PBL

聖徳学園― 創造性を解き放つPBL

聖徳学園の伊藤校長先生は、校長就任以来次々と学校外の団体とのコラボレーションを進めてきました。独立行政法人のJICAや大学の研究室、あるいは地元商店街や地域とのつながりも重視するなど、学校全体がまさにプロジェクト学習をしているかのようです。今回の訪問では、中1の2学期に10週に渡って行われてきた「シネマアクティブラーニング」と呼ばれるプロジェクトを見せていただきました。プロの映画監督とコラボレーションし、ICTを活用しながら進めている授業の様子をご紹介します。( by 鈴木裕之:海外帰国生教育研究家)

シネマアクティブラーニングというのは、映画監督である古新舜(こにいしゅん)氏が進めているアクティブラーニングで、映画作りを通して教科横断的な学びをチームで行っていくというものです。聖徳学園では、古新監督を講師として招き、トークノートやApple TV、それにiPadなどのICTツールを活用する形で独自のプロジェクト学習に仕立てています。

伊藤校長によれば、映画を学びの題材にしてみようという着想は、欧米の学校で行われる「演劇(Drama)」の授業から得たということです。台本にあるストーリーを再現するドラマの演出に加えて、「撮影・編集」という観点が加わる分、映画作りのプロセスは複雑になりますが、監督業を実際に行っている古新氏がファシリテーターとなれば、細かな枝葉を落として、核となる部分に学びをフォーカスすることが可能になるはずということで実現したプロジェクトなのです。

この日は、作品を仕上げるための最後の授業ということで、これまでの復習を兼ねて、古新監督が講義をするところから始まりました。小気味よいテンポと歯切れのよい口調で、これまで進めてきた映画作りのプロセスを確認します。生徒を引きつけながら、一斉授業は一斉授業として効率よく進めていく様子は、大手予備校の講師だったという古新監督の腕がさりげなく発揮されているところでした。

復習とリフレクションが終わると、チームに分かれて作品最後の仕上げを行う時間です。アニメーションの撮影を行うチームは教室に残り、その他のチームは撮り残しているシーンを撮影しに、教室から外へと出かけて行きました。

面白かったのは、台本に忠実に撮影をしていくところもあれば、その場のノリを大切にして台本にこだわらないところもあるなど、それぞれのチームの個性が表れてくるところです。中には、演じたいイメージが先にあり、そのシーンを挿入するために台本のストーリーをその場で作り変えているチームもありました。

古新監督は、どのチームのやり方も尊重し、何かを求められたときだけ助言をしていくというスタンスです。決して自分からあれこれ言わないのは、生徒が自分で気づくことに大きな意味があると、体験を重視しているからなのでしょう。

授業見学の案内をしてくださった伊藤校長は、各チームの撮影を見守りながら、「生徒たちは自分たちの映画が作品として完成した後に、一つ一つのプロセスの意味を振り返ることができてくるはずです」と、このプロジェクトの意義をジグソーパズルを完成させる作業に譬え、体験する学びに大きな意味があると強調されていました。

伊藤校長のお話を伺いながら、アウトプットすることで培われる学びの意義に改めて気づかされました。学びというとついインプットに焦点を置き、インプットがあってこそアウトプットができるかのように考えてしまいがちです。しかし、表現というアウトプットの機会が与えられることによって、自分の新たな可能性が開かれていくような学びだってあり得るわけです。

考えてみれば中学1年生は、つい半年前まで受験のためにインプット重視の学びをずっとしてきたのです。知識を持つことの重要性をいわば強迫観念のように刷り込まれてきた可能性すらあります。そのような学習観からすれば、映画作りにおいても、ストーリー構築や演技力・編集技術など、映画を制作する上で必要となる知識や技能を十分に身につけてから作品を制作するという発想をしてしまうかもしれませんが、そのような技能を重視し過ぎると、「上手くできる」ことに囚われて、自分らしい表現が阻害される場合もあるのです。

中学1年生の時期だからこそ、まずは体験しながら表現する機会をあたえようとするところに、聖徳学園の目指している教育の真髄があるように感じます。それは、生徒を教科という枠に閉じ込めるのではなく、自身を解放する方向に学びを転じようという態度です。そして、古新監督という「プロ」が指導にあたるからこそ、逆に、知識や技能を相対化して指導してもらえることもおそらく織り込み済みであったことでしょう。

まずは自分達のやりたいようにやってみる。そこから学びが始まるということがこのプロジェクトの意義であるわけです。

ICTは、このプロジェクトでも大活躍でした。ICTの環境をバックアップする横濱先生は、伊藤校長や古新監督と非常に良好な関係を築いていることがよくわかりました。授業の狙いや学校の目指す方向といったものを素早くキャッチし、一を聞いて十を知るが如くに必要な環境を整えていくのです。

技術的な興味関心を中心に考えるICT関係者も多い中で、授業に参加する先生や生徒たちの目線に立つことのできる横濱先生は非常に貴重な存在だと言えるでしょう。

iPadは、一人に一台が渡されているので、カメラを2台設置して違うアングルいから撮影することもできるし、一人が台本通りの撮影をしている一方で、その撮影シーンをメイキング映像風に撮るということも可能になります。撮影したものを違うチームにも共有する際に有効なのがApple TVです。また、トークノートというSNSはここでも大活躍していました。チームの打ち合わせは、トークノートを利用して授業前に共有されているから、授業時間は撮影等に有効活用できるのです。

ICTもまた自己を開放し表現するための強力な道具です。YouTuberを人気職業に押し上げるほど映像制作を身近なものにしたiPadやiMovieは、表現する行為を特殊な才能を持つ者だけのものから解放しました。一方で、映像制作以外の才能を発揮する人を活かすこともできるのです。絵を描くのが好きな子は絵を描くところを動画に撮って公開することができるし、野球が好きなのであれば、やはりその自分らしさを記録することもできる。

このようにして出来上がった生徒の作品は2学期の最後に上映会という形で発表され、いったん完結します。しかし、伊藤校長の頭の中では、次のピースがまた用意されていることでしょう。6年間の学びは、ジグソーパズルのような大きな完成図へと向かっているのです。

和洋九段女子 探究型アクティブラーニングの挑戦<2>

和洋九段女子のPBL型アクティブラーニングは、3つのscaffoldingがしっかりと形成され、その上に≪higher order thinking≫が展開されていきます。そしてその高次思考の重要なポイントは、「コペルニクス的転回」の仕掛けだったのです。
 
 
 

<コペルニクス的転回>

 
1) イメージ
 
宿題などで創造的思考ができる「足場」をつくって、授業が始まるや「30年後の社会はどうなっているのか」まずは1人ブレストとなるわけですが、ここは、生徒一人ひとりが、イメージを膨らませる重要な段階。勝手気ままな想像のように思えるかもしれないが、イメージを膨らませる足場がしっかり準備されているから、論理的な思考とイマジネーションは交差している。生徒がすぐにフロー(没入)状態になるには、考え込むのではなくイマジネーションの広がりがポイントなのです。
 
2) 事実
 
次に30年前の社会を振り返る対話が、水野先生と生徒の間で行われます。社会を支えるルールに焦点が与えられますが、それは現在ではすっかりなくなっているものもあります。つまり、制度設計は社会の変化によって変わります。
 
 
3) コペルニクス的転回
 
過去の事実にしろ、未来社会のイメージにしろ、実は現在のいまこで生活している自分の目で見ているものばかりです。グループでディスカッションをしているうちに、その見方が変わります。
 
しかし、自分が変わるだけではなく、社会のルールも変わることを認識するのです。1人ブレストとかグループブレストとか、「ブレスト」という言葉をキーワードにしていることからも、コペルニクス的転回=クリティカルシンキングが埋め込まれていることは了解できます。
 
今回は、自分が変わることと、時代が変わることの相関性についてはディスカッションしませんでしたが、いずれ、このようなPBL型授業が進行していけば、多様なものの見方をするようになった「自分軸」と時代の変化の関わりに気づくはずです。
 
天動説から地動説にパラダイムシフトすることによって、政治経済、自然科学、価値意識など大きな転換を果たしたように、自分と社会の変化の関わりは、大きな価値の転換に導くでしょう。
 
和洋九段女子のPBL型アクティブラーニングは、キャリアデザインも行われているということだと思います。
 
 

<学びの空間>

 
このように、≪higher order thinking≫のトレーニングのみならず、成長思考と訳されるGrowth Mindsetやものの見方を180度転回させてしまう価値の大転換まで生まれるPBL型アクティブラーニングを可能にしているものは、実は学びの空間のデザインによるところが大きいのです。
 
1) リアルスペースとサイバースペース
 
1人ブレストやディスカッションのシーンは、自問自答や対話を通して考えるシーンですが、同時にiPadでサイバースペースに入り込むし、フュ―チャールームの複数枚の大画面に投影されたサイイバースペースは、不思議な空間です。リアルな空間とサイバーな空間が交錯して、非日常空間が構成されているかのようです。
 
 
ここで重要な生徒たちの気づきは「可視化」ということです。自問自答をアウトプットして大画面に投影して可視化することによって、シェアができるのです。実はこのシェアは、フュ―チャールームだからこそ一瞬のうちにできます。一人ひとりが自分の考えをiPadに打ち込むと、全員の表現が一斉に投影されます。
 
まるで、リアルスペースとサイバースペースの交差が、時間をショートカットするかのような錯覚に陥りますが、それは錯覚ではなく事実です。今まで答案を集めて、印刷して共有するまでにどれだけ時間がかかったか計り知れません。それに、面倒だから、代表者の表現を共有するだけのケースが多かったのではないでしょうか。これでは、一人ひとりの才能を開花できません。
 
2) スタジオ
 
プレゼンする時は、スタジオに早変わりです。大画面に投影されたものを背景にスピーチする雰囲気は、あのTEDさながらです。プレゼンテータ―も凛として話します。聴く側も真剣です。話すとは考えることです。聴くとは考えることです。でも、それはそのような脳の働きを刺激する空間がデザインされているから可能なのです。
 
 
3) アフォーダンス
 
フュ―チャールームは、ICTの環境が先進的であるばかりか、机も可動式で、チームを作るときも個人で作業する時も、自由自在です。あるときは、1人集中して自問自答し、あるときは友人と対話をして、多角的に考えます。あるときは、大画面が映画館のように度迫力の映像を流します。あるときは、スタジオに切り替わり、TEDよろしくプレゼンに燃えます。そして聴く側は賞賛します。
 
これらは、普通教室ではなかなかできません。なぜでしょう。空間がファシリテーションしてくれないからです。PBL型アクティブラーニングは、教師やスタッフがファシリテーターになるだけではなく、時空もファシリテーションするのです。
 
空間や時間が思考を促し深めていくという技術が、実は建築の世界やアートの世界ではよく使われます。心理学では、この時空に埋め込まれた仕掛けの作用を「アフォーダンス」と呼んでいます。
 
 
水野先生のPBL型授業はかなり緻密に計算されて作られています。たいへんな作業ですが、実はこれは空間をスタジオと見立てれば、リハーサルということになります。リハーサルのないコンサート活動はありません。リハーサルのないメディア芸術祭もありません。教室は学びのアート空間です。であれば、リハーサルがあるのは当然です。
 
リハーサルの出来が、本番の学びを成功に導くカギです。リベラルアーツ・ルネサンスとはどうやらバックヤードとか舞台裏が極めて重要だということでしょう。
 
 
そして、どんなパフォーマンスも終了したら振り返りをします。水野先生は、授業終了後、中込校長と新井教頭と3人で、リフレクションをしていました。PBL型授業への挑戦は、教師どうしの同僚力が欠かせません。教職員一丸となって21世紀型教育改革に取り組む熱い意気込みが伝わってきました。

和洋九段女子 探究型アクティブラーニングの挑戦<1>

和洋九段女子中学校高等学校(以降「和洋九段女子」と表記)は、今年2016年の春から本物21世紀型教育を推進する学校としてある意味大胆な21世紀型教育改革を行っています。
 
この改革の1つの柱は、知識注入型の授業から高次思考≪higher order thinking≫を促進する授業に変わることです。和洋九段女子は「探究型アクティブラーニング」に挑戦しています。by 本間 勇人 私立学校研究家
 

<3つのScaffolding>

 
水野先生のPBL(探究)型アクティブラーニングでは、始まるや「30年後の社会はどうなっているのか」まずは1人ブレスト(個人ワーク)しようという問いが投げられます。いきなり壮大な問いに、見学している方は驚くのですが、生徒はすぐにフロー(没入)状態になります。
 
しかも、この問いはまだ伏線に過ぎず、順を追いながら「トリガークエスチョン」が投げられます。それは、「30年後の社会にはどんなルールが制定されるか?」という社会が変われば制度設計も変わるという創造的思考に高まっていきます。
 
つまり、IB(国際バカロレア)でいうところの高次思考≪higher order thinking≫を活用しながら、憲法12条における人権と公共の福祉の均衡点を探る授業だったのです。
 
 
それにしても、中3で、いきなり≪higher order thinking≫とは、やはり目を丸くしないわけにはいきません。しかし、見学していると、徐々にその秘密がわかってきました。
 
1) 考える足場づくり
 
それは、宿題のあり方に、まず工夫があったのです。2種類のプリントが提供されていました。1つは、丸山真男の「権利の上にねむる者」。もう1つは朝日新聞のAI(人工知能)についての記事。大事なことは、素材が違うにもかかわらず、問いは同じであるということです。①「テキストに出てくる難しい単語を調べなさい」②「テキストを要約しなさい」③「テキストに書かれている内容に対する意見を書きなさい」
 
これは、つまり、「知識」→「理解」→「応用」という≪higher order thinking≫の基礎になる思考力を宿題でトレーニングして、PBL型授業に臨む段取りになっているのです。この思考力こそ≪higher order thinking≫ができる「足場」なのです。
 
 
大事なことは、丸山真男の憲法12条にかかわる内容やAIの記事の内容のみならず、基礎的な思考のスキルをトレーニングする足場を造っているということです。つまり、従来の教育では、Whatが重要で、それをどれだけ記憶できるかが重要だったのですが、PBL型アクティブラーニングでは、思考のスキルとしてのHowも重視されるのですが、水野先生は、それを、「考える足場」として丁寧に組み立てているということでしょう。
 
大学入試でも、文章を読んで、要約して、自分の意見を書く論述問題が出題されています。2020年大学入試改革以降は、さらにこのタイプの問題は出題されるようになるでしょう。ですから、一般には、高校の国語の授業などで、このトレーニングはしっかり行われるはずです。それが、和洋九段女子では、中3の自宅学習でできてしまう段階であるとは、やはり驚愕です。
 
2) Growth Mindsetの足場づくり
 
宿題や1人ブレストでは、わからないことなどがあり不安になったり、限界を感じたりする場合もあるでしょう。そこで、グループブレストというワークが挿入されます。互いのものの見方を歓待するわけです。
 
そして、自分とは違うものの見方・感じ方があることに気づきます。大げさかもしれませんが、生徒にとっては、それは自分の見方が変わる瞬間です。宿題で自分の意見をまとめる作業が、実はここで大いに功を奏するのです。先入観の枠をいったんつくって、その枠を、ここで超えることになるからです。
 
 
枠を超えて発想の自由人になる挑戦こそ、Fixed Mindsetから解き放たれGrowth Mindsetに転換する体験です。挑戦する勇気と立ち臨める自信もまた≪higher order thinking≫の足場になります。
 
3) チームワークの足場づくり
 
このグループブレストは、やがて協働作業にシフトします。リサーチやディスカッション、プレゼンのためのストーリーの編集は、チームで協力し合わなければ成就しません。グループブレストというグループワークは、チームワークづくりに昇華していきます。挑戦、創造、そして貢献という活動のサイクルがPBL型アクティブラーニングの特色です。
 
 
授業の中で、知が豊かになり、リーダーシップも養われます。いわば、PBL型アクティブラーニングは、シリコンバレーに象徴される第4次産業革命時代が最重要であるとみなしているリベラルアーツ・ルネサンスなのではないでしょうか。
 

東京女子学園 学びの空間リフォーム

今年の夏、東京女子学園は、キャンパスの一部の空間をリフォームしました。学内で進んでいる「地球思考ルーブリック」の作成とそれに基づいた「深いアクティブラーニング」を実現する学びの空間をデザインするためです。

PBL型の「深いアクティブラーニング」は、知識・理解・応用を中心とする≪lower order thinking≫を超えて、創造的思考に向かう≪higher order thinking≫をフルに展開します。そうなると、脳だけではなく、末梢神経にいたるすべての脳神経系の循環が起こります。知性・感性・身体性という総合力をアウトプットする空間が必要になるのです。(by 本間 勇人 私立学校研究家)

OJスペースはマルチプルスペースで、まだ虚空間ができたばかりですが、近い将来、教師も生徒もいっしょになって、議論したり、ランチをつくって対話をしたり、もちろんアクティブラーニングなどの学びの空間になります。

なぜOJスペースと呼ぶのかというと、これは生徒たちが名づけました。TOKYO JOSHIのoとJからとって、open とjointの意味を付加しました。また、東京女子学園は東京エリアの中心にあるから座標の「0」の意味も重ねているということです。そして、多様な関数関係を結び付けていくという数学的発想が広がる場でもあるわけです。

今後どのように具体的に展開していくのか楽しみです。

訪れたときは、梅香祭準備のシーズンで、図書館≪PLUM≫(梅は同校のシンボルです)では、図書委員がかいがいしく準備をしていました。この図書館は一面ガラスの壁で囲まれていて、インサイドとアウトサイドの相互浸透性がコンセプトになっています。

つまり、空間とは壁や屋根のような物質ではなく、そこに住まう人間の精神という虚数空間であるという岡倉天心の発想があります。明治以来ずっと欧米の建築家や芸術家に影響を与えた≪私学の系譜≫の発想です。

(オープンな空間の中に静かに読書する精神がやわらかく生成されます)

図書館を一歩外に出ると、これもまた不思議な空間が広がります。

上記の写真のような空間は、オシャレな雰囲気ですが、実はそれだけではありません。ここにはアフォーダンスという、空間のアクティブな働きかけが仕掛けられています。この場所に生徒が集まると次のようになります。

親密な対話空間をデザインする仕掛けが埋め込まれているのです。アクティブラーニングの空間デザインの真骨頂です。

職員室の前の廊下の空間は、床に仕掛けがあります。木目の学びのスペースと歩く廊下の部分には、柔らかい境界線があります。これによって、学ぶ側のインサイドとアウトサイドでスイッチの切りかえができるようになります。このスイッチの切り替えが没頭状況(フロー体験)を作るわけです。

それでいて、教師との対話もオープンにジョイントできるわけです。

そして、なんといってもキャンパスの空間は、生徒自身の作品を展示するギャラリーでもあります。創造的思考の成果を互いにリスペクトしながら振り返ることができるのです。

リフォームは不易流行の流行の部分ですが、不易の空間があってこそです。不易の空間とは、上記写真のような空間をつなぐ入口出口の空間です。茶室の躙り口さながらのスペースで、ここを通るたびに視界がいったん狭くなり、通り過ぎると空間が広がります。つまり、世界の変化を感じる仕掛けになっています。

世界を変える、創るという生徒1人ひとりの創造的精神を豊かにすることが、未来を描いて貢献をする女性を輩出することになるのです。

工学院の深いアクティブラーニング “think, make, share”

2016年7月2日(土)、工学院の実施した第1回中学校説明会の会場は補助椅子を追加するほどになった。新聞、雑誌、テレビなどの各種メディアの取材が殺到している学校だけでのことはある。馳文科大臣まで訪れたのだから、参加者が集まるのは当然かもしれない。
 
しかし、なぜメディアが殺到するのか。ディズニーランドやレゴランドのようなエンターテイメントを行っているわけではない。にもかかわらず興味と関心が伝播している。
 
それは、他の学校では、まだ行っていないモチベーションがアップするイノベーティブな授業が、学校全体で行われているからだ。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
 
教育界のノーベル賞グローバルティーチャーTOP10入りした高橋一也教頭を中心に、昨年から本格的に教育改革に着手した中1・中2の学年の教師は、全員PIL・PBLという深いアクティブラーニングを展開している。
 
もちろん、教師は、中学だけの授業を持っているわけではなく、高3の授業などももつことがあるから、当然その教育改革は、他学年にも波及している。教育改革は3年前から徐々に始まっているから、学内全体の浸透度は、年々速まり深まっている。
 
 
(思考力セミナーの直前まで高3の英語の大学入学準備授業をグループワークで行っている高橋一也教頭)
 
学校説明会では、そのような教育改革の授業のエッセンスを「思考力セミナー」という形式で、受験生が体験できる機会を作り、保護者も見学して共有している。
 
はじめに、レゴで組み立てられた立体図形が2次元で描かれている図形を、側面、正面、真上などから見て、投影図を描いた。
 
次にレゴを実際に使って、組み立ててみた。そして高橋先生は、頭の中で復元した体験と実際に創る体験とでは、どちらがおもしろかったか、考えやすかったかを問いかけた。
 
 
当然、ものを創る体験が圧倒的多数だった。この実感が、工学院の授業の肝だというのは、理屈ではなく、体感ですっと呑み込めたようだった。
 
考えるには柔軟性が大切だが、その柔軟性は言うは易く行うは難しである。そういうときは論より証拠、実際に体験してみる。“think, make, share”のスパイラルが工学院のアクティブラーニングのプロトタイプというのを、理屈で知るのは、学校に入学してからだろうが、受験生はたしかに納得したのだった。
 
さて、頭が柔らかくなったところで、4コマまんがの分析。オチというおもしろさを発見できるかどうかを、3セットを使って体感する。もちろん、アクティブラーニングだからグループワーク。
 
 
しかし、分析して終わらない。最終的には新しい4コマまんがのオチを自ら創る体験。そして“think, make, share”のスパイラルだから、最後はそのみんなで考えたオチをレゴで創り、しっかりプレゼンテーション。各チームのプレゼンはオチを表現しているわけだから、当然会場は笑いの渦になった。
 
最初の一見頭の体操問題も、授業全体を通してみれば伏線になっていた。4コマまんがの理解・分析・創造という深いアクティブラーニングをわずか45分で体験し、知的興奮にわくわくした受験生。その姿をみた保護者も、子どもたちの主体的で能動的な姿に感動していた。
 
 
(高橋先生は、各チームの作品をタブレットでそのまま写真を撮り、プロジェyクターで投影。各チームの代表が順々に見事にプレゼン。この段階ではやくも思考力や表現力を発揮。今後が大いに楽しみである。)
 
ある保護者にたずねたところ「目からウロコです。物を作るは、発言もわいているはで、なるほど考えるというのはこういう感じかと納得しました。自分たちの授業はこうでなかったし、子どもも初めての体験だったと思います」と。
 
 
 
 
 

三田国際学園 学びの質へさらなる進化

三田国際は、偉大な教育改革を断行して2年目を迎えます。インターナショナルクラスのイマージョン教育は、日本の教育界に大きなインパクトを与えました。そして今も与えています。英語をオールイングリッシュで行うばかりではなく、理科、社会、数学までもオールイングリッシュで行うクラスができたからです。言い換えると、いわば一条校としてのインタナショナルスクールの糸口がそこに生まれたからです。

また、昨今トレンドになっているアクティブラーニングも、相互通行型授業あるいはPBL(=Problem based Learning)として、当然展開しています。ただ、このPBLは、驚くべきことに、インタクラスのみならず本科クラスすべての授業で行われているのですから、驚愕の振動が日本全国に走りました。

そして、さらに驚くべきことは、改革2年目を迎える中2のPBL授業がDeep Active Learning(深いアクティブラーニング:以降「深いAL」)に進化したのです。世の中がやっと、Surfacce Active Learning(浅いアクティブラーニング:以降「浅いAL」)に到達しかけている時に、先鋭的な深いALに突入したのです。(本間勇人:私立学校研究家)

(生徒がプレゼンした後、ポール先生はリアリスティックアプローチの問いかけをします。これが生徒の才能に火をつけます。)

見学したインタークラスは、ポール先生の理科の授業でした。中2は、インタークラスが3クラスありますが、ホームルームクラスは、CEFR基準の英語のレベルでいうと、B1レベルの生徒もC1レベルの生徒も混合ですが、各教科の授業の時には、全教科イマージョンで授業ができるクラスは、B2レベル以上の生徒が集まります。

ですからインタークラス3クラスとも、同一時間に理科の授業が行われますが、英語と日本語の違いはありま。もちろん、理科の授業はすべて深いALであるPBL授業です。

2時間続きの授業なのですが、ポール先生の授業は、一般の日本の授業とは違います。2時間続きというと、普通は同じテーマを1時間では終了しないから2時間続けて行うという連続型授業を思い浮かべるでしょう。

ところが、ポール先生の授業は、2つのプロジェクトを2時間の授業に割り当てています。実はこれが深いALの極意です。1時間目の授業は、ゴルフボールやバレーボール、サッカーボールなど複数のボールをその特徴によってカテゴライズするプロジェクトです。いろいろな分け方があるじゃないかと思うでしょう。そうです。それでよいのです。

生徒によっては、道具を活用するしない、ソフトかハードかなど、基準は様々です。日本のこの手の教育は、正しいカテゴライズの方法があって、全員にプレゼンさせながら、正解を絞っていきます。いくつかの生物のカテゴライズなど、正解が決まっているものを、全員がプレゼンしたとしたら、何人も正解を語りますから、聴いている方はつまらなくなります。

ところが、素材が多様なボールです。教科書にあるわけでもないですから、いろいろな切り口、すなわち基準の立て方で、解答は何通りも出てきます。ポール先生にこのプロジェクトの目的を尋ねると、「カテゴライズの方法を自分の基準でつくる試行錯誤こそ科学的な思考ですからね」と。

科学は知識を憶えることではなく、それはインターネットというグローバルブレインで調べればよいわけで、最も重要なのは基準を自分でつくり、公開し、協働して、議論して検証していく過程であるというのです。

全員がプレゼンしても、みな解答が違うので、聴いてる方も興味津々。自分とどう違うのか、思考は回転しっぱなしです。そして、何より重要なのは、プレゼン直後、ポール先生は、生徒がたてた基準と分け方の齟齬があれば、そこを問いかけます。パーフェクトでも、他のボールを提示して、どう分けられるのか、応用が効くかどうか問いかけます。論理的思考、クリティカルシンキングが創造的思考を思い付きではなく、確かなものにしていきます。

これが深いALとしてのPBLの奥義です。このソクラティックメソッドは、なかなか日本の教育では導入しにくい難しい教授法なのです。

2時間目のプロジェクトは「ヘルシーダイエット」です。体重を減らすためのプロジェクトではありません。健康を持続可能にする食事のメニューを考えるプロジェクトです。米国のマクドナルドのメニュー(日本のメニューには細かいカロリーの記載がありませんが、米国では一覧票になって公開されています。そういう法律に従っているわけです)をつかって、朝昼晩、1週間のヘルシーダイエットメニューをチームでデザインするPBL授業です。

このプロジェクトは、1時間目のボールのプロジェクトとは違い、かなり綿密なリサーチ、複雑な条件の整理、どのメニューは最適なのか検証していく議論が必要です。ボールにしても、マクドナルドのメニューしても、すべて身近な事象や現象をいかに科学的思考に変換するのかというのは、プラグマティックな欧米のサイエンス教育の特徴です。

IBのディプロマにしろAレベルの学びにしろ、それは共通しています。最近日本の科学教育も形態だけは似てきていますが、そこにはソクラティックメソッドがありません。科学的思考を複合的に組み立てていくプログラムが存在しません。

これはアクティブラーニングの場合も同じです。京都大学の溝上慎一教授は、ノエル・エントウィルス(エジンバラ大学名誉教授)の成果に拠って、そのような形態だけのアクティブラーニングを浅いALと呼びます。これに対し、コンペア・コントラスト、コーズ・エフェクト、カテゴライズ、反証可能性などの思考の質を生徒が協働しながら自分の物にしていくポール先生のようなアクティブラーニングを深いALと呼んでいます。

中1のときに学問の三要素、好奇心、開放的精神、なぜだろうという問いかけを徹底的に体験してきた三田国際学園の中2生は、いよいよ学問的探究世界に突き進む質の高い学校生活を送ることになったのです。

富士見丘 LINEと静岡大学とコラボ

富士見丘学園は、21世紀型教育を実現する1つの足がかりとして、SGH構想にチャレンジしている。このチャレンジの中で、起こっている教育イノベーションは、多様であるが、1つはPBL(プロジェクト型学習)を活用したグローバル教育。

吉田晋校長は、グローバル教育というからには、教師は、生徒とともに世界に直接つながるリスクテイカーでなければならない。そしてPIL×PBLというのは、そもそもIT企業のイノベーションを生み出す時の手法として大いに発展してきたのであるから、私たちはそのようなIT企業と連携しなければならない。

しかもそのようなIT企業はネットワーカーだから、教育とコラボしようとすると、必ずその道の達人にアクセスし協力を仰ぐ。今回もLINE株式会社という4億7千万人のインフラになっているSNS企業と静岡大学は協力している。

それだけの会員がいるということは、市場として健全であることをすでに証明している。ただ、インフラは自動車も上下水道もそうだが、使い方を間違えると交通事故や交通渋滞はおこるし、上下水道汚染などもおこってしまう。LINEというツールを正しく使い、世界とつながり、視野を広め、問題意識を深めて探究活動を行っていくのは富士見丘の教育活動と共鳴するところである。

かくして、富士見丘の教育理念とLINE株式会社と静岡大学の教育工学の塩田先生の想いがシンクロして、SNSを活用して楽しくコミュニケーションする方法をめぐるワークショップが始まった。

IT企業はブレイクスルーための会議はお手の物だから、「トリガークエスチョン→個人ワーク→PIL→PBL→プレゼン」という小さいサイクルを何回も回転させていくワークショップは、実にシームレスに自然に展開した。

トリガークエスチョンは、複数枚のカードを並べ替える個人ワークから始まる。まずは、自分が言われたら嫌だと感じるフレーズを嫌な順に並べるという投げかけ。

与えられたカードには、「まじめだね」「個性的だね」「おとなしいね」・・・など一見するとネガティブフレーズではない。しかし、「個性的だね」というフレーズなどは、場合によっては言われたくないと生徒は反応。

個人ワークの後、みんなはどう思ったか情報交換がはじまる(PIL×PBL)。そして、どんな話し合いになったかプレゼンする。このサイクルが何回も繰り返されていく。そのたびに、トリガークエスチョンは少しずつ複雑になっていく。

このトリガークエスチョンのシナリオは、おそらく塩田先生のアドバイスがあったと推察する。というのも、ことばが、辞書的な意味のみならず、感情や行動を喚起したり連想に思いはせたりするきっかけであり、それゆえ誤解や理解のギャップが生まれるという発想は、エスノグラフィーやエスノメソドロジーという文化人類学的・社会学的成果であるからである。これは教育工学的には「最近接発達領域」ということになる。

こうした学問的見識とIT企業のネットワークインフラスキルを統合することによって、はじめて教育において情報倫理の無危害原則が実感できる。

吉田校長は、生徒にこう語る。

「リスクテイカー、挑戦するというのがグローバル人材ということだ。グローバリゼーションとITは今ではどちらも欠かせない社会的条件。正しく使えば、恐れることはない。すでに携帯やスマホの持参も認めている。学校では、特別なことが無い限り、朝集めるというルールはあるけれど、正しく使えば、自分の身を互いに守るネットワークにつながっているということだ。

世界につながるコミュニケーションがみなさん1人ひとりの才能を開花するリソースになる。そのチャンスを手に取ろう」と。

かくして、グローバル教育は、グローバル企業であるIT企業とそれをサポートする大学と連携することによって、生徒のソフトパワーを強化する象徴的ケースが富士見丘で展がっているのである。(本間勇人:私立学校研究家)

工学院 PIL×PBLで数学的思考

工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)は、世界標準の教育を目指している。そのためには、授業改革が最優先事項であるとし、講義型→PIL×PBLにシフトしている。すでに国語と英語と化学はそのプロトタイプづくりに着手している。社会科は新聞を活用した大型のプロジェクト学習が確立している。

当初数学は難しいのではないかと思われていたし、多くの学校でもそのイメージが濃厚である。ところが、工学院の数学の先生は、次々と翼を広げ飛びたっている。by 本間勇人:私立学校研究家

奥津先生(進路指導部部長)は、個人ワークシートとグループワークシートに小さくそして大きな飛躍のための仕掛けをする。生徒は個人ワークのときは、演習さながらであるが、それがグループワークになったとたんに、演習という具体的な体験から数学的発想へと一般化する議論をしていることに気づく。

一般化を組み立てるにはどうしたらよいのか。議論は尽きない。あるところまで来たら、黒板に各チームの結論を集約する。すると、意外にも数学でもいろいろな考え方がある。

結論に関して当然証明をしなければならないから、生徒たちはプレゼン。直感的な説明が多い中、2つ見事な論理が発表された。1つは、個人ワークの時に解いた具体的な問題を活用して帰納法的に結論付けた。

もう一つのチームは、「1としたほうが計算上の都合がよいからである」と。クラスのみんなは、あっけにとられたが、奥津先生は満面の笑みを浮かべて、それでよいのだとその段階でやっと説明に入った。

数学的発想は、具体的な事象や現象から法則をみつけルール化するのであるが、そこが科学と微妙に違うのは、ルール化は関数化するということ。演習では与えられた関数方程式を解けばよいのだが、本来はルールを成立させるための関数を創造することなのである。

奥津先生は、「大学入試に合格することだけ考えれば、与えられた関数や問題の解法がわかればそれでよいのですが、やはり世界標準の数学は、自分で関数方程式を創れるかどうかです。そのとき、0と1と無限をどのように置き換え操作に活用するかが問われます。PBLによって、発想が違うけれど、そのときどれが一番合目的かという議論をすることこそが重要です。そのような発想を体験している生徒は、実は大学入試問題にも取り組みやすいのです」と語る。

鐘ヶ江先生(数学科主任)も、徹底的に「差異」の意識化を重視する。対数方程式と対数不等式の条件はどう違うのか。解き方を教えるだけではなく、PIL(ピアインストラクション)という話し合うチャンスを通して、「ああっ!」とか「なるほど!」という気づきを実感する授業を展開する。

鐘ヶ江先生と奥津先生の授業の大きな違いは、教師の役割である。鐘ヶ江先生は、「それはクラスのチームワークづくりの出来具合の違いによって違ってきます。クラスは個人でありチームですが、そのバランスが個人に偏っている場合と、チームに偏っている場合、バランスが良い場合とでは、教師のロールプレイは自ずと変わってきます」と。私が見学したときは、鐘ヶ江先生は学習カウンセラー的役割を、奥津先生はクラス全体の構成をファシリテートする役割を果たしていた。

高3の数Ⅲを担当している三浦先生も「ここまで来るのに試行錯誤しましたが、今は私は見守っているだけです。PBLの手法には生徒はすっかり慣れて、自分たちで問題を解く議論をして、プレゼンします。もちろん、ときどきサラリと通り過ぎているところを止めて、どうしてそうなるのか?ショートカットするのではなく、開いて説明するように求めます。ショートカットしているので、当然説明ができるはずなのですが、自動化して論理を説明できない時もあります。そのときは私の出番です」と。

今回も式の過程で、「0になるので」とショートカットした部分があったが、そこをどうしてなのか三浦先生は問いかけた。

すると、見事に式の関係を図に置き換えて論理の説明をした。三浦先生の見守るだけの数学の授業とはこういうことなのかと実感した。

工学院の数学の挑戦は、0と1と無限と数学的置き換え操作を組み立てる数学的発想をベースにしているということが、よくわかった。たしかに世界標準だし、数学を最高の学問としたプラトン時代のアカデメイアの雰囲気さながらだと感動した。

 

 

 

聖学院PBL 英語でドラマエデュケーション

聖学院の高橋一也先生は、聖学院21世紀国際教育部部長であり、英語の先生であり、edutechnologistであり、またあるときは、レゴ学習プログラムデザイナーであり、その指導手法は、ストーリテーラーであり、ファシリテーターであり、コーチであり、現代思想家であり、またあるときはデータ-サイエンティスト。何よりオーセンティックな教員である。

学習プログラムデザイン手法は、きっちり講義スタイルの時もあるし、PILのときもあるし、PBLのときもあるし、マルチタレントを発揮する。今回は英語でドラマエデュケーションの授業を取材した。by 本間勇人:私立学校研究家

いつもの高橋先生の授業では、電子黒板やパソコン、レゴなどいわゆる21世紀型スキルを自在に活用しているマジシャンのような姿がまぶしいのであるが、今回はICT機器は一切使わず、感覚と心情と論理と表現と英語と身体などすべてを自在に結びつけるドラマの授業を行っていた。

中3のこの時期であるから、いきなりシェークスピアをやるわけではなく、まず「状況」を表している英文を読んで、スキットをグループワークで創作する授業。英語のストーリーは、論理だけではなく、意味のズレを活用したユーモアがあふれるオチが必要。

しかもそれは棒読みではまったくユーモアはあふれない。身体と声と心を、参加者と共振する場を作らなければならない。

授業はアクティブでインタラクティブでクリエイティビティの要素がなければ、生徒はワクワクしないし、モチベーションはアップしない。しかし、ただそれだけでは、モチベーションは持続しないし、実は生徒の才能が開花されるかどうかは偶然の成り行きになってしまう。

だからといって、リサーチやディスカッション、エッセイのトレーニングにシフトすればよいかというと、それはそれで急にモチベーションは下がり鬱屈としてくる場合もある。

逆に20世紀型の古い講義でも、モチベーションの高いクラスを形成するのは可能だと語る。

(ストラスブール大学から博士課程3年の研究生も参加。CEFRのDPを取得していて、フランス語と英語の教師の資格も持っている。高橋先生のネットワークはたしかに国際的だ)

たしかに型は、アフォーダンス的心理効果があるから、刺激的だが、それだけに頼っていると、パワースーツを着ているようなもので、すべてがなくなったときに、一人の力で地球に立てるのだろうか。

教師というのは、自分にとって都合の良い環境で授業を行うのではなく、そうでない逆境においても生徒が生きていける力を身につけられるようにプログラムをデザインするものであると。

その場においても、生きる自信、諦めない勇気を持続できるのは、サポートのない状況で、しかも限られた時間で、閉塞状況を打破する体験シミュレーションを積み上げるのが一番であると。

(同僚ディーン先生とのコラボ授業でもある)

グローバル社会でパフォーマンスとかプレゼンテーションといったとき、日本人はとかくハイコンテクストにこだわるが、どんなに質の高いストーリーもスピーチも最初の30秒で、魂を伝えられるかどうかにかかっているというのが高橋先生の持論。

そのうえで、おもしろいストーリー、そして機知にとんだオチが教養の豊かさをアピールできるのだと。

そう語りながら、スキットのグループワークをコマめに見守り、同じ意味だけで言葉を選択しているグループに、語用論的文法の視点も問いかけている。徹底的に見守り、気づかせ、考えさせる授業だ。

そして、最後はスキットのパフォーマンス。英語で語り尽くすだけでなく、ユーモアも表現。中3の後半はシェークスピアに挑戦するということだ。また見学しにきたい。

メルテムさんは、この授業に参加してこう感想を語ってくれた。

「聖学院の生徒さんは議論している時にパースペクティブが豊かだと感じました。ふだんから考えたり創作する経験が多いのでしょうね。それに、なんといっても高橋先生はリスクテーカーで尊敬します。フランスでもやはりテキストの枠内で教えることが教師にとって安全で、ここまでアドリブや想定外の考えが飛び出てくる授業を展開するのは、リスクが多すぎると言われています。」

教師というのは、何処も同じ不安や悩みを持っている。そしてその不安や悩みをクリアして、子どもといっしょに未知の世界を歩むリスクテーカーとしての教師は、これまた国境を越えて共感し合えるのだと実感した。

授業を通してグローバルネットワークができる。これぞグローバル教育の真骨頂ではないだろうか。

 

 

桜丘 未来への翼とコンパス(3)

数学のクラスを覗いてみる。ここでもiPadを使った授業が行われていた。

この教室でも先生の笑顔と元気な声が印象的だ。一人一人に渡されたiPadからは楽しげな電子音が鳴り、子どもたちは教科書を読むように、あるいはノートに何かを書き込むようにiPadを使いこなしている。

説明会で強調された「教育環境」というのは、やはりこういうことだったのだ。iPadは意識されない道具=環境となり、学習者が主体となる。

そこでシェアされる体験は教科内の知識に留まらない。

楽器の鳴らし方や指使いも。そして、スイングや捕球の仕方も。

知識は獲得の対象としてあるのではない。その場に参加した者がシェアし、いつでも参照できるものとして開かれているのである。

そう考えると部活動も授業も同じ時限で行われている意味も分かってくる。何を学ぶかということだけが大切なのではない。誰とどんなふうに学んでいくのか、その教育環境全体に目を向けるのが桜丘の21世紀型教育の神髄であろう。

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