PBL

三田国際 未来を拓く「基礎ゼミナール」

三田国際学園中学校・高等学校(以降「三田国際」)の本科では、中2から週2時間「基礎ゼミナール」を実施している。「経営」「理論物理」「アプリ制作」「遺伝子工学」「細菌学」「言語記号論」というような学問的な背景が横たわっている探究テーマをPBLスタイルで研究していく。

今回、田中潤教頭の「経営」をテーマにした基礎ゼミナールの様子を拝見した。by 本間勇人 私立学校研究家

(文化祭という擬似市場で商品を販売する株式会社を創業する起業家プログラム。中3に社長・副社長がいて、中2・中3と協働して株式会社を運営していく。田中先生はコンサルタントさながら。)

1時間目、中3は、組織論やマーケティング理論をみっちり学び合い、2時間めに中2とともに会社を創っていく準備にはいる。文化祭では、出店する外部からの本物の会社がある。その会社は、いあわば競合他社ということになる。

文化祭に訪れる人々を消費者に見立てて、自分たちの会社の比較優位を計算していく。SWOT分析を田中先生が文化祭という擬似市場にアレンジしたマトリクス表を使って行っていく。マーケティング戦略をつくりあげていくのだ。

その際、中3メンバーは、組織論に基づいて、マネジメントしたりモチベーションを持続可能にしていったりする。何せ相手はプロフェッショナル。そこと競える会社を創るにはどうしたらよいのか。強みや弱み、機会や脅威を分析していく。

経営企画会議よろしく、グループディスカッションをしている間に、他の基礎ゼミも案内して頂いた。どの教室も「好奇心」「開放的精神」「批判的精神」がさく裂していた。あのファインマン教授が、科学者としての才能の3要素と語ったものであるが、まさに小さな研究者の頭脳が躍動していた。

理論物理の基礎ゼミナールでは、ベナール・セルと呼ばれる渦をつくる対流を観察していたが、田中先生のゼミの生徒がこの姿を見たら、組織論として散逸構造をどのように活用するか越境的想像を膨らますだろうなあと、この基礎ゼミの無限の可能性を感じ、見ている側もワクワク興奮した。

アプリを創ったり、プログラミングしている中2の生徒とかもいて、すぐにもエンジニアになれるのではないかとその才能の可能性に驚きもした。

生物の教室では、生命科学の研究をしている生徒たち、言語記号論では絵文字の言語学的アプローチをしたりして、現代コミュニケーション論を組み立てていた。

ちらっと見学しただけでも刺激的だったが、一年間1つのテーマを追究していく生徒たちが知的にも感性的にも大きく成長するのは火を見るよりも明らかだった。目の前に希望のスペースがパッと広がった。

後ろ髪をひかれつつも、田中ゼミに戻ってみると、白熱議論が起きていた。

「機会」と「脅威」は、実は分けにくい。表裏一体で、機会は常に脅威になるし、脅威は機会をつくるなど、マーケティングのダイナミズムについて、直観的なのだろうが、なかなかセンスのよい議論していた。そして、私たち大人は、今まで中高生をあまりにも決められた枠の中に押し込めてきたのではないか、もっと中高生の発想の自由を、三田国際のように大切にしたほうがよいのではないかと改めて思いもした。

中間報告のプレゼンも、大人顔負けの指摘が多々あった。たとえば、消費者を抽象的に捉えずに、人脈分析をして、セグメントまでしていたし、競合他社とのブランド力の差や立地条件の差異などを分析し、そこをどのように解決すべきかあるいは意志決定すべきか課題を明らかにしていた。

グループワークの合間に、田中先生に、企業活動が、リーマンショックに代表される欲望の資本主義の常であるリスキーなものを生み側面もあることについて、今回議論するのですかと尋ねてみると、もちろん会社を創業する時の理念を決めますが、そこで、社会と自分たちの幸福についての均衡をどうするか当然議論が生まれますと話してくれた。

この基礎ゼミナールで、生徒は会社を創業し、運営し、利益をきちんとあげ、決算報告や社会貢献まで考案し体験していく。田中先生によると、実際に社長や会計士にもきてもらい、アドバイスをしてもらうチャンスも作っていくという。

起業家プログラムというと、外部のプログラムに丸投げのところが多いが、田中先生は、すでにある学校の環境や、自分たちのネットワークを、市場経済の環境に見立てて、コンパクトにブリコラージュ的手法で作っていく方が学びの効果があると語る。

砂漠に放りなげられた時、身の回りにあるものを、サバイバルのための道具に仕立てる柔軟な野生の思考こそが、たとえ第4次産業革命になったとしても、いややはり予測不能な社会という点では砂漠と同じで、そこでサバイブするには、柔軟で創造的なブリコラージュ的思考が役に立つことは間違いない。田中教頭の英語圏の発想にはないフランス―ドイツ的な学問発想が、三田国際学園のインターナショナルな教育の奥行きを深くしているのだろう。

工学院 さらなる挑戦

工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)は、21世紀型教育を完成するべくさらなる挑戦に取り組んでいる。それは、2020年大学入試改革で予想される大学入試問題の研究を通して、そこから越境する知の領域に拡大する授業のGrowth Mindsetに取り組むという教育活動。

21世紀型教育というと、巷では、多様な経験を積み上げ、創造的な活動をすることが第一の目的で、大学合格実績は二の次であるという間違ったイメージがある。それは全く違う。そのような考え方は学校や教師の立場の話であって、先鋭的な21世紀型教育はあくまで生徒の未来の生き方の可能性をいまここで共に考え、関門を乗り越えていくというところにある。その生きていく道に大学進学があれば、当然そこを突破する。

ただし、そのとき、21世紀型教育は21世紀型教育、大学進学指導は大学進学指導と二項対立にはもっていかない。両方を融合するというのではなく、両者は1つのシステムに収まるのである。by 本間勇人 私立学校研究家

2020年大学入試改革で、今メディアで話題になっているのは、大学センター入試に替る新テスト「大学入学共通テスト(仮称)」(これまで「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」と呼ばれてきたテスト)。特に英語4技能教育と記述式問題。しかし、工学院では、この点に関してはすでにカバーしているから、やはり最終関門である各大学個別入試を素材にして研究に臨んでいる。

とはいえ、2020年になっていないのであるから、各大学個別入試はまだない。しかし、従来の知識論理型思考をベースにした問題から論理創造型問題になるのはある程度想定済みであるから、現状すでに実験的に変わり始めている国立大学の問題をヒントにして研究していこうという試みである。

たとえば、今年の東大の数学の問題を、その場で、数学科の主任が解きながら、生徒にとって何がハードルか分析していく。そして、プロジェクトチームのメンバーが、教科を超えて質問していく。この数学の問題のどこに新たな地平が開かれるヒントがあるのかと。

すると、東大受験の生徒は体験してきただろうが、そうでない生徒はあまり体験しないで、大学に進んでいくということが判明していく。東大を受けるからそのような思考方法が必要で、そうでない生徒は不要というのが、20世紀型教育の効率重視の授業デザインだっただろう。

ところが、数学は公式やパターンを当てはめながら解けばよいのではなく、ある程度与えられた条件を整理しながら、なぜこの条件なのか予想する目検討の構えが必要であるということは、実は数学に限らず必要なことだという議論がでてくる。奥津高校教務主任は、それはバックキャスティングという発想で、数学をはじめとする教科だけではなく、イベントの企画を創るときにも必要な力だと語る。

その点に関しては、教科の違うメンバーで構成されたグループワークで議論しながら抽出していく。東大の数学の問題にフォーカスしながら、その背景にある思考スキルや発想という思考の領域に越境していく。

数学の教師としては、そんなのは当たり前であると通過してしまうようなところで、他教科の教師が、今の代入はなぜ生徒はしようと思うのか?パターンを当てはめるだけではないという判断はなぜできるのか?結局数学の思考スキルは1つの種類のバリエーションということなのか?国語でもそのスキルは実は重要だが、もう少し種類はあるかななど、数学科の教師の暗黙知を引き出していく議論が白熱する。

そして、東大の問題が解けるようになるにはというお題ではなく、素材として扱った東大の問題から見出した突破する思考スキルやコンピテンシー、発想法を身に着けるには、中1・中2のときに各教科でどんな授業をデザインしていくのか、中3・高1ではどうするのか、高2・高3ではどうするのかと6年間通じてのカリキュラムコンセプトのデザインをしていく。

このプロジェクト名は「qチーム(クエストチーム)」。中学の教科主任、高校の教科主任、各教科のリーダーで構成されている。各教科に浸透させていくと同時に、高校では、ダイレクトにこのような入試問題をトリガーとして展開させていく授業の場面も増えていく。

このqチームの探究活動で、素材としての大学入試問題を選択する太田中学教務主任、奥津高校教務主任、田中英語科主任は、「難度」で選択しているのではなく、「思考コード」に照らし合わせて「論理創造型思考を要する問題」、「ルビンの壺型問い」が埋め込まれている問題を探し出す。素材としての大学入試問題の選別眼は、実は問いを創るときの視点と重なる極めて重要な研究でもある。

 

静岡聖光学院 新草創期の息吹

風かおる東の道のたたなわる小高き丘になつかしく学び舎は立つ。静岡聖光学院は、南に太平洋を望み、北に富士山を仰ぐ、澄み切った空気に包まれる丘の上にある学校。雨が降り、霧が立ち込めれば、天空の城ラピュタさながらだとも言われている。
 
来年2018年、静岡聖光学院は、中学校設置認可されてから50年が過ぎようとしている。学内では、周年事業の一環として、ハードパワーではなく、教育のソフトパワーのさらなる進化/深化を追究することに決めた。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
(左から、星野明宏副校長、岡村壽夫校長、田代正樹副教頭)
 
それは、開設当初ひたすら学問の自由を追究したアカデミアの殿堂を引き継ぐことも意味する。開設当時、最先端の教育ソフトを実践し、生徒の未来をともに創ってきた草創期の息吹を、50年目、再びもっともっとふくらますというのだ。
 
開設当初の教育ソフトとは、「学問」そのものであった。当時の初等中等教育の学習指導要領は「現代化カリキュラム」と呼ばれ、スプートニク・ショックという衝撃が生み出した宇宙をも視野に入れた科学の最前線を生徒と共有しようという時代だった。
 
 
(身近な問題から、合意形成のルールを抽出するPBL型授業)
 
現代数学や最新の科学の内容が盛り込まれ、時間数も、脱ゆとりの学習指導要領と比べても16%も多かった。それゆえ、その濃密過密の反動として、ゆとり教育への路線を開いたのも確かだったが、初代のピエール・ロバート校長は、学習指導要領の量を問題にするのではなく、その背景にある時代の精神を引き受けた。
 
それは、目の前の生徒にとって未来を拓くカギは、学問や科学であり、「聖光 聖光よ望み湧き わが命拠る アカデミア」と聖光讃歌にあるように、未来を創り社会に貢献するには、大学で研究ができるアカデミアという学問の道を説くことなのだと。当時の大学進学率が20%いかなかったことを鑑みれば、いかに斬新な教育だったか了解できる。
 
 
(自然科学の知識や用語を、英語で調べ直す作業も)
 
岡村壽夫校長は、母校静岡聖光学院の2期生であるが、開設当初から、自分の好きなことにチャンレンジする気風があったと語る。チャンレンジには失敗がつきものであるが、大いに試行錯誤が奨励されたという。それは、教師も生徒も同様で、したがって、教師は専門教科以外に自分の好きな領域についても生徒といっしょに探究してきた伝統があると。
 
そして、50年。同校にとって、歴史を積み上げてきた記念碑的な数字であるが、同時に時代は、第4次産業革命の衝撃、人工知能のシンギュラリティショックという異次元の局面にぶつかっている。
 
 
(英語のスピーチをペアワークで)
 
アカデミアへの強い意志は、新たな科学、技術、エンジニアリング、数学、哲学などへ再び挑戦する時を迎えたのである。
 
星野明宏副校長は、「この大きな時代のウネリに立ち臨むには、小手先の改革改善では歯が立たない。あたかも新しい静岡聖光学院をもう一校創り出す新草創期の気概で行動しなければなりません。幸い学問への気風の伝統があります。それを引き継ぎながら、新たな学問環境に備える最先端の教育ソフトパワーを展開する50周年にするべく動き始めたのです」と気概に満ちている。
 
そして、そのアイデアは、「アカデミア部」という新たなプロジェクト部署を立ち上げてすでに実践が始まっている。
 
その中核メンバーである田代正樹副教頭によると、アカデミアの活動として「個人研究」「職業体験プログラム」「ゼミナール活動」など多様な探究活動が進化/深化しているということだ。特に、50年という歳月は、OBの中に東大や京大の教授も輩出し、後輩である在校生と学問研究プログラムの協働活動も進んでいるという。
 
たしかに、大学の学問も再構築される時代である。中高もその動きに対応するには、学びの環境そのものを進化させる必要がある。そして、同校のアカデミア活動を支える生徒一人ひとりの好奇心、開放的精神、探求への眼差しという内発的動機づけは、日々の授業が源泉となる。
 
 
(素数のルールについて対話している数学授業のシーン)
 
静岡聖光学院が探究授業としてのPBLやC1英語教育、ICT教育を大胆に授業でスタートした理由は、以上のような50周年記念事業を機に描いた教育ソフトパワーの大きなグランドデザインに根差していたのである。
 
 
(授業中は、静かに生徒を見守る人工芝)
 

聖学院 知のデザイン広がる <難関思考力>

聖学院のSGT Super Global Teacher)児浦良裕先生と対話した。児浦先生は、数学教師であると同時に、聖学院の21教育企画部部長。知のコンセプチャルデザイナーである。それゆえ、聖学院の生徒一人ひとりの創造的才能を引き出し、実現していくGRIT(気概)を鍛えるクリエイティブコーチングプログラムを、中高一貫という6年間に張り巡らそうとしている。

それがいかなるものなのか、その全貌のデッサンは今年の秋ぐらいに表現できる予定であるというから楽しみである。それにしても、児浦先生自身、数学的思考をアンチ専門分野主義的に拡張できるSTEAM思考の持ち主であるがゆえに、対話していく過程で、いろいろな発想が湧いてきた。今回は聖学院の知のデザインの素描の素描をご紹介したい。by 本間勇人 私立学校研究家

(2017年2月19日、本機構主催「第1回新中学入試セミナー」でも児浦先生は登壇)

聖学院の「思考力入試」は、多くのメディアや受験情報誌で取材され、注目されている。それは、この入試の問いや生徒の思考活動が、従来の知識論理型思考をジャンプして論理創造型思考まで問うているために、生徒一人ひとりの創造的才能を引き出す新しいテストであり、また、2020年大学入試改革の背景にある知のパラダイムのプロトタイプでもあるからだ。

生徒の創造的才能を引き出すエンパワーメント評価として、同校では「メタルーブリック」が開発されている。G1・G2・G3・G4という独自の思考の次元がデザインされている。おそらくG1は単純思考、G2は拡張・収束思考、G3は関係思考 G4は創造的思考というステップになっていると思われるが、思考する素材や対象などに応じて、具体的に「ローカルルーブリック」を設定している。上記はレゴプログラムの「ローカルルーブリック」の簡易版であるが、これが論述やプレゼン、読解力、数学的思考・・・などそれぞれに応じて、変容適用されていくのだろう。

すでにプロトタイプができているのだから、来春も同じように行っていくのかと思っていたが、児浦先生いわく、「プロトタイプは再構築、つまりリファインして進化していくものです。コンセプトという種が芽を出し、葉を広げ、開花し、再び実を結ぶように、成長していくものです。ですから、来春はもう1つ新しい<難関思考力入試>を行います」ということだ。

今まで行ってきた「思考力+計算力」は、自分の思考過程をモニタリングしながら自ら思考の次元をステップアップしていく「批判的思考力」が中心。生徒によって創造的才能の成長の仕方は異なる。その才能が引き出されるには、それぞれのタイプに応じたプログラムが必要。思考を1つひとつ積み上げて行く中で、あるときピョンとジャンプする成長タイプの生徒もいる。

(同セミナーで児浦先生がプロジェクターで映し出した図)

これに対し、紆余曲折、眩暈がするのではないかと思うほどグルグル回ったり、アップダウンを繰り返し思考に没頭できるモヤ感耐性のある生徒は、その霧の中からある瞬間パッと閃くというタイプの生徒もいる。そういう生徒は、レゴを活用した「思考力 ものづくり」が適している可能性がある。

児浦先生の「21教育企画部」のチームメンバーとPBL(プロジェクト型学習)型授業や行事の試行錯誤/思考錯誤を繰り返している中で、生徒の才能の成長タイプが見えてきたという。高等部部長の伊藤豊先生の最近接発達領域の研究が、ここにつながったようだ。

それでは、<難関思考力入試>は、どの才能成長タイプを想定しているのだろうか。児浦先生いわく「現状では、今までの2つの才能を統合・融合したタイプを想定して問いを生み出そうと思います。ただ、2つのタイプに適応する問いを並べるだけではなく、2つのタイプが結合したときに起こるケミストリーが全く新しいタイプを生み出すことになると思います。すでに、在校生の中にニュータイプが存在しているので、そのような生徒のリサーチもしつつ、練り上げていきますから、楽しみにしていてください」ということだった。

ワクワクする話を聞いてしまったがゆえに、刺激を受けて、私なりに聖学院の知のコンセプトがイメージになった。独断と偏見ではあるが、こんな感じである。児浦先生は、いや違います。こうですよということになるだろうが、それこそが、聖学院の対話思考である。今後のSGT児浦先生との対話を期待して頂きたい。

 

香里ヌヴェール学院 永遠の瞬間の授業

PBL型授業を本格的に開始した香里ヌヴェール学院。いわば共学一期生の中1、高1の授業は一斉にPBL型授業の花が満開という雰囲気だ。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
(上木先生の対話が開く永遠の瞬間)
 
 
しかし、いつの世にも、いつの領域にも極めるという達人がいるものだ。達人の授業とは自然体だし、気負わないし、それでいて内面のパッションとパワーの気はドラゴンの炎のごとき実体である。
 
フランク・ロイド・ライトは、岡倉天心の茶の本のタオの精神に、ハイデガーの住まう存在論も超える建築空間の境地に達していた。
 
ジョブスも禅の境地に目覚めていた。マズローも五段階欲求説を自ら超越する禅の世界を見てしまった。
 
松岡正剛がクリエイティブコーチングの本と共鳴するのは、やはりその精神が岡倉天心の茶の本に通じるところがあるからだった。
 
多次元知能にどうしても実存的才能を入れざるを得なかったハワード・ガードナーも禅の世界に魅力を感じざるを得なかった。
 
しかし、その刹那の境地は永遠の瞬間であって、普通は見えない。しかし、見える時がある。道/未知からの誘い。それである。
 
 
(ペアワーク。対話の瞬間を開く英語の古賀先生)
 
ふと中1や高1の授業ではなく、中2の上木先生の授業が見たくなった。となりの中1の部屋では、明るく元気な優れた英語の先生方がPIL×PBL型授業を行っていた。5時間目、6時間目だというのに、生徒は、疲れも知らず、言葉と音とイメージと意味とパフォーマンスのハーモニを奏でていた。
 
このような授業が6年間続けば、たしかにB2レベルの英語のスキルのみならず、英語でハイレベルの議論ができるC1レベルに到達するなあと感心しながらも、上木先生の中2の授業が気になった。
 
クラスに入ってみると、脳内世界がパッと広がった。まるでマトリックスの映画の中に迷い込んだかのようだった。自然体の対話からしなやかな言葉の行為が映し出されている。
 
 
比較のマトリックスがどんどん螺旋上に上昇して脳内にたちまち知のドラゴンが組立てらていく感じ。見開きの地図がマトリックスになって、そこに歴史、文化、自然、言語、理念のそれぞれのマトリックスが結びつき、立体を組み立てていくのだ。
 
その頂点からは、人間の歴史のアンビバレンツな出来事から生まれ出ずる不安や恐れがかなたに見えたかと思うと、見えなくなり、安らぎが訪れる。そこで、ハッと目が覚める。あっという間の授業。永遠の瞬間の中の知の出来事だった。
 
 
(休み時間の質問の瞬間も対話がふくらむ中1の英語の平田先生)
 
歴史の授業だったのだが、知識は生徒の周りをぐるぐる回り、必要な時に、引力で引きつけられるように結合していく。もはや生徒にとって、知識は憶えるものではなく、吸い込まれるように高密度の知の宇宙へと変容していく。
 
おそらく私たちが属している世界はリアルなのではなく、現象なのである。その現象の向こうに一瞬開いた永遠の世界。それが授業の究極の境地である。
 
所詮、PBL型授業は、上木先生の永遠の瞬間をプロジェクターで映し出している幻影にすぎないのではあるまいか。
 

アサンプション国際 校長哲学教室 さらに進化/深化

今年4月からアサンプション国際は、共学化、校名変更、21世紀型教育改革という大転換を果たした。すでにご紹介したイマージョン教育やPBLの授業も、速くも広がり深くなり始めている。
 
そんな中、同校の改革のエッセンスすべてが凝縮しているのが、江川校長哲学教室である。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
 
というのも、前年度行っていた校長哲学教室は、すべて女子生徒だったが、今回からは男子も共に参加して行えるようになっているし、学びのスタイルは、PIL×PBLであるし、プログラム最後の振り返りで自分を語るときは英語で表現するからである。
 
また、学びの空間も、ICT環境が完備しているフューチャー・ルームで行われた。そもそも、この哲学教室そのものが、リベラルアーツの現代化なのである。なぜ現代化であるかというと、哲学教室というと、プラトンからカントくらいまでの哲学者の考え方が基礎になるのが一般的である。
 
 
(まずはアイスブレイク。共感的コミュニケーションの足場作り)
 
しかし、アサンプション国際の哲学教室は、現代思想や心理学、社会学など学際的だし、扱う素材もアンチ専門分野主義で、新しい知の地平、つまり要素還元主義から関係総体主義へというパラダイム転換を基礎とした21世紀型教育の哲学がベースである。
 
今回も素材は、「ルビンの壺」「ドーナツとマグカップ」「グローバルゴールズ」。これらが一体どんな関係にあるのか?なぜ「ルビンの壺」と「ドーナツとマグカップ」が「グローバルゴールズ」に関係するのか?
 
モヤ感あふれる出る分かち合いとなったが、江川校長とアルベール先生のファシリテーションとフィードバックで、生徒は、偏った見方や先入観から解放されるGrowth Mindsetがまず必要なのだということにだんだん気づいていくことになった。
 
 
ルビンの壺の絵を見て、壺に見えたり、波に見えたり、ベルに見えたり、二人の向き合っている顔に見えたり、いろいろでてきた。しかし、江川校長がどうしてそのように見えるのか問うことにより、何に注目するかによって、その時の気分や感情によって、違うとか、経験に照らし合わせて見えてくるが、その経験が人によって違うから、それぞれ違うのでは?とか多様なアイデアがでた。
 
哲学教室では、正解を出すのが目的ではないから、ルビンの壺の関係総体主義的な考え方については、説明することはない。それは、生徒自身が何かの局面で、はたと思いつくことだから、それでよいのだと江川校長。実際、今プログラムの途中で、生徒は気づくことになる。
 
ドーナツとマグカップについては、これ以外にどう考えればよいのかわからない、いったい何を問いかけているのかわからないと生徒たちは口々に語った。そこで、インターネットでNHKのアーカイブ「トポロジー」をいっしょに見ることにした。
 
 
見終えたとき、生徒たちの驚きの表情は想像するに難くないだろう。分かち合いスタイルなので、一人ひとり感じたこと気づいたことを順番に語っていくが、参加者全員が、ものの見方や考え方のコペルニクス的転回に到ったのは言うまでもない。
 
穴の数で、図形をカテゴライズするとは?硬い幾何学の世界に自分たちはいるが、柔らかい幾何学の世界もあるのかあ?と。しかも、このトポロジー的発想が、新物質を創るときに、すでに役に立っていたり、宇宙のカタチを考える時に役に立つなんてと、角度を変えてみると、先入観が崩れるという実感に、感動する生徒もいたし、どこかまやかしがあるのではとクリティカルシンキングを発動させる生徒もいたり、知と感情の合力が生まれていた。
 
 
そして、「ところで」と江川校長哲学教室のストーリーはいいよいよ「転」の局面に到った。「みなさんが学んでいるグローバルゴールズの中に男女の差別をなくそうというのがあるが、ジェンダーギャップが激しい例としてアフリカが話題にのぼることが多い。ジェンダーギャップについて、日本と比べるとどんな状態だろう、予想してみよう」と新しい問いが投げられた。
 
全体的にアフリカの方が日本より男女格差は激しいのではないかという仮説が多かった。中には、日本も項目によっては、低いかもしれないが、それでもまだ男女格差は改善されつつあるのではないかというのもあった。
 
そこで、世界ランキングンの一覧表が配布され、見てみると日本は111位ととても低かった。項目によって違うから、各国の状況の違いを無視できないが、それにしてもなんて自分たちは、もっと考え直さねばならない。憶測だけではなく、情報やデータを収集することの必要性を強く感じたと生徒は語っていた。
 
 
こうして、最終問題は、グローバルゴールズを達成するために、先入観から解放されなければならい具体的なケースにはどういうものがあるか、チームで議論して、まとめてほしいというものだった。
 
各チームがプレゼンを終えるたびに、教育社会学者でもあるアルベール先生は、生徒とクリティカルシンキングの対話を深めた。
 
たとえば、ジェンダーギャップと教育の質は関係ないと思っていたが、データを見ると関係があるように思える。教育の質を上げれば、よい仕事につけるから、男女の格差は縮小するのではないかと生徒がプレゼンすると、アルベール先生は、たしかにそれは正しいけれど、教育の質を上げて、よい仕事につけたとしても、インドのようにそういう人材がアメリカなどに移住すると、インド社会そのものは善くならないというようなパラドクスも起こる。さてどうするのだと。
 
 
生徒は、あっ、ルビンの壺だと。1つのことだけ見ていて、そのほかの関係性を考えていなかったと。もっと、視野を広くして考えてみなくてはと。
 
最後のリフレクションでは、日本語だとたくさん言えるのに、英語だと限られる、もっと英語を勉強しなくてはとなり、江川校長は、そう気づいたのなら頑張れるねと、クリエイティブコーチングも見事に果たしていた。
 
 
アルベール先生は、これが言語の世界が思考の限界。もどかしさが、Growth Mindsetを生む善き欲望ですねと私の方を向いて目で語っていた。あの微笑が印象深かった。
 
身近なものが、あるいは関係ないと思っていたものが、世界の痛みと強く関係する根本問題にいたり、そこから自分は何をすべきか、自分の才能を引き出し、キャラクターをデザインしていく生徒。アサンプション国際のミッションは今まさに実現しようとしている。
 
 

三田国際 最強のPBL

三田国際学園は、校名変更し、共学校化し、先鋭的21世紀型教育を断行して4年目がスタートした。3年間で中高の定員1200名をパーフェクトに満たす奇跡を起こしたが、その背景には、最強のPBL(Problem based Learning)型授業を教師全員で共有し、日々研鑽を積んでいく研修システムが構築されているからである。

そして、そのエグゼグティブリーダーは、間違いなく田中教頭である。田中先生の授業プログラムは、ちょっとやそっとでは真似できない優れた仕掛けが緻密に設計されている。おそらくただ見学していても、驚嘆、感動、感銘をうけるているうちに、肝心のデザインされた仕掛けを見抜くことを忘れてしまう。それほど、見る者を夢中にさせる魅力的授業である。by 本間 勇人

また、麻布や開成同様、一般には三田国際の授業は非公開だから、ますます田中教頭のPBLデザインは、神秘のベールに覆われ、それがかえって三田国際の授業の魅力を増幅させているのだ。

しかし、機会あって、今回見学することができた。名古屋出張だったが、またとない見学を逃すまいと、急いで戻ってきた。ぎりぎり間にあい、教室にはいると、なんと近代国家成立に影響を与えた3人の啓蒙思想家を学んでいるところだった。

たまたま、単元がそこだっただけなのだろうが、この帝国の時代から、近代合理性へのパラダイム転換の生みの親たちの授業を行っているところに立ち会えたとは、なんとも不思議な感じがした。というのも、三田国際は、この近代合理性の限界がもたらした、現在の世界問題を解決する新しい教育=先鋭的21世紀型教育を断行しているのだが、結局のところ、その根拠として啓蒙思想家の根源的な発想をどう超えるのかという議論を授業中に行っていたからである。

ここまで徹底して、いまなぜ自分たちは先鋭的な21世紀型教育という環境を選択して学んでいるのかを、近代の超克という歴史的パースペクティブの中で位置づけているのである。歴史の中の自分、パラダイム転換の旗手三田国際、新し社会を創る自分たち。生徒は、自分、学校、社会といった包括的座標軸的視座で学んでいるのだ。

歴史を捨象した独りよがりな自分探しとしての進路指導ではなく、歴史の中の自分を見定め、歴史を創る自分をイメージ化する作業が、三田国際の田中教頭のPBL授業なのである。

なるほど、教頭兼学習進路部長である。日々の学習とキャリアデザインの統括リーダーの意味が了解できた次第である。

近代合理性、特にカントとヘーゲルをどう乗り越えるかは、ハイデガーやガタリ、デリダなどの現代思想家が取り組んだ大問題のはずであるのにもかかわらず、生徒たちは軽やかに立ち臨んでいた。

カントやヘーゲル、ハイデガーを理解するには、啓蒙思想家の論理的仮説である「自然状態」をいかに分析し、脱構築するかにかかっている。そんなことは、教科書にも書いていないし、現代思想家もあまり語らない。しかし、カントはそれを物自体に置き換えたし、ヘーゲルは自然状態の弁証法的成長が行きつく究極の頂点「絶対精神」としてとらえたし、ハイデガーは現存在が気遣いから遠ざけてしまう「存在」に置き換えたし、そのような固定した見方をリゾームという新概念に置き換えたのがガタリである。そして、そのようなすべての設定を脱構築しよとしたのがデリダだった。

要するに何を言っているのかわからないのが現代思想であり、これが現代思想の限界。それをあっさり乗り越えてしまうのが田中教頭のPBL型授業なのだ。

生徒に、まずは個人ワークとして、自然状態に自分が置かれたら、どなると思うかという自分事から出発させる。知識の確認ではなく、知識が生まれる思考のプロセスを遡る。

そして、そのようなことになる「自然状態」がいかなるものか仮説を立ててみようということになる。チームで侃侃諤諤議論をして、プレゼン。この過程は極めてナチュラルでシームレスに展開していった。

生徒から、理性というのは自然状態にあるのかといったなかなかいい質問も、その議論の合間ににでてきた。すると田中先生は、帝国から近代にシフトするというのは、こんな感じだと語った。転んで足を痛めたときバチがあたったと言っていた時代から、転んだのは平衡感覚がとれなかったからだと言える時代に。生徒はドット笑った。理性と自然状態の関係を一瞬にして理解したのであるであるが、このメタファーで笑えるという知的レベルの高さに驚いた。

あるときは、クレヨンしんちゃんというのアニメをメタファーに国家成立について語ったりもする。遊びと学びのダイアローグが回転しているのが、田中教頭のPBLだ。PBLのスタイルの真似はできても、メタファーや問いの投げ方の奥義までは真似できない。

自然状態の定義を各チームごとにプレゼンしたあとに、すかさずリアリスティックアプローチ手法のリフレクションを投げかける。みんなの発想は、結局啓蒙思想家と近かったのではないか?ということは、君たちが今考えた過程は、啓蒙思想家とシンクロしていたんだよとフィードバック。

そのとき、はじめて生徒たちは、啓蒙思想家を乗り越える立ち位置にいることに気づいたのである。先人から知識を学ぶ方法を学ぶだけではなく、先人の限界の地平に立つことを学ぶ学び。青春時代に背伸びをすることぐらい内発的モチベーションが燃えることは他にない。これが田中教頭のPBL型授業の奥義である。

そんなことをやって東大や京大や一橋大の問題が解けるのか?と疑問にもたれたれた方は、およそそれらの大学の入試問題を研究したことがないといえよう。田中教頭の射程内に収まった骨太の啓蒙思想についての問題がまんま出題される。ご安心あれ。

富士見丘 SGHプログラム4年目に突入

富士見丘学園は、SGH(スーパーグローバルハイスクール)のプログラムを実施して、4年目を迎える。この間に、多くの輝かしい実績を積み上げてきたし、模擬国連部の活躍に代表されるようなSGH以外のグローバルな教育活動も広がった。

そしてまた、今年も新高1のSGHプログラムが、心優しくもパワフルに始まった。by 本間勇人 私立学校研究家

(昨年、釜石フィールドワークを通して「環境とライフスタイル」を探究した新高2生の新高1生に向けたガイダンスシーン。ユーモアもあり探求へのモチベーションを共有。)

 SGHプログラムは、高1では「サスティナビリティ基礎」という授業と「釜石フィールドワーク」を通して、持続可能な社会を創造するにはいかにしたら可能かを探究していく。高2になると、フィールドワークがシンガポール、マレーシア、台湾とグローバルな拠点に拡張する。慶応大学や上智大学などの高大連携プログラムも展開する。

したがって、高1時代に、調べるスキル、コミュニケーションスキル、論文編集スキル、インタビュースキル、プレゼンスキル、クリティカルシンキングなどアカデミックな探究の基礎を学ぶ必要がある。

(昨年の慶應義塾大学SFCの大川研究室との高大連携プログラム。スカイプで海外の高校生と協働企画について議論しているシーン。)

そのスキルを釜石フィールドワークを通して鍛えながら、その探究のまとめのレポートやプレゼンテーションが成果物となる。新高2生は、自分たちが学んできた内容やそこに到るまでのさまざまな苦労や気づきについて語り、SGHとは何かガイダンスを行った。

新高1生は、内進生と高校から入学してくる生徒が共存しているから、4月スタートしたばかりでのガイダンスは、どちらの生徒にとっても新しい探究活動を共に行っていくというというのはアイデンティティ形成にとっても大事な行事。

したがって、このようなガイダンスの集まりを仲間にエールをおくり、プライドと自信を共有する機会とするのも忘れないのが高1の学年主任の遠藤先生。スポーツや芸術活動で活躍している生徒の自己紹介の場を集会に瞬間的に織り込んだ。

自己紹介を終えて席についた生徒が周りの生徒とハイタッチしている雰囲気は、富士見丘学園が大切にしている心である「忠恕」という互いに尊重し、受け入れ、高め合う精神が浸透している証しでもあった。

こうして、また富士見丘のSGHの新たなステージは始まった。新高1生は、10月の釜石フィールドに向けて、サスティナビリティ基礎という授業で、知の準備を行っていく。

(昨年の高2のシンガポールフィールドワークを通してまとめあげた探究のプレゼンシーン。)

1年後、この新高1生が、様々な賞を受賞し、大学の教授陣が息をのむプレゼンを行うように成長しているだろう。このように、先輩が自分の経験値を後輩に伝えていく心優しい絆は、同時に毎年パワフルなグローバルな知を生んでいく。

それは富士見丘の教育自体を大きく変容させる力にもなろう。

香里ヌヴェール学院 モヤ感が深い学びを生む

2017年4月、香里ヌヴェール学院は、校名変更、共学化を果たし、21世紀型教育改革を立ち上げた。学院長石川一郎先生は、2冊の教育関連書籍を出版し、全国各地から講演依頼を受けている21世紀型教育改革の旗手である。

そして、4月24日、NHKのEテレ「テストの花道 ニューベンゼミ」に出演。正解が1つではない2020年大学入試に頻出されるはずの問題の案内人としてゲスト出演したのだ。番組の中で、そのような典型問題として、2017年中学入試で同学院が出題した「思考力入試問題」も紹介した。

この「思考力入試問題」こそ、香里ヌヴェール学院の人気を生み出した奥義でもある。by 本間勇人 私立学校研究家

 

(香里ヌヴェール学院は、PBL型授業研修と思考力入試問題作成プロジェクトの活動が、毎月のように開かれている。)

同校にとって、思考力入試問題は、21世紀型教育改革のアドミッションポリシーのシンボル的存在。カリキュラムポリシーの柱の1つにPBL(プロジェクト学習)型授業があるため、そのエッセンスを問題に反映させている。PBLとは、生徒が「主体的・対話的で深い学び」を促進できるように、深イイ問題が投げられる。正解が1つではないから、最初はモヤ感満載なのだが、そこを仲間とワイガヤで議論したり調べたりフィールドワークに出かけしながら、新たな問いに気づく。

そのとき生徒は、あのアハ体験をする。なるほど!そっかあ!というモヤ感の霧の中に一条の光を見出すのだ。やがて、新たな問題を解決しようとわくわくしてくる。そして、最優的にもくもく(黙々)探究の道へと没頭していく。

このような渦がだんだんと周りの知やネットワークを巻き込み、探究活動は広く深くなっていく。こんな知の道を、「思考力入試問題」で体験し、共感する生徒に入学してきてほしいというメッセージが込められている。

(思考を広げ深めるときに、マインドマップやベン図など「思考ツール」もフンダンに使う。中1の国語。)

そのアドミッションポリシーに映し出されているカリキュラムポリシーの象徴的存在は、中1のヌヴェール科や高1の探究ゼミ。見学しに訪れたときは、高1の探究ゼミが行われていた。

探究ゼミでは、ディベートや修学旅行のプロデュース、未来都市企画提案などクリティカルシンキングとクリエイティブシンキングをフル活用して、プロダクトをきちんと生産する探究活動を年間通じて行っていく。まさに本格的なPBL。チームでディスカッションする学びのスタイルは基本。

PBLのもう一つの特徴は、教師と生徒が共に学ぶという対話型。実は論理的に議論しいく際に、そのベースになるのは、合理的思考スキルより前に、互いに自由を承認するできる相互尊重の状態。絆がちゃんとないと話し合うことなどそもそもできない。教える教わるの関係には、ネットワークの相互尊重の絆が形成できないのだ。

探究ゼミでは、思考の成長も重視しているが、このように互いに尊重して協働作業ができる仲間作りのプログラムも仕掛けている。正解が1つではない問いを投げるのは、深い学びができるようにすることも目的だが、正解が1つではないからこそ、互いに刺激し合い、多くの気づきが生まれるからだ。実際、授業の振り返りにおいて、多くの感じ方考え方に新鮮な感覚を抱く生徒が多い。

そして、講義形式ではなく個性尊重と同時に協働スタイルで行うということを、生徒と共有するために、まずは学びにダイブしようというわけで、香里園は都会か田舎か?都会派と田舎派に分かれてディベートを行うことになった。作戦を立てるためにディスカッションは大いに盛り上がる探究ゼミとなった。

(高1の英語の授業もPBL型授業)

しかし、生徒にとって最も時間を費やす学園生活は各教科の授業である。そのため、この探究ゼミのようなPBL型授業をさらに凝縮して普段の授業にも実践していくというのが21世紀型教育改革。たとえば、モヤ感やわくわく感を内燃させる工夫として、高1の英語では、自己紹介の英語プレゼンテーションを行っていた。自分のことについて思いを巡らすことは、誰でも最も関心が高いことだからである。

語りたいというモチベーションが英語という言語能力を高めるのは、すでに多くの人によって実証されている。

また、“If could Fly”という英語の歌に耳を傾け、その歌詞の解釈や物語の構造についてディスカッションするシーンもあった。夢や恋について語り合うのは青春時代の特権。Growth Mindsetができあがるのだが、もちろん、この過程で仮定法を学んでいくのである。

(中1の英語は、ダイナミックイマージョン教育。)

中1の英語もインパクトがあった。いきなり20分間教師が英語でしゃべりまくった。生徒は、いったい何が起こったのか驚きモヤ感満載。それでもとにかく聞き取ろうとした。先生がしゃべり終えた後、いったい私は何を語ったのかと問うた。すると、生徒はクラスの知を結集して、こういったんじゃないかああいったんじゃにかとワイガヤになった。

先生の狙い通り。わからないなんて関係ないということに、生徒は気づいたのだ。おそれずに、まずは英語の海にダイブしようと。その後英語の歌に合わせてリズムをとったり、ゲームをしたりしながら、英語を学んだ。

英語のPBL型授業は、中学の初回の授業から、「英語を学ぶ×英語で学ぶ」というダイナミックなイマージョンの授業にたった。

かくして、香里ヌヴェール学院は、教師も学び生徒も学ぶPBL型授業が全面展開となった。石川学院長のもと、モヤ感から深い探究への道を歩むことになった。なるほど「テストの花道」のプロデューサ―とシンクロするはずである。道を究める者どうしということであろう。そして、NHKという媒体と石川一郎先生の書籍と同校の教育活動が、子どもにとって何が大切かその種を運ぶことになろう。大いに期待したい。

 

 

 

 

アサンプション国際中高 イマージョン教育&PBL型授業 破格

今年4月から、校名変更、共学校化し、21世紀型教育改革を立ち上げたアサンプション国際。小学校は、昨年の段階でPBL型授業を完成実施し、大人気になった。

中高もいよいいよイマージョン教育とPBL型授業がさく裂し、教師と生徒の情熱的学びは全開。中高のイマージョン教育を中心とする様子を写真で追ってみよう。by 本間勇人 私立学校研究家

 

(昨年中3のときに、江川校長の哲学対話教室に参加した女子生徒が、新生アサンプション国際の高1に進級。PBLやイマージョン教育に大満足しているということだ。そして共学校にも。高1のオールイングリッシュの数学の授業の後で。)

実におもしろかったのは、2時間目終了後20分間のリフレッシュタイムがある。休憩時間が長いだけかと思ったら、食堂で、おやつを購入して食べても良いということだった。

(ランチではなく、午前中のおやつタイムのお菓子など)

21世紀型教育とは授業だけではなく、施設やリフレクションタイムなどの環境やリラックスした雰囲気もなければだめなのだろう。男子も続々食堂に集まってきた。つい今年3月まで、女子校だっただけに、とても新鮮。江川校長も、時間があれば、写真のように校長室を抜け出して、生徒と共に対話を楽しんでいる。何せ“Hungry is angry.”では困るのだと{微笑)。

3時間目、高1のイングリッシュクラスの生物の時間を見学。イマージョン教育だから、オールイングリッシュ。まだ授業は始まったばかりだから基礎的なことをやるのかと思いきや、進化論の基本原理という抽象的な概念を学んでいた。聴いているこちらの方が専門用語についていけない。スマホで密かに調べているうちに、サルから人間、人間からなにやら別のものに変化しているシルエットを出して、このような進化の可能性はあるかどうか生徒と対話しはじめた。

要するにICTやAIを活用している現在の私たちの姿を進化への可能性として捉えるべきかどうか、自然淘汰の原理から考えてみようというトリガークエスチョン。スリリングではないか。そうかと思ったら、今度は海の中の写真を見せて、生きている存在を探せと。グループディスカッションしてプレゼンするのだが、そもそも生きているということはどういうことなのかという本質的かつ基本原理を考察させるディスカッション。

イマージョン教育による生物のPBL型授業。そして、クリティカルシンキングとクリエイティブシンキングを発動するディスカッションやプレゼンテーション。こんな授業が3年間続いたら、彼らの頭脳はグローバル知として成長することは間違いないだろう。

4時限目は、生物と入れ替わりに数学の授業になった。もちろん、イマージョン教育だから、オールイングリッシュの授業。2時限目間に合わずに、見学することができなかったが、中1でも同じように数学のイマージョン教育によるPBL授業が行われている。

生物で使われた教室は、実はフューチャールームで、教室の壁全面ホワイトボード。だから、数学では、上記写真のように個人ワークをするも、その後は、チームになって、自分たちの学びのスペースを壁に確保し、ディスカッションする。

問題は変数を増やしたり、正負の数を追加したり、難度が上がっていくのだが、それだけではなく、チームごとに不等式を創り互いにチャレンジする創造的な次元まで展開していく。数学の不等式の解き方の学びでも創造的思考をフル回転する授業なのだ。

5時限目は、中1の英語。高1の授業から中1だから、そのギャップにかわいらしい驚きがあるかなとおもいつつ、見学したら、2枚の写真をみて、その違いを英語で表現せよという問答。英語のスキルというより、事実と意見を整理し、比較対象の思考スキルを徹底している。

それにしても、ネイティブスピーカーの先生方がたくさんいるのは凄い。それにみなタブレットやラップトップと電子黒板を自在に使っている。6月からは、生徒も一人一台になる。21世紀型教育改革は加速し続ける。

6時限目は、再びフューチャールームへ。高1の探究。全クラスがグローバルゴールズを契機に、社会や世界の問題を意識し、探究論文を仕上げる1年間という長期のPBL。今回は第1回目で、オリエンテーション。社会や世界に目を向ける前に、まずは自己を見つめる自己探求。仲間とお互いについて話し合い、自分とは何か思いめぐらす。マインドマップやベン図など思考ツールも活用しながらディスカッションしていく。

中高生は思春期という疾風怒濤のときを迎えている。話し合いながら、ときに自己沈潜しながら、自分を見つめ、そこを突き抜けて世界へ羽ばたく。そのための探究への道を、アサンプション国際の生徒は、仲間といっしょに歩み始めた。

以上は、すべて、4月24日3時間目から6時間目の授業。いかに毎日21世紀型教育が展開しているかが了解できるだろう。今後も大いに期待したい。

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