え、そこでリーダーシップを発揮できる人材を育成する教育を整備する。by 本間勇人:私立学校研究家
ショーの中の様々なシーンで、生徒ひとりにスポットライトが当たる場面がいくつもある。一曲のうちの数秒間をソロで歌うのだ。大勢の観客を前にした状態でスポットライトが自分にだけあたり、更にマイクを持って歌を歌わなければならないというのは、相当なプレッシャーになるはずである。しかし、そのようなシーンでも、生徒たちは笑顔で楽しんでいた。なぜそれができたのだろうか。