PBL

工学院 PIL×PBLを全面展開へ(2)

カリキュラムイノベーションチームはPBL型開発

知的なプログラムの開発をするときには、まずはビジョンを共有する。ただし、その段階でのビジョンは、ある程度の共有はするが、未規定性のままの仮説。試行錯誤の開発が進むにつれて細かいところは変わっていける柔軟な「アソビ」は残すということのようである。

工学院が目指す21世紀型教育のビッグピクチャーは絵としては出来上がっている。しかし、≪GIL≫(グローバル、イノベーション、リベラルアーツ)の一般的な意味は、すでに20世紀末にも語られているが、2007年以降、あるいは3・11以降、それらの概念は、再び意味が変わってきていると言われている。まずはその確認からディスカッションは始まった。

メンバー1人ひとりの言葉は、当然違うが、ある程度方向性は共通していた。

自分のローカルな知識も認め、世界の知識もまざりあえるようになる。

well-rounded education

双方向型・共同作業型によって、生徒が自分で課題を見つけ解決していける教育改革

従来の大学入試のみに求められる教科ではなく、教科間の枠組みを超えた学びの提供

などなど活発に議論がなされ、その都度プレゼンしながら、共有の作業が続いた。

同様に、≪GIL≫を実現する21世紀型スキル(問題解決能力、チームワーク力、批判的思考力、コミュニケーション能力、情報リテラシー)についても、ディスカッションそしてプレゼンテーション。

こうして校訓そしてビジョンを共有するディスカッションをしたときに、それがディスカッションとして成立していると評価するのはいかにして可能か?スタイルとしてディスカッションしているだけだったのか、あるゴールに向かってディスカッションはできたのか。コマ目に「振り返り」をいれる「メタディスカッション」も挿入されていた。そんな折、成長や発達のキーワード「アウフヘーベン」という言葉が発せられた。

カリキュラムイノベーションチームの多くは、昨年国際バカロレア(IB)のワークショップ型研修に参加してきている。そこで、教師中心主義でもなく生徒中心主義でもなく「学習者中心主義」であるという理念は工学院の構えに共通していると感じて帰ってきた。

つまり、生徒のみなならず、教師も共に学びながら、互いに成長していく学びの環境こそ21世紀型スキルが実現する学びで、≪GIL≫を形作る大きな構成要素であると。「アウフヘーベン」という用語は、そのような発想のIBの基本的な哲学の根っこにある考え方である。日本の教育では、今ではすっかり使用されなくなった言葉だが、その概念は、発達心理学や認知心理学の中で生きている。そんな話も出た。

そして、結局「アウフヘーベン」の概念にしても、発達心理学や認知心理学における発達の概念にしても、大事なことはどの段階に成長したり発達したりしているのかをとらえる「クライテリア(基準)」が、明快でない限り、どこでどんな質問を投げかけたり、生徒どうし教え合ったり(PIL)、ディスカッション(PBL)したりするチャンスをつくるか判然としないではないかということになった。

一方通行的に知識を教えている講義型授業では、生徒が「知識」をどこまで記憶したのか、それを測っていればよかったのだが、「知識」をどのように組み合わせ/組み替えるのかまで考慮に入れると、その段階を予め想定しながら、教師と生徒がどの段階まで発達したのか拠って立つ指標や基準、つまり評価コードが新たに必要になってくる。

それを「思考コード」(現状では未知のままのX codeである)という名で、工学院独自のそれでいてグローバルスタンダードに通じる、ハイブリッドなグローバル教育を開発するのがカリキュラムイノベーション開発メンバーの使命であるという地平が広がったのである。

 

工学院 PIL×PBLを全面展開へ(1)

工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)の校長平方邦行先生は、工学院の目差す21世紀型教育を実行するとは、授業改革をおいて他にないという信念を学内外の先生方、生徒、保護者にことあるごとに語る。

知識を伝え、記憶するだけの20世紀型教育から、知識そのものも吟味しながら、知識と知識を組み合わせたり、組み替えたりしながら、自ら発見した問題を解決していくIB型思考力はいかにして可能か。それは米国ハーバード大学やMITなどが先進的に開発してきたPILやPBLの授業の本質を踏まえた授業改革によって可能になると。

今年一年かけて工学院の先生方が、校長と共に一丸となって研究に取り組む。日本の教育が変わる瞬間をドキュメンタリー風に追跡取材していく。by 本間勇人:私立学校研究家

PIL及びPBLという授業システムを開発する時に、大事なことは何であるか?これを抜きに組み立てていくと、先生方の個性が発揮されないし、自在に授業が回転しない。枠にはめられる感じがするからである。道具やアイテムは、使いこなせなければただの廃棄物に過ぎない。

そこで、先生方は、外にテクニックを求めるのではなく、まずは自らの内を観察することから始めた。

たとえば、4月に新中1が入学してきた時、まずは工学院の理念をロゴス化した3つの校訓「挑戦・創造・貢献」をどのように生徒と共有するのか、してきたのか振り返る。

まずは、学年主任であり、社会科主任であり、今回のPIL×PBL授業の開発のメンバーである松山先生は、「学年だより」で、3つの校訓を中1やその保護者に近づきやすい言葉に「置き換え」て伝えた。この行為は、PIL×PBL授業では、重要な最近接発達領域の共有の営みである。ハードルを低くしながら、生徒が自分なりに考えて乗り越えることができるように問いかけているのである。

松山先生は、オリエンテーションにおいて、まずは≪one for all all for one≫の体験から、前に踏み出すアクションの大切さ、壁をいかにして乗り越えるか考え抜く力の大切さ、仲間を助けることの大切さを実感できるようにプログラムを設計していく。

体験、実感、関心、好奇心・・・から学びが旅立たなければ、モチベーションは内燃しない。

最初の学年のロングホームルームでは、生徒1人ひとりが今年1年の想いを漢字一字にこめてプレゼンするところから始まった。松山先生も2012年の4月に「祈」という漢字から始めたというデモンストレーションを行った。

すると、生徒はそれが東日本大震災を踏まえていることにすぐに気づきグーッとこのイベントに集中していった。興味・関心が、魂に触れたときに湧き上がる。その雰囲気が教室に広がった。

このプログラムは、教科の授業ではないが、ある意味教科横断型の授業だとすれば、PIL×PBL授業の本質を共有している。

しかも、このプログラムは、平方校長が就任する以前から行われていた。ということは、PIL×PBL授業の本質は「暗黙知」として工学院には存在していたことになる。

このように、暗黙知として存在しているPIL×PBL授業の本質と通じるものが、学内でどこまで広がっているか、シェアする研究が始まったのである。

 

工学院 PIL×PBLを全面展開へ(1)

工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)の校長平方邦行先生は、工学院の目差す21世紀型教育を実行するとは、授業改革をおいて他にないという信念を学内外の先生方、生徒、保護者にことあるごとに語る。

知識を伝え、記憶するだけの20世紀型教育から、知識そのものも吟味しながら、知識と知識を組み合わせたり、組み替えたりしながら、自ら発見した問題を解決していくIB型思考力はいかにして可能か。それは米国ハーバード大学やMITなどが先進的に開発してきたPILやPBLの授業の本質を踏まえた授業改革によって可能になると。

今年一年かけて工学院の先生方が、校長と共に一丸となって研究に取り組む。日本の教育が変わる瞬間をドキュメンタリー風に追跡取材していく。by 本間勇人:私立学校研究家

PIL及びPBLという授業システムを開発する時に、大事なことは何であるか?これを抜きに組み立てていくと、先生方の個性が発揮されないし、自在に授業が回転しない。枠にはめられる感じがするからである。道具やアイテムは、使いこなせなければただの廃棄物に過ぎない。

そこで、先生方は、外にテクニックを求めるのではなく、まずは自らの内を観察することから始めた。

たとえば、4月に新中1が入学してきた時、まずは工学院の理念をロゴス化した3つの校訓「挑戦・創造・貢献」をどのように生徒と共有するのか、してきたのか振り返る。

まずは、学年主任であり、社会科主任であり、今回のPIL×PBL授業の開発のメンバーである松山先生は、「学年だより」で、3つの校訓を中1やその保護者に近づきやすい言葉に「置き換え」て伝えた。この行為は、PIL×PBL授業では、重要な最近接発達領域の共有の営みである。ハードルを低くしながら、生徒が自分なりに考えて乗り越えることができるように問いかけているのである。

松山先生は、オリエンテーションにおいて、まずは≪one for all all for one≫の体験から、前に踏み出すアクションの大切さ、壁をいかにして乗り越えるか考え抜く力の大切さ、仲間を助けることの大切さを実感できるようにプログラムを設計していく。

体験、実感、関心、好奇心・・・から学びが旅立たなければ、モチベーションは内燃しない。

最初の学年のロングホームルームでは、生徒1人ひとりが今年1年の想いを漢字一字にこめてプレゼンするところから始まった。松山先生も2012年の4月に「祈」という漢字から始めたというデモンストレーションを行った。

すると、生徒はそれが東日本大震災を踏まえていることにすぐに気づきグーッとこのイベントに集中していった。興味・関心が、魂に触れたときに湧き上がる。その雰囲気が教室に広がった。

このプログラムは、教科の授業ではないが、ある意味教科横断型の授業だとすれば、PIL×PBL授業の本質を共有している。

しかも、このプログラムは、平方校長が就任する以前から行われていた。ということは、PIL×PBL授業の本質は「暗黙知」として工学院には存在していたことになる。

このように、暗黙知として存在しているPIL×PBL授業の本質と通じるものが、学内でどこまで広がっているか、シェアする研究が始まったのである。

 

戸板 もうひとつのPBLに挑戦

戸板の市川先生のピアインストラクションを導入した授業は、すでに紹介したが、今回はPBLを活用して授業を行うと聞き及んだので、再び見学させていただいた。

プロジェクトベース学習を、1時間の授業の中にどのように導入するのかと思っていたところ、今回はもう1つのPBL,つまりプロブレムベース学習だった。知識を講義するときと、知識をリンクするために時代を読む授業をするときと、授業のデザインをPILやPBLに自在に切り替える市川先生。なぜそんな器用なことができるのか、その理由について追求してみた。(by 本間勇人:私立学校研究家)

トリガークエスチョンの二重性

クラスに投げられた問いは「聖徳太子が中央集権国家を目指したのはなぜか?」という歴史の問題。考察するために、まずは4つの国内の時代事象と4つの隣国の時代事象を並べ替えリンクする問題を出した。大きな問題を考える時に、歴史的因果関係を予測するところからはじまったわけである。

今回は、この8つの時代事象については、これから習う内容で、生徒にとっては未知の領域。しかし、すでに古代国家成立の過程は習っているわけだから、時代のダイナミズムのプロトタイプはおぼろげながらできているはずだと市川先生は説明してくれた。

すなわち、今回のトリガークエスチョンは、聖徳太子の時代の知識のつながりを理解する問題であると同時に、歴史のダイナミズムのプロトタイプを考える二重性が仕掛けられていたのである。問題それ自体を解決する思考と他の時代の問題を解くときに応用可能なプロトタイプを見出す二重性。

しかし、この二重性をコンコンと説明するや、どちらも知識になり、結局はほとんどの場合、へえーで終わり、応用がきかない。

ワールドカフェ風に

そこで、市川先生は、ワールドカフェ風にチームで対話しながら考えていくプログラムをデザインした。互いに考えを交換しながら、チームの統一見解をつくる。そこでかなり、歴史のダイナミズムが見えてくるのであるが、議論は多様な方がよい。

だから、次に、各チーム1人ホストを残し、メンバーがそれぞれ違うチームに、情報収集しにいく。自分たちの考え方より説得的な情報を持ち帰るためだ。

このワールドカフェ風の対話の特徴は、誰が正しいのかわからないということだ。ただひたすら議論を続けることで、より説得的な論理ができあがっていくのである。

ボームの対話理論

議論をしていけば、説得的な論理が自然と生まれてくるとは、20世紀型教育では、信じ難いし、無責任な授業のように思えるかもしれない。しかし、ワールドカフェのワークショップの背景理論である量子力学者デヴィッド・ボームの「ダイアローグ」によれば、余計な力が介在しない方がコヒーレント(一貫した)な理論が見えてくるのである。量子力学的な化学反応理論同様の発想である。

また、ワールドカフェの社会学的基礎であるハーバマスのコミュニケーション行為の理論によれば、20世紀型コミュニケーションは戦略的でそれはシチズンシップベースのコミュニケーションにシフトする必要があるのである。

この学問的見識を検証するかのように、市川先生のPBL型授業は、生徒たちを説得力ある歴史のプロトタイプを見出す論理に導いている。

アイデンティティを生成する対話

それにしても、戸板が進化するぞと宣言して3か月も経ていない。それなのに、どうしてこのような授業にチャレンジできるのだろうか。市川先生は、生活指導部長でもある。それで、こう語る。

生活指導の一番の目的は、生徒自身が、自らのアイデンティティに行きつくことです。そのためにワールドカフェ風の対話をすでに取り入れていました。そこですでに手ごたえを感じており、日々の具体的な現象に直面している自分の中に生徒たちがより高次のアイデンティティを見いだしていくことと個々の歴史的事象の背景にある歴史のダイナミズムのプロトタイプを見出す知性は同じだと直感したのです。ですから授業のデザインそのものは今まで実践してきたことなのです。ただ、それを教科に応用してみようとは思ってもみなかったですね。

高次な対話は、横断的な知性を養うのにこれほど有効なのである。市川先生の授業はそれを証明した。そして高次思考は数学にすぐに飛び火した。数学の授業でもPBLを導入し始めたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Tags: 

文大杉並 「感動」を支える PBL型の学び(3)

英語科の窪田先生からは、英語コースの特色である英語劇(Drama)について話を伺った。Dramaは、ただ英語を暗記すればできるというものではない。台詞がリアリティを持つためには、役作りをする中で、その人物の考え方や、文化・時代背景について、深い理解が必要になるのだという。
 
 
 
 
 Dramaを指導するネイティブの英語教員は、配役についてのイメージを、リハーサルを通して固めていく。生徒はそれが分かっているから、先生に働きかけることもするし、仲間同士で教え合ったり、支え合ったりもする。
 
 当然劇には主役もいれば、端役もある。裏方を担当する者もいるのだが、それぞれの役割を果たしながら全員で一つの劇を作り上げることがポイントだという。時には演出の仕方を巡って先生と生徒が白熱の議論を交わすなど、劇のセリフだけではなく、自然に英語を使う場面が多くなるようである。
 
 ここにはやはり文杉の学びの特長が表れている。すなわち、講義などで知識を得るタイプとは異なる学び、いわゆる参加型の学びが組み込まれているのだ。しかもDramaではテーマが無尽蔵にあるわけだから、究極のPBLと言ってよい。
 

 かつてはディベートを行っていたというが、より感情を込められるということから、ディベートからDramaに変わったという経緯があるらしい。このあたりも文大杉並らしさと言えるであろう。
 
 ディベートもDramaも、古代ギリシアに源流を持ち、相手に何かを伝えるアートという点で共通している。論理に訴えることを重視するディベートよりも、感情に訴えるDramaは確かに文大杉並に相応しい取り組みだったのかもしれない。校長の語った「感動の教育」、教頭が触れていた「感性」、そして窪田先生の「英語劇」が一つの筋として私の中でつながってきた瞬間だった。
 
 文化祭の出し物として有名なファッションショーもまた、同じ文脈で見ることができる。それはイベントがPBLとして機能しているということである。そのPBLが感動を引き出し、文大杉並の教育のエンジンとなっているのである。
 

文大杉並 「感動」を支える PBL型の学び(2)

青井教頭先生は、文大杉並の生徒の特長を一言で表現するなら「感性」という言葉に集約されると語った。それは、文化学園大学が、服装や建築や文化といった「アート」を重視していることに由来するのかもしれないが、一方で、中高で経験する豊富な海外研修プログラムとも大きく関係しているのである。

 

 青井先生は文大杉並の海外プログラムを広げてきた立役者である。修学旅行での学習プログラムやイギリス・カナダの語学研修、ホームステイなどをコーディネートしてきた。パリのユネスコ本部で活躍している日本人の話を聞く、というキャリア教育プログラムなどもその一つである。

 そんな青井先生が注目するのは、海外から戻ってきた生徒たちの豊かな感性である。パリの修学旅行でも、街並みの中でさりげなく見えるおしゃれに対する感覚は非常に鋭敏だという。パリから戻ってくると、美術の時間に描く絵の色使いも変わってくるのだそうだ。

 確かに、図書館などの学習空間のレイアウトひとつ取ってみても、おしゃれで居心地のよいデザインになっている。それも文杉の生徒の美的感覚の鋭さを物語っているのであろうか。

 
 本の貸出率もディスプレイの仕方によって、10倍も変わってくると青井先生は語る。
 
 また、卒業生のTA(トータルアドバイザー)が待機しているオープンスペースも、かつて教室の中で実施していた頃よりも生徒の集まりがよくなったとのこと。それだけ「感性」に響くかどうかが重要なファクターであるということ。
 
 
 青井先生の話を聞いていて感じるのは、主役は生徒であるという、徹底したホスピタリティの精神である。生徒を固定的に捉えていないから、生徒は逆に生き生きとしてくるのであろう。修学旅行などでは、必ず事後アンケートを取り、評判の良かったイベントは何か、といった振り返りをしている。つまり、生徒の「感動」×「体験」をプロデュースする仕掛け人的存在なのだ。
 
 さらに青井先生はこのような研修旅行などの学びを、どのように生徒に表現してもらうかを来年に向けて構想中であるという。論文集になるのか、写真などの展示やポスターセッションになるのか、はたまた生徒によるプレゼンテーションになるのか、非常に楽しみである。プロ顔負けのファッションショーをデザインする文杉のことであるから、「プレイフル・ラーニング」的な意味での学びが展開されるに違いない。
 
 来年度は中学部でグローバルコース、平成27年からは高校でインターナショナルコースが開設される。インターナショナルコースでは、ダブルディグリーの取得が可能になるということなので、グローバル教育に対する文大杉並の勢いはまだまだ続きそうである。

 

文大杉並 「感動」を支える PBL型の学び(1)

文化学園大学杉並中高(以降「文大杉並」、または「文杉」)の建学の精神は「感動の教育」である。生徒の心に感動があるからこそ、思いやりや尊敬も育まれ、生きることの意味も感得されるという。そのような感動を生み出す文大杉並の教育の根底には、PBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング)型の学びが浸透している。松谷校長、青井教頭、英語科の窪田先生にお話を伺った。(by 鈴木裕之:海外帰国生教育研究家)

 

感動の教育

 松谷校長は、長らく文大杉並テニス部の顧問を務め、経験も実力もほとんどゼロに等しかったテニス部を全国一のレベルに導いた立役者である。そこで経験したであろう苦労や感動の数々はとてもここに書ききれるものではないが、あえてその凄さの手がかりを松谷校長自身の言葉に求めるならば、「同じ高校生を相手にするのだから、能力が大きく違うわけではない。最後は精神力の差になる。そして、その精神力は日々の練習によってのみ鍛錬される」と喝破する点にある。
 当然であるが、厳しい練習に生徒がついてくるためには、指導する側に、それだけの魅力や引きつける力がなければならない。生徒に日々感動を与える力を教師自身が有していないと、生徒は途中で挫折してしまうかもしれない。校長はかつての経験を次のように振り返る。
これまで何度も壁にぶつかってきたし、逆に生徒に教わったこともある。決勝戦で敗れてしまった翌朝、テニスコートの近くの宿舎で寝ていると、ボールの音がポンポンとする。昨日敗戦でうなだれていたはずの生徒が、来年こそ勝ちましょうと言ってきて励まされたこともあった。諦めない気持ちを教わり、実際にその翌年に優勝することができたのです。
 松谷校長は、スポーツでも勉強でも面白さを伝えることが結局は強くなることにつながるのだ、と語る。そして、いよいよ校長として、授業にもリーダーシップを発揮し始めたと周囲の先生は期待をもって話してくれた。それは、生徒の「学ぼうとする力」に働きかけることである。

 

「学ぼうとする力=興味と関心」を引き出すPBL型の授業

 文大杉並では、学びを「学ぼうとする力」「学ぶ力」「学んだ力」という三つの側面から捉えている。そして「学ぼうとする力」を伸ばすために、授業の最初の5分間に必ず生徒の好奇心を引き出す工夫をするように徹底されているのだそうだ。一見シンプルな工夫であるように思うが、校長がリーダーシップを取ってこれを実施していることの意味は大きい。というのも、授業をする先生にクリティカルな視点が埋め込まれ、そして、それが個人技ではなく、システムとして機能するようになったことを意味しているからである。

 授業という場は、ともすると誰も口を挟めない聖域になりがちである。凄い授業を行う先生がいても、それがなかなか他に波及しないことがある。システムになるかどうかはひとえにリーダーにかかっていると言ってよい。その点、かつてテニス部を全国レベルに導いた松谷校長の手腕は折り紙つきだ。信頼をベースに進めるリーダーシップの手法は、確実に文大杉並の先生方に浸透しつつある。

 松谷校長の考えが浸透しているとすぐに分かったのは、実際に校舎内の授業を見学させていただいた時である。ある中学校1年生の国語の授業では、自分が調べた漢字の意味を黒板に書き、皆の前で発表していた。また地理の授業では、生徒の興味を引き出すためのビデオを流していた。英語の授業でも、映画の1シーンを流して、そのセリフに使われているワンフレーズから英文法を学ぶなどといった工夫が行われるという。生徒の「学ぼうとする力」を引き出そうとすれば授業は自ずとPBL型になっていくわけである。

第1回21会カンファレンス 閉会メッセージ

閉会のメッセージは、総合司会平方邦行先生(工学院大学附属中学校・高等学校校長)から。平方先生は、一般財団法人東京私立中学高等学校協会の副会長でもある。政財界の人脈も広く、教育のみならず政治や経済にも20世紀型発想から21世紀型発想にパラダイムをシフトするように啓蒙活動をしている。

特に文科省に対しては、誠の道を説いている。ひとり工学院のためのみならず、私立学校そして日本の教育のために日本全国そして世界を奔走している。それができるのは工学院の先生方が日々校長を支えているからでもある。それから、生徒たちもそうだ。この間うかがった折、廊下ですれ違った中学生たちが、平方校長は教育のプロだよ、この間の話は感動したと話していたのを思い出した。日々の信頼が、社会の信頼を形成する。

今回のカンファレンスの会場も、富士見丘学園をお借りした。当たり前のように富士見丘学園の多くの先生方が前日から会場設営に汗を流し、当日は参加者をもてなしてくださった。そして会場の撤収作業もおこなってくださった。子どもたちの未来を思う教育者のこのボランティア貢献精神に支えられていることを私たちは絶対に忘れてはいけない。これは、政財官学の人々には、わからない奥行きの深い人間の条件なのである。労働と仕事と活動はそれぞれ違い、豊かに広がっている。

しかし、一般に働くことは労働という意味でしか日本人はとらえられなくなっている。アルザスのシャープのフランス人前社長が、働く意味の文化的な差異を互いに理解し、深めていくリベラルアーツの素養がないと、グローバル企業は成功しないよと語っていたのを思い出す。私立学校の先生は、このリベラルアーツを身に染み込ませているのである。man for othersを体現している先生方に心から感謝申し上げたい。(by 本間勇人:私立学校研究家)

皆さま、長時間にわたり、「第1回21会カンフェレンス」にご参加していただきありがとうございます。何度も申しましたが、21会はPIL、PBLの授業を目指し、そして、グローバル、イノヴェーション、リベラルアーツ、これらをすべて視野にいれて学校づくりをしていこうということが原点にあります。

そういう学校であれば一緒にやっていきましょう。21会の新しい市場をつくることも大きな使命だと思っているので、これからもいろいろなことを発信していきましょう。

・21会の志す「21世紀型教育」はGIL(Global×Innovation×Liberal arts):グローバル教育、イノベーション教育、リベラルアーツを統合した人間教育。
・21会の実践する「2つの授業」=PIL×PBL
①講義に対話を導入するPIL(Peer Instruction Lecture)型講義
②・問題解決型のPBL(Project based Learning)の学び

 

 

 

 

 

 

 

Tags: 

21会校コラボ始まる 工学院×聖学院 PIL型授業そして思考力テスト

第1回21会カンファレンスが終わるや、参加していた21会校の先生方があちらこちらに結集して、学習組織化し始めた。ピーター・センゲとデビッド・ボームの「対話について」が目の前に立ち上がったのは驚愕だった。その学びのチームの一つが、工学院大学附属中学・高等学校と聖学院中学高等学校(以降工学院、聖学院)の先生方によって形成され、昨日6月3日(月)にはすぐに活動開始。カンファレンスは5月31日(金)の夕刻行われたばかりなのに、なんという俊敏力。スタートの様子をご紹介しよう。(by 本間勇人:私立学校研究家)

 

島田浩行高等学校教頭(写真)に、こんなに速く21会校コラボレーションができるのはなぜか尋ねてみた

「今春、平方校長が就任して、わたしたちの大切にしている『挑戦・創造・貢献』の教育が、さらなる発展をするという直感が学内に広まりました。最初校長が語る、PIL(ピアインストラクションレクチャー)型授業だとかPBL(プロジェクトベースドラーニング)型学びというのは、それぞれに教師が創意工夫はしていましたが、そのようなキーワードで統一してはいませんでした。ですから、授業の方法までメンタルモデルとして共有していませんでした。

それが、今の教育のままでは日本はダメになってしまうだろう、この一年、とくにこの半年で国も教育再生実行会議の方も21世紀型教育の方に大きくシフトしている。私学が取り組むべき内容とはかなり違うが、時代を創るビジョンであることに間違いはないと、私たち教師から保護者、生徒にまでこんこんと語られるので、自分たちのやってきた教育の重要性・先見性・責任性を強く感じました。

そして21会カンファレンスに参加して帰ってきた教師が、21会の各校も、まだ21世紀型教育を完全に仕上げているわけではなく、これから発展させようと正直にプレゼンしていたのを受けて、自分たちもできると気づいたし、共に生きるという平方校長の理念がスコンとはいりこんできて、すぐに共鳴した聖学院の先生方とコラボレーションを始めることになったのです。」

工学院と聖学院の英語科主任が互いの授業を見学し合った

第二言語習得論を研究し、その資格も有している工学院の英語科主任道家幸子先生は、高1の英語の授業を公開。デジタル教材を活用しながら、聴覚・視覚を使ってスラッシュリーディングなど、記憶と認知のストラテジーを披露。

このストラテジーをさらに生徒と生徒のピアインストラクション(対話あるいは教え合い)に適用し、理解を深め、わからないところは生徒が質問をするというシークエンスで授業は展開した。従来の訳読中心で構文暗記の英語の授業とはかなり違う。

大学入試には構文暗記が欠かせないからという考え方も広く高校英語界では支配されているが、ピアインストラクションを導入することによって、構文を直接教え込むのではなく、メタ認知という間接ストラテジーで、生徒自身に構文の認識が生まれるというSLA(第二言語習得論)タイプの学習戦略をとっている。

一方、聖学院の高橋一也先生は、自らの研修日とあって、工学院を訪れ、中1の英語の授業を行った。工学院の多くの先生方も見学しにやってきて、研修授業さながらになっていたが、いつもの高橋先生の授業そのものであったのは、さすがである。

高橋先生は、生徒も驚くほど美しい英語を話す。アメリカの大学院で研究していたということもあるのだろう。そして電子ボードを巧みに活用されるのもいかに使い慣れているかということの証明であるが、高橋先生は鉛筆と消しゴムと同じ感覚で活用しなければむしろ生徒の学習を阻害するという持論を持っている。そして、だからこそ電子ボードがツール以上に意味はないのであると。授業は内発的モチベーションをいかに燃やすかにすべてがかかっていると。

そこで、道家先生とシンクロしているかのように、ピアインストラクションを行った。生徒間の対話はやはりモチベーションを燃やすようだ。そして何組かにデモンストレーションをみんなの前で行ってもらった。一番目は、高橋先生と生徒で、そして握手。生徒にとって高橋先生は初対面の先生だったが、この瞬間に高橋ワールドに引き込まれてしまっていた。

クラスを学習の組織にするには、チームワークとビジョンの共有となんといってもシステム思考。そのためにマスター制度という高橋先生独自の学びの手法がある。速く問題が解けた生徒は、マスターの腕章を付加され、マスターになって他の生徒に教えるである。ここにシステム思考の種が撒かれる。そして、マスターの役割こそ自己マスタリーのトリガーになるのであると。

相互見学のあとにリフレクション コラボの醍醐味

コラボレーションのだいご味は、振り返り。高橋先生の授業を工学院の先生方も参入して対話を行った。互いに奥義が公開されたわけである。

 

中1と高1では、学びの構造も複雑になるし、学び方も異なるので、CEFR(セファール)のような学びの成長基準などを活用するのがよいのではとか、構造は大事だが、それはあくまで構造化する構造というメタ構造への気づきが重要であり、構文を暗記させるという意味ではないとか、生徒のモチベーションを持続させるには、外発的動機付けから内発的動機付けにいかにシフトさせるかであるとか・・・。様々な議論が噴出。今度は道家先生方が聖学院を訪れるとのこと。未来への希望が交換されて散会となった。

思考力テストの協働研究

その後、聖学院の数学科主任の本橋真紀子先生もかけつけ、今度は工学院の司書教諭の有山裕美子先生と「思考力テスト」の研究がスタートした。この思考力テストは入学試験の一つとして今春聖学院で行われた。このテストは、従来型の試験とはあまりに違うので、聖学院では説明会のたびに「思考力セミナー」を開催してきた。

ここで言う思考とは、対話のことである。ここで言う対話とは言語を通して考えることである。デビット・ボームはdialogueをdia=through logue=Logosと解説している。二人で話すのではなく、ロゴスという論理であり言葉であり思考であるものを通すという関係のことを対話というのだとしている。したがって、「思考力セミナー」もこの意味での対話を導入してプログラムを開発しているという。それゆえ、平方校長は、PIL型授業やPBL型授業が思考集団を形成したり、創造チームを形成するのに重要なのだと語るのである。

それにしても有山先生のこのミーティングのために準備した「聖学院の思考力テストの分析レポート」15,000字。レポートが展げられたときのミーティング参加者の感動の声はお聞かせしたかった。パッションが共有されるときの雰囲気とはこういうものなのである。

5・31 第1回21会カンファレンス 「21会型学び」

富士見丘学園の教頭大島先生は、教えない教師を続けて30年以上。大橋清貫先生が「21会ビジョン」で語った乗り越えられるべき20世紀型教育をすでに破壊的に創造してきた。富士見丘学園の柔軟かつ多様な学びを構成しているサタディプログラムの一環として「中学生のための哲学教室」を開講しているが、それを紹介し21世紀型授業としてのPILやPBLの展開の基礎を提示。

カンファレンス以前に、すでに授業の展開をYouTubeで公開。21会サイトからアクセスできるように設定。東大の山内准教授を中心に展開している米国トレンドの「反転授業」をカンファレンスで披露することにもなった。(by 本間勇人:私立学校研究家)

まずは、DVDで哲学教室の雰囲気を流した。そのシーンは次のような対話の場面。

「私は誰?」という疑問文は変じゃないか?「あなたは誰?」は変? あなたの方は変じゃない。これはどういうときに使う?相手のことを知らない時・・・。相手のことをあまり知らない時につかう。ならこれは、私のことをよく知らないということ?自分のことをよく知らないと思う人?すると、生徒の3分の1くらいが手を挙げる・・・というシーンををまず流した。

何が重要かと言うと、生徒自身が生徒自身の立ち位置から出発しているということです。一斉授業は生徒の立ち居地を無視して、教師が想定した生徒の立ち位置から出発させようとするところに問題があります。そこが問題だと気づかないできた20世紀型教育はもっと問題です。

というのも、生徒それぞれで、現地点から学習到達目標までのルートが違うのに、従来型の教師はそのルートを無視して、最終到達目標の解説をするからです。

どういうことかというと、教師が予習した内容をどう解説しようか考える。そうすると生徒の立ち居地を無視した解説が始まるわけです。このような教えることは不毛だと思うのです。

一点は、生きた知恵にならないから。知識は伝わるが、生徒がそれを自分のものにするのは難しいからです。もう一点は本来なら生徒が自分の立ち位置から学ぶべき目標まで自分の足であゆんでいくものなのに、説明することによって阻害してしまっているからです。

自分で考えて到達できる喜びを感じられない。自分の足で最終目標まで来た生徒は、あとからその自覚を持ち、授業をおもしろいと感じるものなのに、その喜びを奪うことは問題です。だから、教師の役割は3つあります。もっとも大事なのは問いを発すること。問いが思考を規定するから。

例えば「なんでせかいいちにならねばいけないか」という問いから発せられる問いが導く思考と、その質問を発する資格がある人は誰ですかという問いから発せられる思考は当然異質。教師の力量は発問。一番いいのは集団がうすうす感じている疑問の中核に突き刺さる質問をすること。その瞬間にグループは思考集団にかわる。

発問がよければいいのかというとそうではなく、その次に発問によって促されて出てくる生徒との話の整理をする必要があります。なぜなら授業時間は決まってて最終的な到達目標地点が決まっているから。つまり対話の方向性を作る必要がある。具体的には問いに対する正確な答えが返ってきたら、それに対してまた問いを発してさらに深い思考へ導く。その際対話のコントロールをするという役割です。

3つめはムード(雰囲気)を作ることが大切。どんな質問でもウェルカムなムード。私は27歳以来教えない教師だが、教えない授業で大事なのは対話だと思って今に至っています。なお、先ほどのビデオは資料3枚目にある21会サイトで見られます。

ここで司会平方先生から「PILやPBLの取り組みについて何か考えるところはありますか」という問いが投げられた。

大島先生はこう回答した。「教師対生徒だけの対話はつまらないが、ある生徒の気づきは他のみんなにも伝染する。これは思考集団が出来上がってるということ。しかし全員を飽きさせないためにやはり生徒―生徒間でこっちに飛んだりあっちに飛んだりフレキシブルにできるのが一番自然で美しいと思うので、私もそれを目指しているのです。」

 

 

 

 

 

 

ページ