ICT

文化学園大学杉並 知性×感性のスパイラル(2)

2時限目の実技教科、そして3時限目の部活動、と時間をかけて体験するにつれて、文杉の「知性」と「感性」が磨かれるプロセスが徐々に明らかになってきた。

家庭科のお菓子作りやビーズを使った裁縫、美術の絞り染め、茶道、書道といった授業を見学して気づくのは、いずれの授業でも何かを教え込もうというよりは、一緒にいる時間を楽しもうとしていることだ。そこでは、先生そして在校生が奉仕する者として存在している。解説や説明・指示・確認を行う教師はいない。代わりに、何かを作り上げるために協力していく仲間(=奉仕者)がそこにいるのである。

お菓子作りをしている教室では、お菓子を焼いている間、在校生と受験生がこんな会話をしていた。「好きな芸能人っている?」「志村けんとかかな」「えっ。そうなんだー。お笑いが好きなんて意外だね…」

何気ない会話に、文杉らしさが満ちあふれている。フラットな関係と形容するのもはばかられる(つまりフラットであることをすら強要しない)ほど自然な人間の関係。相手がお客様だからとか、自分は先輩だからなどといった、気負うところがまったくない。お菓子を焼いたり、ビーズで模様を作ったりすることを心から楽しんでいる。そして、在校生は材料を持ってきたり、次に必要なことを準備する。先生は必要なくなったお皿を洗ったり後片付けをせっせと済ます。

各自がそれぞれの役目を当然のように果たしながら、みんなで楽しむのである。狭い意味での知性にこだわっていては決してたどり着けない境地だろう。

人に楽しんでもらうことが自分の楽しみでもあるという環境。

ここに文杉が楽しく笑顔でいられる秘訣がある。

文化学園大学杉並 知性×感性のスパイラル(1)

文化学園大学杉並の教育の質は、全国にその名を轟かせるファッション・ショーや、文化部・運動部の全国大会レベルの活躍に表れている。「感動」をキーワードに、狭い意味での知性にとどまらず、身体的・運動的な能力、あるいは空間デザインにまつわる感性をも磨く文杉の21世紀型教育は、2015年度に開設を予定されているダブルディプロマ取得のコースによって、桁外れの卓越性を発揮することになりそうだ。オープンスクールでの様子からその一端をお伝えする。 by 鈴木裕之:海外帰国生教育研究家

文杉のオープンスクールは、実際の学校生活をシミュレートする形態で進められた。ホームルームの時間は学校説明会、1時限目は5教科授業の体験、2時限目は実技教科の授業体験、さらに3時限目が部活動体験という構成になっていて、文杉で育まれる知性や感性の広がりが時間割上に表現されている。多様な活動の場を通して一人一人の個性が発揮される環境なのである。

 
ホームルーム(=全体説明会)は、校長の松谷茂先生の話でスタート。文杉の目指す「感動の教育」と新しい取り組みについて触れられた。
文杉では今年度からグローバルコースの生徒全員がタブレット端末を持ち、校内は無線LANでつながっている。また、全教室に電子黒板を導入するなど、ICTが充実。
さらに、来年度からスタートするダブルディプロマ取得を目指すコースでは、高校生を対象に数学や理科などの教科もオールイングリッシュで授業が進められる。カナダでの5週間のホームステイを除き、ほとんど日本にいながらにして、カナダの高校卒業資格と日本の高校卒業資格の両方を手にすることができるようになる画期的なプログラムである。
こういった新しい取り組みを説明する一方で松谷校長先生は、日本語で身につける教養の重要性についても強調した。特に中学生時代を日本語によって感性を磨く時期として位置づけ、自立した女性を育成するという女子教育の基本を語った。価値あるものに取り組み「感動のスパイラル」を生み出す精神は変わらない。
 
ホームルームに続いて1時限目は5教科の授業体験。国語・数学・社会・理科・英語からどれか一つを選択して受講する。
理科では、まずは喉を潤しましょうとサイダーが配られ、その後、今飲んだサイダーの炭酸はどんな気体なのかを確かめる実験が行われた。
最初は緊張気味だった受験生も、在校生の優しいサポートでだんだん打ち解けてくる。
 
 
あらゆる場面で、先生と在校生の信頼関係が分かる。授業中に先生がボケ役で、生徒がツッコミ役をするなどというのも、普段から良好なコミュニケーションが行われている証である。
 

英語の授業では、ハワイに旅行に行くという設定で、両替をしたり飛行機の機内で映画を見たりという状況をシミュレーション。その中で触れる英語表現について学習するという仕掛けであった。

オープンスクールだから特別な授業をしているわけではない。文杉のでは常にこういった工夫を授業に取り入れることになっているのだ。

「わかる授業の徹底」−先生方の努力が生徒にも伝わるので信頼関係が構築されていくのである。

 

聖徳学園 Global Issuesに立ち臨むリーダー育成(2)

高2で化けるリーダーシップ

3学期も終わろうとしているこの時期、中3の英語の授業では、基礎力、理解力、構造把握力をトレーニングし、“Global Issues”をテーマに学びを広げていた。つまり、生徒たちは、適用・応用段階まで登っていた。それが、高2になると、世界の問題を分析し、そこに自分の価値観と照らし合わせて、解決方法を選択判断するという、統合力にまでジャンプしていた。

高2の山田先生の英語の授業は、ディベートの準備段階だった。論題は「ホームレスに金銭的支援はするべきか」。まさに、小野先生の連邦プログラムの問題と通底する“Global Issues”である。

たしかに、具体的事例や事象は違うが、貧困をどのような公共政策において解決していくか、重要なディシジョンメイキングの段に立たされる問い。なるほど、伊藤校長や小林先生が、自分の判断をどうやって世界の普遍的な問題につなげられるか、グローバルスタンダードの葛藤問題を解決できるのか、そこに挑めるリーダーを育成したいという想いが、山田先生の授業の中にしっかり埋め込まれているではないか。

その日聖徳学園で行われた21会(21世紀型教育を創る会)の定例会の冒頭で、伊藤校長はこう挨拶された。

「21会校15校の中で、今回SGH申請にチャンレンジした学校は7校。これは21会のコンセプトやビジョンを体現している出来事だと思います。本校も挑戦してみて、自分たちのやってきた教育をきっちり棚卸し、振りかえることができました。

同時に次なるステージがはっきりみえたわけです。それは先生方とも同じ想いだと思いますが、日本という国のローカルルールを世界に押し付けるリーダーを育成するのではなく、普遍的なルールを世界の人々と対話し、いっしょに創造しながら、磨き上げていけるリーダーを育成することだと思います。いっしょに突き進みましょう」と。

そして、山田先生は、そのようなグローバルリーダーを育成するコアの心性や能力を、英語の授業の中で展開していたのである。プロジェクト型学習(PBL)は、たんに効果的学びのスタイルだというわけではない。

「いろいろな価値観や多様なものの見方を出し合えるし、それをある程度整理するために、分類やマッピングなど最適な方法を創意工夫できます。しかし、同時にこの作業自体が、すでにディベート思考のモデルになっています」と。

つまり、方法論を学ぶことが精神的にも考える点においても内生的成長を促す多重構造としてプログラムされている。

また、いろいろな場面で「選択判断」にせまる。もちろん論題に対して、肯定か否定か、そしてその理由は何かなど対話して、電子黒板で整理していくのであるが、生徒がプレゼンする時、英語を活用するのか日本語を活用するのかまで選ばせる。

ローカルルールから脱却するには、選択の意思決定という、自己決定が重要である。そして、それは自己責任のみならず、他者への責任を引き受けることでもある。山田先生の授業で議論する生徒の姿は、そのまま国際会議で活躍する姿に重なった。

 

 

聖徳学園 Global Issuesに立ち臨むリーダー育成(1)

聖徳学園には、スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール指定校だったり、東京私立中学高等学校協会研究協力校として、「平成25年度ICT公開授業研究会」を実施してきたり、国際教育とイノベーション教育の実績がある。

多様な海外研修のプログラムも豊富であり、「個性、創造性、国際性」を育成し「聖徳太子の精神」を大切にしてきたのである。その築き上げてきた土台の上に、今回スーパーグローバルハイスクールの申請を行い、国際的な問題を解決するアクションを起こす新しいグローバルリーダー育成に挑んでいる。

今回、第16回21会定例会の会場になったに、6時間目の授業を見学する機会を得た。ふだんの授業の中に、しっかり新しいリーダー像を描くプログラムが埋め込まれていた。by 本間勇人:私立学校研究家

小野先生の中3の英語の授業では、そのものずばり“Global Issues”をテーマにしたプロジェクト型学習が行われていた。米国の「補助的栄養支援プログラム(SNAP)」を調べてきて、小野先生と生徒が問答するスタイルの授業。連邦プログラムを学ぶというより、それをモデル、あるいはきっかけとして、世界の痛みをシェアし、どのように解決すべく活動できるのか、今までの海外研修の次のステップにジャンプするプログラムのようだ。

しかも、それが総合学習とか特別講座で行うのではなく、英語の授業の中で行われているのだ。

電子黒板で、写しだされた映像を見ながら、小野先生から問いが投げかけられる。まずは事実は何か、問題は何か、制度とは何かなどmatterをおさえる問いが投げかけられる。たとえば、フードバンクとは何か?すると、調べてきた生徒がプレゼンをする。ここで大事なのは、正確に説明できることよりも、プレゼンする勇気だったり、プレゼンにエールを贈る仲間づくりだったりする。

今回SGH申請のチームをけん引しサポートした小林昭文先生は、こう語られた。

「聖徳学園のリーダーシップは、コントロール型を目指しているわけではない。

1人の人間だけがリーダーになる教育ではなく、生徒1人ひとりがそれぞれリーダーになる機会をいかに見つけられるか。

その気づきを授業の中で展開していきたいわけです。もちろん、まだこういうものだという定義はできあがっていません。それはこれから試行錯誤していくことによって見えてくると思います。」

なるほど、小野先生の授業の中に、1人のヒーローをつくるのではなく、生徒1人ひとりに勇気をシフトしていく学びが埋め込まれていた。

もちろん、英語の授業であるから、文法や表現の勉強もする。

このように、英語の基礎力と主題編成型のプログラムが1時間の授業で収まるのは、実は電子黒板という優れた武器を有効活用しているから可能なのである。それがはっきり理解できたのは、藤戸先生の別のクラスの中3の授業を見たときだ。英語の構文の授業が行われていた。

今までの構文の授業だと、黒板に英文を書いて、それから分析するから、量的にはそれほどでもない。しかし、藤戸先生の授業は、電子黒板を自然体で活用しているから、どんどん英文が湧いてくる感じなのである。そして、構文を勉強するためのわかりやすい例文を分析するのではなく、文章そのものを分析していくから、たんなる文法の学習というわけではない。

英文全体を見ながら、一文に照準を合わせて分析し、また全体を眺めるという、俯瞰と集中による内容理解のプロセスを見える化していく授業だと了解できた。しかも、まるで、方程式をどんどん解いているようで、構文の構造、文と文の関係を論理的に読むとはどういうことなのか、それが見える化できるのが、電子黒板の優れたところだと実感。もちろん、そのように活用する藤戸先生の創意工夫が大前提である。

 

 

聖徳学園 ICT公開授業 「頭のフェイント」披露

 

聖徳学園は、平成24年~25年度東京私立中学高等学校協会研究協力校として、「平成25年度ICT公開授業研究会」を行った。8クラスの通常授業でICTが活用されているのを見学できた。電子黒板が開く未来の授業が展開されていた。by 本間勇人:私立学校研究家

リアルタイムで世界を知る=知識を世界にリンクする

社会科の授業では、最新のニュースを映し出すところから始まった。wifi環境が学園全館で使える環境になっているということがわかった。そして、リアルな世界の時事問題といつもの授業で扱っている知識をつなぐ対話が行われていた。

地図・図・グラフを動かして映し出す=関係や時空の相関への気づき

社会及び理科では、地図や図、グラフを電子黒板に映し出すとき、アニメーション機能を活用するから、線が示唆する関係の意味が同時にわかるようになっていた。教科書の図と説明文を照らし合わせながら読める生徒は、問題ないが、文章しか読まない生徒やグラフしか見ない生徒もいる。実際に教科書を読んでいても、脳の活動は生徒によって違う。

ところが、電子黒板の場合は、理想的な脳の働き=考える作業に、すべての生徒が参加できる。今回、聖徳学園の教師は、その効用を巧みに引き出していた。

ただし、このときのポイントは、生徒のノートテーキング。電子黒板による情報提供は、量が膨大になるため、市販の大学ノートでは、生徒によって情報収集・整理の仕方にバラつきがでる。

そこで教師によるワークシートの創意工夫が重要になってくる。また、電子黒板によるバーチャンルな感覚に通常の黒板のリアルな使用も欠かせない。気づきは、微細な差異の仕掛けによって生まれるから、バーチャルとリアルな道具の組み合わせの工夫は見逃せない。

教科書以外の資料や動画をリンク=ハイパーテキスト感覚

どの教科でも共通しているが、教科書以外の情報が映し出されるハイパーテキスト感覚は、ホームページの検索に慣れている今日の生徒には欠かせない。詳細な情報や動画にリンクするような感覚が、授業で展開されなければ、授業は退屈になる。

というのは、生徒の学びのスタイルがICTスタイルにすでになっているときに、従来型の授業を展開することは、古いものを押し付けることになる。そうなると、抑圧感が生まれてしまうから、生徒のモチベーションは下がる。新しい時代の学びを追求している聖徳学園は、生徒の潜在的ニーズに応えているということになる。

シャドーイングやキング牧師の演説のプレゼンテーション=複数の感覚の同期が感動を生む

英語の授業では、電子黒板に映し出された英文のシャーどーイングを行っていた。生徒全員が同じテキストを共有できるのがポイントだ。もし各人が教科書を見ながらという従来型の授業だと、何ページの何行目という確認を何度も行うことになり、その指示が抑圧的な雰囲気を発生させ、モチベーションを下げる。

ところが、テキストを共有し、大きな声でシャドーイングすることによって、文字を音声に転換する作業に集中できるし、リズムもシンクロするから楽しくなる。

またキング牧師の有名なスピーチを流しながら、それに合わせて生徒が前に出てプレゼンする。キング牧師とシンクロしながら演説できるのであるからこんな心強いことはあるまい。“I have a drean !”の熱は、英語の授業を超えて、世界に貢献する自分になりきる瞬間も演じられる。そこには授業で感動を伝える創意工夫があった。

世界を動かす意志の学びこそ教養である。

世界標準に匹敵する脳力開発

脳力開発という聖徳学園独自の授業がある。電子黒板に問題が提示され、すぐに解答がでて、次の問題に移るというスタイル。生徒はその結果を同時に記録していく。これによって、「認知」「記憶」「拡散思考」「集中志向」「評価」のどの脳力の領域が強いか弱いかが瞬時にわかる。自分の得意な脳力を伸ばし、弱みを補強することについて、自己診断できるところが優れている。

もしこの自己診断が、タブレットによって1人ひとりログ(記録)をとるというようなことになると、脳力のポートフォリオを振り返ることができるから、将来画期的な新しい学びとして教育学の研究対象になるだろう。

この手法は、IB(国際バカロレア)、PISAなどでも参照されている認知領域のタキソノミーと重なるところがある。そのタキソノミーによると、思考というものを、「情報の取りだし」「理解」「応用」「分析」「メタ認知」「評価」の関係全体によって構築されるものとしている。聖徳学園の考え方と世界標準の考え方はおそらく共通点があるはずである。

たいへん興味深いので、いずれ機会をいただいて、詳しく聞いてみたい。

ICTだからできる高度な授業=頭のフェイント

1時間の間に8クラスを見て回ったので、高3の英語の授業の最後の部分をなんとか見学できた。一見すると大学受験の勉強であったが、いっぺんにというか同時に、リスニングあり、テキストの構造から単語を推理する問題ありで、あらゆる英語の学びの要素が複合していた。また、教師も英語しか使わない。

にわかには、何が起こっているのかわからなかった。受験のための英語の授業なのか、英語による哲学の授業なのか、生徒たちの真剣さが英語の学びに対する反応というものでもなかった。しかし、いくつか提示されたテキストから、生徒が重大な自己探求を引き受けている最中であることがわかった。

学習指導案によると、そのテキストは故ランディー・パウシュの「最後の授業」から引用されていた。カーネギーメロン大学の終身教授だったパウシュは、自身が膵癌の末期症状にあることを知り、2007年9月18日に「最後の授業:子供時代に抱いた夢の実現」というテーマの授業を行った。有名な授業である。その書籍版からの引用。

全部で6時間のプログラムとはいえ、聴覚イメージ、視角イメージ、触覚イメージ(ワークシートを記述)、英文の構造分析などを同期させて連合させ、それを通してランディのイノベーション思想に到達させるには時間が圧縮されている。しかもその背景にはパウシェの人生をかけた子供にたいする希望があることをシェアまでするのだ。ICTなくしてこの凝縮は不可能だ(それに授業は氷山の一角で、準備の時間は想像を絶する膨大なものだっただろう)。

高3の英語の授業は、英語の授業である。しかし、“Be the First Penguin”というテーマを理解や応用の認知領域を超えて、自己決定にまで至る時間でもあった。ゴールが設定されていて、ゴール以上に飛ぶ思考を、パウシュは「頭のフェイント」と呼んだ。最後の授業では、この「頭のフェイント」というフレースを何度も使った。

そして、その「最後の授業」は、言うまでもなく、ICTをフルに使った授業だった。聖徳学園のICT授業は、パウシュのような授業のスタイルをモデルにしているということではないか。なんと粋な「頭のフェイント」を最後に仕掛けたのだろう。

 

 

 

 

桜丘 桜華祭で見たイノベーティブな学習環境

桜丘中高の桜華祭を取材しに出かけたリサーチャーの佐伯氏からレポートが届いた。周辺エリアや校内のデザインなど、生徒を取り巻く環境が、学びの場として機能しているという印象を報告してくれた。 by 鈴木裕之:海外帰国生教育研究家/佐伯憲太郎(慶應義塾大学理工学部):リサーチャー

 

佐伯氏のレポートは、周囲の環境の良さに言及することで始まっている。佐伯氏自身が私立中高一貫校の卒業生であるから、6年間通う学校の学習環境というものに敏感なのであろう。

王子駅から桜丘中高に向かう途中、公園や都営荒川線の路面電車を横切る。交通の便が非常によい場所でありながら静かな土地だ。偶然にも、公園では市民の祭りが開催されており、街の人情を感じることができた。

9時の桜華祭開始前に正門に着く。すでに周りには生徒や父母らしき方々の姿もある。受付は生徒たちで行われ、笑顔で迎えてくれた。とりあえず、校内を1周してみることにする。

続いて氏の目は校内の環境、空間デザインに注がれていく。そして空間デザインが生徒の雰囲気にもよい影響を及ぼしていると見ている。

敷地には、円形の棟などユニークな形の校舎があり、開放的な雰囲気が感じられる。食堂や通路など、オープンな場所に本が置かれていたり、通路に絵画のレプリカが飾られていたりと、校舎全体が学びの場として機能している印象だった。歩いていると生徒が気さくに挨拶してくれ、教師と生徒の間も会話が弾んでいる様子で、アットホームな雰囲気である。

一通り巡ったあと、気になった展示を見てみることにした。

最初に訪れた書道部では、アルファベットを組み合わせて漢字を作る『英漢字』や、1人1行ずつ書いて作ったという大きな作品を見ることが出来た。

単に自分たちの作品を展示するだけでなく書道に興味のない人も楽しめるよう選んでいる点や、感想を積極的に聞いてフィードバックに努めようとしていることが印象に残った。

次に、美術部を見た。

コンクールの入賞者もいるという油絵を始め、水彩・油彩・色鉛筆の絵から彫刻まで、幅広い形態の作品が展示されていた。また、顧問の先生や外部の方の作品も展示されていたり、授業で作った余りを再利用したというはんこコーナーもあるなど、単に部の発表をするだけでなく、目の肥えた来場者や子供も一緒に楽しめる配慮がされていた。

レポートにある「配慮」という単語が鍵であろう。学習環境を考える上で、配慮というキーワードは重要だ。佐伯氏が書道部、そして美術部の展示で感じたことを集約する言葉が「配慮」である。見に来る人を楽しませたい、興味を持ってもらいたい、何を期待してやってくるのだろう・・・、こういった配慮の精神が満ち満ちていることが文章から伝わってくる。しかし、このような精神性は、どういう環境によって育まれるのだろうか。氏のレポートにヒントがないかどうか、探っていくことにしよう。

教室では高校1年のクラス展示が盛んに呼び込みをしている。

事前に学内で行われた企画コンペティションで2位だったという、演劇を行うクラスを見ることにした。

毎年演劇は人気のある展示らしく、今年も多くのクラスが演劇を行っているようだ。中でも、このクラスでは『ハリーポッター』『アラジン』と魔法を題材とする作品に加え、科学トリックで人気のドラマ『ガリレオ』という異色の3つの作品をパロディしたストーリーを自分たちで考え、注目を集めていた。さらに、せっかく人が集まるのだから何らかの形で社会に貢献出来ないか、という意見から募金を行っており、シリア・ユニセフなどいくつか募金先を調べた中から多数決で福島・相馬市の犬を助ける募金に決めたという。既に1日目で8千円以上が集まったそうだ。

自分たちの企画を盛り上げるだけでなく、さらに誰かの役に立てようという発想に感銘を受けた。

なるほど。配慮は社会貢献につながっていくから、ボランティア活動は必然的な帰結であるわけだ。しかし、配慮の精神はどうやって育まれるのか。

 

写真部では、写真の展示だけでなく、展示されている写真自体の販売も行っていた。売り上げは写真の印刷や消耗品にかかる経費の補填に使うそうだが、それでも毎年赤字なのだという。しかし、あくまで展示が主体なので、販売に力を入れることはしていないそうだ。

商業的にならず、自分たちがやりたいことを貫く姿勢は気持ちがよかった。

「自分たちがやりたいことを貫く」―他者に対する配慮が根底にあるから、これは単なるわがままではない。オンリーワンであることを志向し、他者のために奉仕する―これはリベラルアーツの精神そのものである。

ようや佐伯氏のレポートの意味が解けてきた。数学科に在籍する氏の発想は帰納的だ。最初に結論があるわけではない。まず事例を集めて検証するという思考プロセスゆえに、彼の見ている方向は最初は分かりづらいが、論理は明快で、矛盾はない。

高校1,2年生のオープンキャンパスレポートが展示されていた。夏休みの課題として出されたものを公開しているようだ。

1年生は行った大学とその様子、感想が書かれていた。早い時期からオープンキャンパスに行かせることで将来を具体的にイメージできるよう考えられたのだろう。

2年ではより細かく、大学と学部のセールスポイントから、周囲の環境・施設、受験方式など、さらには大学生にインタビューする項目まであった。単にオープンキャンパスに参加し、何を学べるか、などの大学から提示される情報を収集するだけでなく、実際に受験するときやキャンパスライフを送るとき、自分が必要となる情報を知るためのレポートで、将来をイメージする上で非常に有益な課題だと思った。

 確かに、レポートを見てみると、大学・学部のセールスポイントや、大学生へのインタビュー、そして訪問した感想など、数多くの項目があるが、フォームが決まっているので、比較対照が行いやすいのであろう。こういった課題を通して、生徒たちは情報収集や編集スキルを向上させているのであろう。

 

高1によるプレゼンテーションが行われていると聞き、行ってみることにした。

授業で「将来の私」をテーマに全員がプレゼンし、クラス内から選出された代表が発表を行っていた。大きく、「今までの私」「なりたい職業」「その職業になるための道のり」「目指す大学・学部」「夢がかなったら」「参考資料」という順でプレゼンがされ、かなり具体的なことまで調べ上げられていたのが印象的だった。高校1年から将来の目標を意識することは、3年間の高校生活を有意義に活用するための助けになるだろう。また、早いうちから自分で情報収集やまとめをしたり、プロットに従って発表を行うなど、自分で考え人に伝える経験をしておくことは良いことだが、単なる経験で終わらず、要点のわかりやすい発表になっていたことに驚いた。相当練習をしてきたのだろうか。

今度は中学生のプレゼンテーションを訪れた。

ちょうど、中学2年の発表で、ある班は「平和」というテーマのプレゼンをしていた。

「1人1人にとっての平和」「学校での平和」「日本での平和」など、多様な側面から平和を考え、それらの共通する部分として「お互いを認め合うこと」という結論を導いていた。発表スキルという点では先ほどの高校生には及ばないが、「分析と統合」という基本的な姿勢に忠実に考察がされており感心した。中学生の頃からの経験があっての高校生の発表なのだろう、と納得した。

桜丘のプレゼンがどのように編集されるかというプロセスについては、同じ日に取材をしている本間勇人氏が詳しい記事をすでに掲載しているので、そちらもご確認いただきたい。

桜丘 桜華祭が映し出す「学習する組織」(1)

桜丘 桜華祭が映し出す「学習する組織」(2)

桜丘 桜華祭が映し出す「学習する組織」(3)

 
 

 

桜丘 桜華祭が映し出す「学習する組織」(3)

リアルタイムにビジョンを共有

創立者稲毛多喜は自らの生活体験から校訓「勤労」と「創造」を生み出した。この姿勢は、今の桜丘の生徒が、体験からボトムアップスタイルで判断に到達してプレゼンテーションに到る学びの姿勢に見事に継承されている。

「勤労と創造」は「たゆまぬ努力と創意・工夫が新しい自分を作る」という意味であるが、それを今の生徒たちのアイデアを呼び覚ますように「コンパス」と「翼」という言葉でシンボライズしている。

なぜシンボライズしたのか。それは言葉や理念は世界を変えるほどパワーがあるという信念を持っているからだ。

(英語のスピーチコンテストで、ギターの演奏までしてしまうプレゼンテーション)

この言葉と理念は、言うまでもなく生徒のみならず、桜丘の教師も突き動かす。時間割編成上、学年ごとにあるいは学年を超えていっぺんに集う時間をつくるのは難しい。言葉や理念は世界を変える。しかも共通体験を大切にしている桜丘である。先生方は知恵を絞った。

平校長は、「朝のショートホームルームを10分伸ばして、30分使えるように、創意・工夫しました。ホームルームや朝読書に活用する時間ですが、学年の中で、学力やビジョンの共有で開きがでてきたと教師どうしが気づいた時、すぐにコンパスタイムの時間にします。コンパスタイムは、全学年同時間で活用していますから、学年を超えてリアルタイムに情報を共有することもできます。学年ごと、あるいは全学年でリフレクションをする時間を共有できるのです」と。

21世紀型スキルや21世紀型教育の大事な要素に、リフレクションとコラボレーション、コミュニケーションという活動があるが、その時間を全校生徒がリアルタイムに共有できるのである。

(感覚をシミュレーションするセンサー制作に挑戦するコンピュータ部員)

すでにある地図の道をたどるのではなく、未知の都市、森、山などで、自分の道を切り拓くには、その都度遭遇する課題を、コンパスを活用しながら創意工夫をしながら発見していく。

それは、いまここで解決・判断しなければならない。コンパスタイムとはまさにこのビジョンの共有体験をつくりだすシステムである。これもまた教師の創意工夫から生まれたのである。

不動の星に向かって翼を広げるのであるが、いまここでの瞬間はいろいろな問題や悩みが噴出する。平校長は、「そこを桜丘学校全体で力を合わせ創意工夫して乗り越えていく。コンパスタイムは、その象徴的な時間です」と語る。

平校長に桜華祭を案内していただきながら、お聞きした話の中で、決定的だったのは、ボランティアに対する活動の重視であったが、そのときこんな質問をした。「今日本でもIB(国際バカロレア)が話題になっていますが、プレゼンテーションや世界の痛みについて探求している桜丘は、ある意味すでにIBのディプロマと同質の教育を行っていますね。外国の方もたくさんお見えになっていて、グローバル教育も充実していますし。」

すると、「21世紀型スキルやグローバル教育を念頭においてはいます。IBも一つの教育の在り方として、先生方もリサーチしています。しかし、もう少し独自のそれでいてグローバルスタンダードに耐えられる教育を、先生方と生徒たちと創意工夫していきたいと思っています」と遠くに眼差しを向けた。

すると

桜丘 桜華祭が映し出す「学習する組織」(2)

キャンナビからビジョンの継承始まる

中1は、夏休みの河口湖宿泊研修で学んだことをプレゼンテーションした。しかし、河口湖体験の学びではない。学びのビジョンの探求だった。問いが生徒にとって、常にダブルクエスチョンになっているのが、桜丘の特色。Aとは何か?同時にAを通して何を学ぶか?

高1の進路のプレゼンもそうだった。進路先を学び、進路先を学ぶことを通して何を学ぶのかをプレゼンするという具合に。

さて、中1の話に戻ると、今回の「桜華祭」のテーマは“Try Our Wings”であるが、これについてチームごとにビジョンの意味について探求したのである。

先生や先輩が、今回のテーマの意味はこういうことと定義を教え込むのではなく、ビジョンの意味をそれぞれが深めていくという探求学習の最も大事なところから中1はスタートした。

もちろん、この“Wings”は、桜丘の教育ビジョン「コンパスと翼」の「翼」のことである。ビジョンを共有するには、定義を覚えるのではなく、自分たちで意味を込めるのである。もちろん、ボトムアップはどこかでトップダウンとつながるのだが、それは高1のプレゼンを見ればわかるように、多様な意味の捉え方が、やがて大きな枠組みとして同質になっていく。

そのようなことがどうして上手くいくのかというと、それはすでに学校説明会のときから始まっている。桜丘ではキャンパスナビゲーションの役割を担う生徒のことをキャンナビと呼んでいるが、受験生は入学前に、キャンナビによって学校の案内に誘われる。

このとき、教育ビジョンが響きとして伝わるのである。そして、夏の研修の事前準備の段階で、その時の様子を思い出しながら、再び中1生はチームごとに校内を探索する。そのときは、“Try Our Wings”に相当するものを探すというフィールドワークのシミュレーションをしたという。プレゼンのプロトタイプのプロトタイプづくり。

ところで、このチームで活動するというのは、大変難しい。たんなる集団やグループではない。チームワークという個々の力が合わさってシナジーを生み出すパワーを創出する仲間になることを、桜丘の先生方は期待している。

そこで、4月、5月にプロジェクトアドベンチャー(PA)というアクティビティを行っている。たとえば、畳2畳くらいの板をシーソーにしたゲーム。板の上にメンバー全員が乗って、協力しないと、水平バランスがとれないことを、身体で実感する。

そのようなゲームを通して、チームビルディングが大切であることを徐々に体感していくプログラムを実施。メタファを通して気づくという知性も同時に養われていく。これは中2のプレゼンの時に発揮するが、今回は中1の話に集中しよう。

ともあれ、木目細かい多様なチームビルディングのプログラムが一年通じて仕掛けられている。

こうした長期にわたる研修の事前プログラムが前提となって、河口湖という地球が直接姿を現しているフィールドで、“Try Our Wings”の意味を探求するのである。「体験→気づき→リサーチ→課題発見→議論→編集→プレゼン」という学びのサイクルが大きく回転しだすのである。

チームごとのプレゼンのプロトタイプができたら、学校に還ってきてから、さらにブラッシュアップ。プレゼンの仕方も再トレーニング。そして「桜華祭」本番に立ち臨むのである。

この一連のビジョンの共有、チームビルディング、思考トレーニング、コミュニケーション、自己陶冶というシステムこそMITのピーター・センゲが「学習する組織」と呼んでいる思考システムと一致するのではないだろうか。

桜丘 桜華祭が映し出す「学習する組織」(1)

桜丘中学・高等学校(以降「桜丘」)の文化祭「桜華祭」は、在校生の知の発達を一望に眺めることができる。なぜこんなに生徒が成長するのか。その秘密について探究した。(by 本間勇人:私立学校研究家)

高1までに自己決定レベルにジャンプ

高1のプレゼンテーションは、自分の進路決定についてだった。なぜ自分がその道を選択するのか。その道を歩んだ先に、どんな社会貢献ができるのか。その道に立ちはだかる壁は何か。それを打ち砕くには、何をどこで学ぶのか。そこに進むためには、どういうプロセスで、どういう資格を取得していくのか、仕事のシステムの詳細は何か・・・・・・。

理想と現実のギャップを埋めるプラグマティックなプレゼンテーションだった。このプレゼンをするために、自分の人生の今までを振り返り、自分の人生の未来への展望を描き、それを多くの体験学習を通し、あるいは実際に大学のオープンキャンパスでインタビューやフィールドワークを積み上げて検証してきた。

ただの思い付きや意見ではなく、社会や世界に評価されるアイデアの創出とそこにかかわる自己決定という理想に向けて準備を積み上げてきていることが伝わってきた。このプレゼンにいたるまでのプロセス――体験・調査・探究・議論・編集・論文といった一連の活動は、学園生活そのものであり、このプロセスの幾重ものループの連続のある成果である。

そして、高1生が桜丘の教育は、進路先準備ではなく未来への自己イノベーションの準備だと高らかに謳うとき、桜丘の学びのビジョンが共有されていることが明快に映し出されていることに気づく。

そのビジョンとは、与えられた地図をたどるのではなく、「コンパス」でそのつど道を探索しながら、実現の道を試行錯誤しながら開拓し、飛翔する山の頂に到達し、いよいよそこから「翼」を広げ羽ばたく準備をすることが学びであるというものであろう。

八雲学園in「7・7東京西地区 私立中学校・高等学校進学相談会」

八雲学園の教師の話し方は、クオリティが高い。グローバル時代に多様な市民とディスカッションしたり対話をするときに、聴き手の目を見て話すのが基本。日本ではそれができないケースが多いが、八雲学園の教師はその型が自然体だった。私自身帰国生ということもあり、外国人の対話の姿勢と日本人の対話の姿勢の違いには敏感なのかもしれないが、どこかホッとした。

話のテンポも良く、生徒たちといつもこんな感じで対話しているのかと思った。同行していた本間先生に尋ねたところ、八雲学園の教師の対話力は右に出るところがないということだった。

プレゼンの内容に関しても、学校の良い点を伝えようという強い意志を感じたし、パンフレット以上に、メリットやアピールをたくさん語ってもらった。ポジティブファンタジーを共有出来る対話の機会は本当に日本では少ないのに、八雲学園はあふれているということなのだろう。

たとえば、一昨年全面リニューアルしたきれいなキャンパスの空間の話も実にファンタジック。教育の特色は4つあり、どれも魅力的な内容がつまっていた。

そのなかでも英語教育は、パワフルなパフォーマンスが満載。iPadで、レシテーションコンテストやイングリッシュファンフェアーの動画を見せて頂いたが、どれも溌溂としていた。英語劇・スピーチコンテストの話も、これは英語表現力がつくはずだと確信させられるのに十分だった。姉妹校のケイトスクールとの交流のためサンタバーバラに毎年学年全体で研修旅行に行っている話も破格。

また、中学3年間同じ一人の先生がマンツーマンで相談役をつとめるチューター方式について詳しい説明あったが、ここに八雲学園のナチュラルな対話が基礎づけられる機会がたくさんあるということがよく理解できた。

感銘を受けたのは、中学は勉強させ(土曜授業あり)、高校では自発的に勉強させる生徒の成長に合わせた教育方針。よく生徒の成長や発達段階に応じたという表現はあるが、重要なことはそのとき教師が生徒とどのような関係をつくっていくかということである。八雲学園のように教師が生徒を見守ることによって、信頼関係をつくっていくという教育は、言うは易く行うは難しである。これは、大学で友人たちと中等教育の頃の思い出話をすると、必ずと言ってよいほど話題になるコトである。

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