PBL

八雲学園 イエール大学と感動のリベラルアーツ連携<了>

声楽部から始まった音楽による<empathy>は、glee部、軽音楽部、吹奏楽部へと進むにつれて、拡大しダイナミックに展開していった。八雲学園の豊かな音楽活動に改めて感動したが、イエール大学のWhimメンバーのジャンルを超えた音楽性に、あらゆることに好奇心を抱き、領域横断的に<empathy>を響かせる何か強靭な精神性を感じないわけにはいかなかった。

(軽音楽部とロックンロールで弾けた。)

イエール大学との国際音楽交流が始まってすぐにミュージカル部であるglee部が誕生した。最初の一年目は同好会だったが、あっという間にメンバーがあふれ、今では一大勢力の部活になった。そんなWhimと縁のあるglee部だからこそ、顔を合わせるや互いに通じ合うものがあった。

だから、glee部がもてなした曲は、“Dog Days are Over.”.。次の日国際音楽交流でWhimのメンバーがアカペラで歌う彼女たちの持ち歌である。インディー・ロックといって、大衆音楽に迎合しない独創的ロックンロール。オルタナティヴロックで、<Stranger>を<community>にというイエール大学のミッションに合っている。

しかし、日本の中高生でこのような歌に挑戦することはめったにないだろう。イエール大学との出会いがあったからこそだ。ロックなんだけれどクラッシック音楽のようなサウンドで、そんな気品のあるサウンドに日常はもう終わった自分はこれから変わるんだという恋の終焉のt次に立ち臨む生々しい内容が歌われているこの曲に挑戦するなんて!

この背伸びをしたglee部に対し、リスペクトの拍手を贈ったWhimメンバーだが、他の部との交流とは違ったテンションというか緊迫感があった。ただヒューヒューという拍手ではない。「その挑戦に受けて立つわ、ちょっとその歌は早いんじゃない、意欲は大いに認めるけれど、歌は正しく旋律をたどるだけではないの、マインドよ、インディペンデントな覚悟を表現しなきゃね」というような気持ちがその場に広がった。

そして、こう歌うのよとばかりWhimのメンバーは本気を見せた。glee部のメンバーは一瞬圧倒された。ギャップは歴然としていたからだ。しかし、もちろん、Whimのメンバーは、わかったわね、さあいっしょに歌いましょうと、恐縮しているglee部のメンバーを誘った。

glee部のメンバーは、憧れのWhimと共演できるなんてとこの機会を十分に活かそうといっしょに歌った。声だけではなく、全身で表現する見事なアカペラコーラスが展開したのだ。それには思わず近藤理事長・校長も拍手喝采。

そして、「一流は一流を育てるなあ」とボッソと。たしかに、Whimのメンバーはglee部の生徒に、やるじゃない、これからもがんばってとエールを贈っていた。

そして軽音楽部とは、アメリカでも日本でもメジャーな曲を共に歌い合い、大いに弾けた。

歌うってこんなに楽しいのよという変わり身振りに、驚いたが、glee部の時とは違って、すっかりリラックスしてのびのびと歌っていた。その様子が余計に、glee部は、Whimにとっても特別な思いがあることを浮き彫りにした。自分たちのマインドの継承者と認めたから、瞬間的に何かを伝えようとしたのだろう。そこには彼女たちがふだんトレーニングしているクリエイティブテンションがたしかにあったのだ。

そして、いよいよクライマックス。吹奏楽部との音楽交流だ。「美女と野獣」のメドレーでストーリーを奏でるその繊細でときに激しい美しい演奏に、感動を表現するWhimのメンバー。

迫力あるオーケストレーションは、映画のシーンをパッと思い浮かべるに十分だった。それゆえ、Whimのメンバーは、身体や床を打楽器として使い、すばらしいコーラスをお礼に贈った。

それにしても、どのチームと音楽交流をするかで、そのチームにピタリと合った曲を選ぶ様子を見て、ただ美しく歌えば<empathy>が生まれるわけではないということが了解できた。共感するにもディレクションが必要で、Whimにはディレクターの役割を果たすメンバーがちゃんといる。

このような国際音楽交流が可能なのは、Whimと八雲学園がそれぞれインディペンデントな組織力があってこそである。美しさの背景にあるしっかりとした組織。八雲生の学びの本質はこの組織マネジメントにもあったのだとしみじみ感じた取材でもあった。

八雲学園 イエール大学と感動のリベラルアーツ連携③

声楽部との合同練習のとき、<Stranger>から<Community>に移行する<Empathy>が目の前に広がった。イエール大学のWhimのミッションと八雲学園のウェルカムの精神が響き合った瞬間だった。

放課後、声楽部はWhimの学生をもてなした。まず、代表生徒が、ようこそ声楽部へ。明日一緒に歌うことができてワクワクしています。そして、先日私はイエール・ブック・アワードを頂きました。ありがとうございます」と挨拶するや、それはおめでとうと一斉に喜びの拍手が舞った。

もちろん、そのやりとりは英語で。昨年、その代表生徒は、ケルンで開催されたラウンドスクエアの総会に出席し、世界問題を議論してきただけでのことはある。今年はケープタウンに行くのだが、Whimのメンバーのツアースケジュールにもケープタウンの同じ学校に立ち寄る予定がある。当然、話は盛り上がった。

そして、すぐに明日のための合同練習が始まった。まずWhimメンバーが明日合唱する曲である「浜辺の歌」を歌った。楽譜も見ずに、日本語で見事に歌いきった。米国で相当練習してきたのだろうが、それにしても日本語をだれに教えてもらったのだろう。すると、榑松先生が「日本語の楽譜しかPDFで送っていないけれど、彼女たちの仲間に日本語ができる学生がいるのは当然だからね」と教えてくれた。たしかにそういうことかと思ったが、すごいことに変わりはない。

八雲生も驚いたし、果たして本当にいっしょに歌えるのかと喜びと不安のダブルバインドの雰囲気がサっーと広がった。しかし、まず互いにハーモニーの調整をしようということになった。なんと一瞬にしてハーモニーが共振した。不安はスーっと消えた。

そして、すぐに金子先生の指揮で、合唱。歌いながら八雲生が感動しているのが伝わってきた。しかし、金子先生は、日本語の発音を今一度確認するように指示。

イエール大学の学生が、素直に八雲生の指示に従って日本語の発音や意味を確認していく。八雲生のさっきまでの不安は、今度は自分たちにもイエールの学生に教えられることがあるのだと、自信に変わった。<Stranger>が<Community>にシフトした瞬間だ。

そして、再度合唱。なるほどさらに透明感が増した。たった2回いっしょに歌っただけだったが、金子先生はOKを出した。プロフェッショナル!と言う言葉が浮かんできた。

最後に八雲生が「桜」をWhimに贈った。すばらしい大和魂というか八雲魂の響きだった。

イエール大学の学生はうっとりと聞き入り、拍手を返礼した。そして、なんと自分たちも「桜」を練習してきたというのだ。

それは、紛れもなくイエール大学のWhimの「桜」だった。八雲生は、自分たちの「桜」との違いに驚き、すばらしいとリスペクトした。金子先生は、はじめ、八雲生だけが歌うつもりでいたが、同じ「桜」でもこんなに違うということは、何らかのメッセージとして明日共有したいと両者がそれぞれ歌うことにした。

ダイバーシティーが、<Stranger>から<Community>に変わるとは、同じ<hospes>というラテン語から生まれた<hospitarlity(もてなし)>と<hostility(敵意)>のうち、<hospitality>を選ぶという重要な意志決定を意味していたのだ。金子先生のメッセージには、八雲のウェルカムの精神の意味の深さを共有しようということだったと思う。まさにリベラルアーツの真骨頂である。

八雲学園 イエール大学と感動のリベラルアーツ連携②

Whimのメンバーと八雲生が、<stranger>から<community>に変容するにはどうしたらよいか。それは、もちろん、コミュニケーション。毎年、最初は日本文化や日本の食事をいっしょに体験する。しかし、今年は様子がかなり違ってた。

何が違っていたかというと、今ままでは、「英語」を媒介として相当レベルのコミュニケーションをする八雲生は限られていた。したがって、英語ではなく、書道、すごろくなどの日本のゲームを媒介にコミュニケーションをしてきた。

イエール大学の学生のすばらしいところは、日本のゲームを文化として楽しむ好奇心が旺盛なことだ。八雲生もウェルカムの精神で、相手が好奇心を持っている表情をしたら、それにきちんと呼応する表情で応じる。だから、場は和むし、「英語」はカタコトでも、共感することができた。

この「共感」=<エンパシー>が、イエール大学の学長ピーター・サロベイ教授が卒業式の演説で語ったもう一つのキーワードだった。ウェルカムの精神を大切にしてきた八雲学園にとって、イエール大学の学生とは出会うべくして出会う文化的な背景があったわけである。

ところが、今年は何が違ったかというと、「英語」でもきちんとコミュニケーションがとれるようになり、ユーモアのレトリックで互いに大笑いしたり、日本の文化の説明にイエール大学の学生が感動したりしていたのである。

近藤理事長・校長も自然に英語で、コミュニケーションの輪に入ってきて,場が盛り上がった。このようなシーンが、今までになく自然な雰囲気だったのだ。

思い返してみれば、イエール大学の学生との交流が契機となって、ミュージカル部「グリー部」が立ち上がった。菅原先生によると、今では最大規模の部活だそうである。

八雲といえば、もともと英語教育で有名なのだが、授業のみならず、学園生活全体が英語でコミュニケーションすることは当たり前になっていたのである。そして、毎年イエール大学の学生と交流するたびに、もっと自然に、もっとたくさん議論したいということになったというのである。

昼休み、中3の生徒とすれ違ったので、ちょっとインタビューしてみた。このような機会があることは何か意味があるのかとたずねると、「言葉ではいい尽くせないほど貴重な経験です。中1、中2のときは、先輩方の交流を見ているだけで、自分たちもいずれと思い、イングリッシュファンフェアとか英語劇などの英語でコミュニケーションする機会にチャンレンジしてきました。」

「でも、実際コミュニケーションしてみると、まだまだんだと思い知らされたし、ますます英語を学びたいという気持ちが溢れてきました。」

「高1になる前に、サンタバーバラに英語研修にでかけますから、そこでもう一度チャンレンジして、来年こそイエール大学の学生ときちんと英語で対話ができるようにするつもりです。」と実に彼女たちの脳内は神経物質がいっぱいにあふれていた。

そして、驚いたことに、3人とも口をそろえて、「高1になったら、6月からの3ヶ月留学に挑戦します。行けるかどうか選抜されるので、まずそこをクリアする挑戦をしなくてはなりませんが、3ヶ月留学に行った多くの先輩方が、対等にコミュニケーションしている姿を見て、あのぐらいにならなければ、英語で考えプレゼンできるとは言えないと思っています」と決意の熱い思いを聞いた。

<stranger>から<community>にシフトするには、共感=エンパシーが必要なのだが、それはこんなにもモチベーションや知的刺激を生み出すものなのだと感心した。なによりイエール大学の学生や先輩方の挑戦が憧れのロールモデルになるという効果は絶大ではないだろうか。

しかし、感動の渦は、放課後ますます大きくなるのだった。空手部の部員の練習風景を見に行ったイエール大学の学生は、目を丸くして驚いた。「ようこそ、八雲学園の空手部へ。2020年の東京オリンピック・パラリンピックで競技に選ばれた空手の型をご覧ください」と流ちょうな英語から始まった空手道場。

おそらくイエール大学の学生は、空気を切り裂く体の動きと気合の声の共演を見たことはなかったのではないか。今米国ではマインドフルネスをいっぱいに心にふくらませる瞑想が見直されているが、その「道」の1つにこのような武道もあるのだということに興味を抱いたに違いない。

空間と身体と声のエンパシーのアクティビティ。それは、アカペラのコーラスと形は違うが通じるものがあるのだと。エンパシーはいよいよ体感や言葉の意味の触れあいという具体的なものから、構造という抽象性の響き合いに移っていったのである。

八雲学園 イエール大学と感動のリベラルアーツ連携①

今年もイエール大学の女性コーラスチーム“Whim’s Rhythm(通称Whim)”が八雲学園を訪れた。もう5年目だ。Whimは、プロのチームではない。イエール大学の在学生で女性のみで構成されるチーム。
 
しかし、プロ顔負けのコーラスチームで、選抜された優れた人材が集まっている。優れているというのは、音楽の才能があるのは大前提で、それだけではなく、スポーツや学問、芸術など多様な潜在的才能の花を開かせる自分に挑戦し続けるマインドセットがなされているということを意味する。
 
つまり、豊かなリベラルアーツをイエール大学で学び優れた成績を収めているのだ。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
 
この時期、米国大学は卒業式の時期だ。今回ワールドツアーをしているWhimのメンバーも卒業したばかり。東京、神戸、香港、シドニー、オークランド、シンガポール、ケープタウン、バルセロナ、ブタペスト、ストックホルム、ダブリンと2か月間のツアー。日本の大学生でいう卒業旅行とは、そのスケールも意味も目的も全く違う。
 
国際バカロレア機構の世界の私立学校版であるラウンドスクエアの名誉会員(日本で1人)である榑松先生は、Whim歓迎式で、八雲学園の生徒に、イエール大学の学長ピーター・サロベイ教授の先日の卒業式の演説から言葉を引いて、その目的をこう説明した。
 
 
「学長は、卒業式の演説で、君たちは、入学時は互いに<ストレンジャー>だったと語っている。そして、この<ストレンジャー>は、宗教的にも文化人類学的にも心理学的にも国際政治的にも重要なキーワードで、現代のグローバルな越えがたい問題の1つにもかかわっていると。
 
人類は、いつも、この<ストレンジャー>を大切にしたり、排除したりしてきたのだ。しかし、イエール大学は、君たちが、はじめ互いに<ストレンジャー>であっても、4年間の間で、イエール大学のコミュニティの絆に結び付けられたように、<ストレンジャー>から<コミュニティの絆>に変化することを大切にしていると語る。
 
今日、Whimと八雲生は今のところ<ストレンジャー>だ。しかし、明日の音楽交流会にむけて、今日一日いっしょに準備をする中で、<ストレンジャー>から<コミュニティのつながり>になる体験を是非して欲し。それがイエール大学の理念であり、Whimのワールドツアーのミッションです」と。
 
イエール大学の学長ピーター・サロベイ教授といえば、「IQ」から「EQ」へ、能力のパラダイムを転換した理論的提唱者である。日本では、ダニエル・ゴールマンの著作でEQは有名になったが、もともとの理論的提唱者は、ピーター・サロベイ教授。
 
 
 
実はイエール大学の卒業式の演説で、EQの理論的提唱者が<ストレンジャー>から<コミュニティの絆>への変容について語ったことは、ものすごい意味があるのである。
 
というのも、いかにしてその変容が起こるのかということが肝心なのだが、それがEQに大いに関わることであり、リベラルアーツの根源的な意味に通じるのである。
 
 
(八雲学園のグローバル教育のスーパーバイザー榑松先生)
 
では、それは何か?それは、今回丸一日行われた多様なプログラム――日本文化や日本の食事、コーラス、ミュージカル、ロックンロール、空手、吹奏楽など――を一気通貫する意味でもあり、八雲生はそれを実によく体感したのである。
 
感動のリベラルアーツの高大連携というのが、今回のイエール大学との音楽交流のもう一つの意味だったのであるが、そのことについて、これからゆっくりと解き明かしていこう。
 

八雲学園 八雲式PBLの奥義

来春、八雲学園は、共学校化する。どんな学校に変わるのか?5月20日「第1回ミニ説明会と体験教室」は満席となった。説明会では、八雲学園が積み上げてきた教育の総合力と先鋭的なグローバル教育を、女子だけではなく、未来を拓く子どもたちすべてに機会をつくる時代がやってきたがゆえに、共学校化を決断したのだということについて語られた。

理科の体験教室では、未来を拓くアカデミックなサバイバルスキルについて学んだ。アカデミックなサバイバルスキルとはCT(Critical & Creative Thinking)スキルである。by 本間勇人 私立学校研究家

2020年大学入試改革に伴って改訂される学習指導要領の1つの柱が、「主体的・対話的で深い学び」と呼ばれているアクティブ・ラーニングであるが、学びのスタイル、学びのパターン、キーコンピテンシーまでは議論されていても、実際の問題を解決する見通しの立て方、仮説の立て方、検証の仕方などが、そのような学びの中でどのように生徒が学ぶのかまでは論じられない。

まして、なぜそのような見通しに気づくのか?なぜそのような仮説が立てられるのか?なぜそのような検証の仕方を思いつくのか?など実践的な思考スキルについては、教師一人ひとりの暗黙知のままなのである。

優秀な教師に限って、その思考のスキルは見える化されることはなく、出来る生徒のみ教師の背中を見て、身に着けていく。しかし、学校は修行の場所でも職人集団の場所でもない。徒弟制度によって思考のスキルが伝授されるのではなく、生徒一人ひとりすべてが思考のスキルを身に着けられるのが教育の場である。八雲学園は、すべての生徒の才能にこだわてってきた。一人ひとりの生徒の世界観にこだわってきた。

ところが、20世紀型教育は、出来る生徒はできるが、出来ない生徒はいつまでもできないという格差を平気でつくってきたのだ。八雲学園は、チューター方式を実践してきた唯一の女子校として、一人ひとりに適合する学び方を模索し、思考スキルを全員が身に着けられる教育を開発してきた。それを授業で体現したのが、八雲式PBLである。

2045年に向かって、格差社会の進行はどんどん進む。なんとか、これまで、この八雲学園のような教育の恩恵に浴していない男子にも、機会をつくりたい。その想いが共学校化の決断につながったのだと思う。

(体験教室のスペース理科実験室にはいると、顕微鏡が並んでいる。覗いてごらんと声をかけられる。「顕微鏡」という媒介項が、日常の生活を超える体験を誘う。液体窒素の実験の伏線になっている。)

そして、その八雲式PBLのプロトタイプが、今回の「体験教室」である。学習内容は「-196℃の世界へようこそ!~液体窒素の実験 2017~」であったのだが、液体窒素の性質のみを学ぶのではない。液体窒素を活用して、物質の性質を検証する思考スキルを可視化するのが目的。科学とは、未知なるものや目に見えないものの存在を実験器具などを「媒介」して検証していく学問である。

子どもたちは、科学の根本的な学びの概念を体験したのだ。ラウンドスクエアに加盟している八雲学園にとっては、欧米の中学の理科では、最初の段階で、この点を徹底的に学ぶことを十分に理解している。手持ちの知識や身の回りの物で、検証していく思考スキルがあるからこそ、正解が1つではない問題に直面したときに創造的に問題解決できるのである。

(実験が始まる待ち時間で、音叉を使って、音がどうやって伝わるんか検証。問答の中で鼓膜の原理に気づく生徒もでてくる。音叉という「媒介」が聴覚と環境の関係についての考察に広がっていく)

多くの学校は、あたえられたトリガークエスチョンをモヤ感満載で考える環境がアクティブラーニングだとかPBLだとか錯覚しているし、そのような状況でグループディスカッションすれば最適解が生まれると信じている。そこには何の根拠もない。偶然すばらしい回答が生まれるときもあるが、ほとんどの場合、思いつきに等しい回答が並ぶ。それをいろいろな考え方があり、多様性があってすばらしいと評価する。

思考のプロセスが大切だと言いながら、どんなスキルをその都度使ってきたのか、プロセスを振り返ることすらできない。それでも、教え込まれるよりは、議論ができる環境がある方がモチベーションはあがる。モチベーションがアップすれば、突破口を見つける生徒がでてくる確率が高くなる。しかし、全員ではない。それは教育ではない。本物のPBLを世に伝えなければ、フェイクとしての教育が広まってしまう。

(様々な物質の融点・沸点を目検討で、推理させ、それをグラフに置き換える。この作業も科学における大切な思考スキル)

ダメージを受けるのは、目の前の子どもたちだ。もはや女子だけではなく、男子もこの危うい教育に身をさらさせていてはいけない。自分たちのできる範囲でまずはじめ、仲間を増やしていく。まずは、隗より始めよだと、静かな内なる情熱を燃やしながら、八雲式PBLを公開することに踏み切ったのである。

たった40分という時間に、いくつも「比較」の実験を挿入し、「差異」を明らかにしながら、仮説を検証していくループの連続体が八雲式PBLである。物質の3つの状態を40分という短い時間で検証するにはどうしたらよいのか。非日常的な空間を作りだすことで、日常生活では見えなかったことが見えてくる。だから「液体窒素」なのかと参加者は気づくわけだ。

バラの花を液体窒素にいれたらどうなるか?それもサプライズではあるが、さらに造花のバラをいれると、変化が起きない。一体なぜなのか?その「差異」は何か?弧参加者の中から「水分」ではないかと。すると、ティッシュで試みる。最初は変化が起きない。次に水分を含ませたティッシュを液体窒素に入れると、なるほどという変化が起きる。こういう、こまめな「差異」と「検証」を繰り返いしていく思考実験が、八雲式PBLだ。

今度は、コイルで電池につないだ電球をとりだして、コイルを液体窒素に入れると、どうなるか?コイルが凍って電気を通さなくなるのではないかとか、リニアモーターカーと同じことなどと意見がでてくる。結果は電球の光が強くなってくる。どうやらコイルの抵抗が弱くなっているからではないかとなる。

(女子も男子も次々繰り出される仮説検証実験に魅了された)

では、今度は電池をいれてみると、どうなるか?どんどん光は弱くなる。電池とコイルとでは何が違うのか?どんどん「差異」を考えていく八雲式PBL。

「差異」を見つけることは、驚きを見つけることであり、驚きは「好奇心」「開放的精神」「なぜというクリティカルシンキング」を発動する。

二酸化炭素をドライアイスにする実験も、瞬時に行われ、実は3つの物質の状態変化をショートカットする昇華の体験もする。実際に液体窒素に触れる体験もする。それらが、創造的思考力を膨らますのは言うまでもない。

このように、目の前に非日常の実験環境をつくり、それを「媒介」として、新しい気づきを引き出していく。それは、やがて「原理」という一般化へと向かう。そこに行きつくまでの、こまめな仮説検証の過程のループ1つひとつが思考スキル。物質の変化とはどういう原理によって発生するのか?子どもたちは、八雲学園で学ぶ入口に立った。それはGrowth Mindsetができた瞬間だった。

順天「探究型サイエンス×グローバル」の風格

順天で高2生のサイエンスクラスのポスターセッションが行われるというので取材に行ってきました。順天は、スーパーグローバルハイスクール(SGH)としての研究活動や、イングリッシュクラス(Eクラス)での4技能重視の英語授業など、グローバル教育の面がよく話題になりますが、もともと和算の大家としてその名を馳せている福田理軒によって創立された順天堂塾にそのルーツがあります。理軒と言えば、黒船来航時にその大きさを測量する技術を紹介したり、西洋の筆算を日本に広めるなど、江戸時代から数学の理論を実践に応用していた人物ですが、この理軒の進取の精神に則った探究型理数教育のミームが順天には確実に受け継がれています。 by 鈴木裕之:海外帰国生教育研究家

ポスターセッションの会場に入って最初に目に飛び込んできたのが、「Item Response Theory」と書かれたタイトルのポスターです。
 
思わず近くに寄って、本当にそう書いてあるのかどうか確かめに行ってしまいました。というのも、「IRT(項目反応理論)」というのは、テストの妥当性や信頼性を考えるためのツールで、このような理論をなぜ高校生が探究するのだろうかということが最初私の頭の中でうまく結びつかなかったからです。
 
彼らがその理由を英語で解説しているのを見ていて納得するのと同時に大きな衝撃を受けました。メモもなく英文の暗記でもなく、IRTの説明を専門用語を交えながら他国の人に分かるように行っているという英語力もさることながら、本当に驚いたのはそのクリティカルな視点です。
 
日本の高校にある「赤点」という制度の解説から入り、その基準が平均点や標準偏差とは関係なく決められていることに疑問を持ち、IRTというテスト科学の存在を知ったというのです。
 
目の前で説明を聞いているのは、中央アジアや東南アジアの同じ高校生たち。おそらく赤点という仕組みも馴染みがなかったのではないかと思いますが、テストの妥当性を検証するという題材を選んで探究している日本の高校生を興味深そうに見ながら、説明を聞いていました。
 
 
説明の後、プレゼンターの二人に取材をしてみると、リサーチをしていく中でIRTの存在について教えてくれたのは数学の先生だったということです。
 
生徒の興味と「問い」を活かし、適宜メンターとしてのアドバイスを行うという、探究をベースにした対話が繰り広げられているのだと、改めて順天の先生方の質の高さを見せつけられる思いでした。海外でIBディプロマを履修する高校生は、「Extended Essay」という研究論文を書くことになっていて、テーマ選びから執筆の際の注意まで担当教科の先生がアドバイスを行いますが、これと同様の探究対話が順天では伝統的に根付いているのです。
 
片倉副校長先生は、大人数を前にしたプレゼンテーションとの違いに触れながら、ポスターセッションの醍醐味は、プレゼンターとオーディエンスの対話が起きる点にこそあると話してくださいました。
 
メンターである先生との対話のプロセスを経て探究してきた活動成果を発表するポスターセッションは、最終結果を披露する場ではなく、自分達の活動を検証していく一つのプロセスとなっています。このようなクリティカルな対話を通して、彼らは自分達の科学的思考を磨いていくことになるわけです。
 
片倉先生のお話を伺い、順天がポスターセッションをたびたび実施する理由がよく分かりました。
 
今回のポスターセッションに向けた探究活動は、1年前から準備をしていたものです。最初にグループを決めるそうですが、グループの決め方は生徒に任せていて、個人でやっても構わないということです。
 
片倉副校長は、グループで協働することは大事だが、協働という名を借りた依存であってはならないとお話されていました。ですから、ポスターセッションでは、一人で発表している生徒もいれば3人グループという発表もあり、人数はまちまちでしたが、リーダーに任せて自分は見ているだけという生徒は一人もいませんでした。皆が主体的にプレゼンテーションに参加しています。
 
このようなサイエンスクラスの主体性は、先生方が陰でプログラムを綿密に組み立てていることで実現されます。今回の英語によるポスターセッションは、3月に実施した日本語によるサイエンスイベントがベースになっており、生徒がジャンプするハードルの高さにきちんと段階が設定されているのです。
こういった学年を超えたカリキュラムの設計は、サイエンスクラスを牽引している高野幸子先生や中原晴彦先生を初めとするサイエンスクラスの先生方のチームワークが良好であるからこそ可能なので、部分的に採り入れて実行しようとしてもなかなか実現できることではないでしょう。
 
 
ポスターセッションでは、他にも印象的なテーマがいくつもありました。
例えば、「Theory of Happy Probability」などはタイトルのつけ方がとても素敵だと感じた発表です。四つ葉のクローバーがどのような条件下で、どれほどの確率で出現するか、実際にクローバーを育てながら検証してみるという試みです。

また、「第一印象が与える影響」を検証した研究や「コンピュータ言語」について調べたもの、「モーツアルトの音楽の効果」など、いずれも非常に高度な科学的思考が展開されていました。
 
会場には、フィリピンやマレーシアといった東南アジアの高校生の他に、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンといった中央アジアの高校生も多くいて、ポスターセッションの合間に、そこかしこで記念撮影などが行われるほど、相互に打ち解けていました。
 
昼食の時間でも各国の生徒同士が自然とグループを構成し、お菓子の交換をしたり自己紹介をしたりしていました。お互いのプレゼンテーションについても深く掘り下げる機会となっていたはずです。
今回のポスターセッションには順天の高1生も何人か参加していました。次年度の視察のためです。こうして対話を通した科学的思考の伝統が翌年に受け継がれていくわけです。
 
 

 

三田国際 未来を拓く「基礎ゼミナール」

三田国際学園中学校・高等学校(以降「三田国際」)の本科では、中2から週2時間「基礎ゼミナール」を実施している。「経営」「理論物理」「アプリ制作」「遺伝子工学」「細菌学」「言語記号論」というような学問的な背景が横たわっている探究テーマをPBLスタイルで研究していく。

今回、田中潤教頭の「経営」をテーマにした基礎ゼミナールの様子を拝見した。by 本間勇人 私立学校研究家

(文化祭という擬似市場で商品を販売する株式会社を創業する起業家プログラム。中3に社長・副社長がいて、中2・中3と協働して株式会社を運営していく。田中先生はコンサルタントさながら。)

1時間目、中3は、組織論やマーケティング理論をみっちり学び合い、2時間めに中2とともに会社を創っていく準備にはいる。文化祭では、出店する外部からの本物の会社がある。その会社は、いあわば競合他社ということになる。

文化祭に訪れる人々を消費者に見立てて、自分たちの会社の比較優位を計算していく。SWOT分析を田中先生が文化祭という擬似市場にアレンジしたマトリクス表を使って行っていく。マーケティング戦略をつくりあげていくのだ。

その際、中3メンバーは、組織論に基づいて、マネジメントしたりモチベーションを持続可能にしていったりする。何せ相手はプロフェッショナル。そこと競える会社を創るにはどうしたらよいのか。強みや弱み、機会や脅威を分析していく。

経営企画会議よろしく、グループディスカッションをしている間に、他の基礎ゼミも案内して頂いた。どの教室も「好奇心」「開放的精神」「批判的精神」がさく裂していた。あのファインマン教授が、科学者としての才能の3要素と語ったものであるが、まさに小さな研究者の頭脳が躍動していた。

理論物理の基礎ゼミナールでは、ベナール・セルと呼ばれる渦をつくる対流を観察していたが、田中先生のゼミの生徒がこの姿を見たら、組織論として散逸構造をどのように活用するか越境的想像を膨らますだろうなあと、この基礎ゼミの無限の可能性を感じ、見ている側もワクワク興奮した。

アプリを創ったり、プログラミングしている中2の生徒とかもいて、すぐにもエンジニアになれるのではないかとその才能の可能性に驚きもした。

生物の教室では、生命科学の研究をしている生徒たち、言語記号論では絵文字の言語学的アプローチをしたりして、現代コミュニケーション論を組み立てていた。

ちらっと見学しただけでも刺激的だったが、一年間1つのテーマを追究していく生徒たちが知的にも感性的にも大きく成長するのは火を見るよりも明らかだった。目の前に希望のスペースがパッと広がった。

後ろ髪をひかれつつも、田中ゼミに戻ってみると、白熱議論が起きていた。

「機会」と「脅威」は、実は分けにくい。表裏一体で、機会は常に脅威になるし、脅威は機会をつくるなど、マーケティングのダイナミズムについて、直観的なのだろうが、なかなかセンスのよい議論していた。そして、私たち大人は、今まで中高生をあまりにも決められた枠の中に押し込めてきたのではないか、もっと中高生の発想の自由を、三田国際のように大切にしたほうがよいのではないかと改めて思いもした。

中間報告のプレゼンも、大人顔負けの指摘が多々あった。たとえば、消費者を抽象的に捉えずに、人脈分析をして、セグメントまでしていたし、競合他社とのブランド力の差や立地条件の差異などを分析し、そこをどのように解決すべきかあるいは意志決定すべきか課題を明らかにしていた。

グループワークの合間に、田中先生に、企業活動が、リーマンショックに代表される欲望の資本主義の常であるリスキーなものを生み側面もあることについて、今回議論するのですかと尋ねてみると、もちろん会社を創業する時の理念を決めますが、そこで、社会と自分たちの幸福についての均衡をどうするか当然議論が生まれますと話してくれた。

この基礎ゼミナールで、生徒は会社を創業し、運営し、利益をきちんとあげ、決算報告や社会貢献まで考案し体験していく。田中先生によると、実際に社長や会計士にもきてもらい、アドバイスをしてもらうチャンスも作っていくという。

起業家プログラムというと、外部のプログラムに丸投げのところが多いが、田中先生は、すでにある学校の環境や、自分たちのネットワークを、市場経済の環境に見立てて、コンパクトにブリコラージュ的手法で作っていく方が学びの効果があると語る。

砂漠に放りなげられた時、身の回りにあるものを、サバイバルのための道具に仕立てる柔軟な野生の思考こそが、たとえ第4次産業革命になったとしても、いややはり予測不能な社会という点では砂漠と同じで、そこでサバイブするには、柔軟で創造的なブリコラージュ的思考が役に立つことは間違いない。田中教頭の英語圏の発想にはないフランス―ドイツ的な学問発想が、三田国際学園のインターナショナルな教育の奥行きを深くしているのだろう。

工学院 さらなる挑戦

工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)は、21世紀型教育を完成するべくさらなる挑戦に取り組んでいる。それは、2020年大学入試改革で予想される大学入試問題の研究を通して、そこから越境する知の領域に拡大する授業のGrowth Mindsetに取り組むという教育活動。

21世紀型教育というと、巷では、多様な経験を積み上げ、創造的な活動をすることが第一の目的で、大学合格実績は二の次であるという間違ったイメージがある。それは全く違う。そのような考え方は学校や教師の立場の話であって、先鋭的な21世紀型教育はあくまで生徒の未来の生き方の可能性をいまここで共に考え、関門を乗り越えていくというところにある。その生きていく道に大学進学があれば、当然そこを突破する。

ただし、そのとき、21世紀型教育は21世紀型教育、大学進学指導は大学進学指導と二項対立にはもっていかない。両方を融合するというのではなく、両者は1つのシステムに収まるのである。by 本間勇人 私立学校研究家

2020年大学入試改革で、今メディアで話題になっているのは、大学センター入試に替る新テスト「大学入学共通テスト(仮称)」(これまで「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」と呼ばれてきたテスト)。特に英語4技能教育と記述式問題。しかし、工学院では、この点に関してはすでにカバーしているから、やはり最終関門である各大学個別入試を素材にして研究に臨んでいる。

とはいえ、2020年になっていないのであるから、各大学個別入試はまだない。しかし、従来の知識論理型思考をベースにした問題から論理創造型問題になるのはある程度想定済みであるから、現状すでに実験的に変わり始めている国立大学の問題をヒントにして研究していこうという試みである。

たとえば、今年の東大の数学の問題を、その場で、数学科の主任が解きながら、生徒にとって何がハードルか分析していく。そして、プロジェクトチームのメンバーが、教科を超えて質問していく。この数学の問題のどこに新たな地平が開かれるヒントがあるのかと。

すると、東大受験の生徒は体験してきただろうが、そうでない生徒はあまり体験しないで、大学に進んでいくということが判明していく。東大を受けるからそのような思考方法が必要で、そうでない生徒は不要というのが、20世紀型教育の効率重視の授業デザインだっただろう。

ところが、数学は公式やパターンを当てはめながら解けばよいのではなく、ある程度与えられた条件を整理しながら、なぜこの条件なのか予想する目検討の構えが必要であるということは、実は数学に限らず必要なことだという議論がでてくる。奥津高校教務主任は、それはバックキャスティングという発想で、数学をはじめとする教科だけではなく、イベントの企画を創るときにも必要な力だと語る。

その点に関しては、教科の違うメンバーで構成されたグループワークで議論しながら抽出していく。東大の数学の問題にフォーカスしながら、その背景にある思考スキルや発想という思考の領域に越境していく。

数学の教師としては、そんなのは当たり前であると通過してしまうようなところで、他教科の教師が、今の代入はなぜ生徒はしようと思うのか?パターンを当てはめるだけではないという判断はなぜできるのか?結局数学の思考スキルは1つの種類のバリエーションということなのか?国語でもそのスキルは実は重要だが、もう少し種類はあるかななど、数学科の教師の暗黙知を引き出していく議論が白熱する。

そして、東大の問題が解けるようになるにはというお題ではなく、素材として扱った東大の問題から見出した突破する思考スキルやコンピテンシー、発想法を身に着けるには、中1・中2のときに各教科でどんな授業をデザインしていくのか、中3・高1ではどうするのか、高2・高3ではどうするのかと6年間通じてのカリキュラムコンセプトのデザインをしていく。

このプロジェクト名は「qチーム(クエストチーム)」。中学の教科主任、高校の教科主任、各教科のリーダーで構成されている。各教科に浸透させていくと同時に、高校では、ダイレクトにこのような入試問題をトリガーとして展開させていく授業の場面も増えていく。

このqチームの探究活動で、素材としての大学入試問題を選択する太田中学教務主任、奥津高校教務主任、田中英語科主任は、「難度」で選択しているのではなく、「思考コード」に照らし合わせて「論理創造型思考を要する問題」、「ルビンの壺型問い」が埋め込まれている問題を探し出す。素材としての大学入試問題の選別眼は、実は問いを創るときの視点と重なる極めて重要な研究でもある。

 

静岡聖光学院 新草創期の息吹

風かおる東の道のたたなわる小高き丘になつかしく学び舎は立つ。静岡聖光学院は、南に太平洋を望み、北に富士山を仰ぐ、澄み切った空気に包まれる丘の上にある学校。雨が降り、霧が立ち込めれば、天空の城ラピュタさながらだとも言われている。
 
来年2018年、静岡聖光学院は、中学校設置認可されてから50年が過ぎようとしている。学内では、周年事業の一環として、ハードパワーではなく、教育のソフトパワーのさらなる進化/深化を追究することに決めた。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
(左から、星野明宏副校長、岡村壽夫校長、田代正樹副教頭)
 
それは、開設当初ひたすら学問の自由を追究したアカデミアの殿堂を引き継ぐことも意味する。開設当時、最先端の教育ソフトを実践し、生徒の未来をともに創ってきた草創期の息吹を、50年目、再びもっともっとふくらますというのだ。
 
開設当初の教育ソフトとは、「学問」そのものであった。当時の初等中等教育の学習指導要領は「現代化カリキュラム」と呼ばれ、スプートニク・ショックという衝撃が生み出した宇宙をも視野に入れた科学の最前線を生徒と共有しようという時代だった。
 
 
(身近な問題から、合意形成のルールを抽出するPBL型授業)
 
現代数学や最新の科学の内容が盛り込まれ、時間数も、脱ゆとりの学習指導要領と比べても16%も多かった。それゆえ、その濃密過密の反動として、ゆとり教育への路線を開いたのも確かだったが、初代のピエール・ロバート校長は、学習指導要領の量を問題にするのではなく、その背景にある時代の精神を引き受けた。
 
それは、目の前の生徒にとって未来を拓くカギは、学問や科学であり、「聖光 聖光よ望み湧き わが命拠る アカデミア」と聖光讃歌にあるように、未来を創り社会に貢献するには、大学で研究ができるアカデミアという学問の道を説くことなのだと。当時の大学進学率が20%いかなかったことを鑑みれば、いかに斬新な教育だったか了解できる。
 
 
(自然科学の知識や用語を、英語で調べ直す作業も)
 
岡村壽夫校長は、母校静岡聖光学院の2期生であるが、開設当初から、自分の好きなことにチャンレンジする気風があったと語る。チャンレンジには失敗がつきものであるが、大いに試行錯誤が奨励されたという。それは、教師も生徒も同様で、したがって、教師は専門教科以外に自分の好きな領域についても生徒といっしょに探究してきた伝統があると。
 
そして、50年。同校にとって、歴史を積み上げてきた記念碑的な数字であるが、同時に時代は、第4次産業革命の衝撃、人工知能のシンギュラリティショックという異次元の局面にぶつかっている。
 
 
(英語のスピーチをペアワークで)
 
アカデミアへの強い意志は、新たな科学、技術、エンジニアリング、数学、哲学などへ再び挑戦する時を迎えたのである。
 
星野明宏副校長は、「この大きな時代のウネリに立ち臨むには、小手先の改革改善では歯が立たない。あたかも新しい静岡聖光学院をもう一校創り出す新草創期の気概で行動しなければなりません。幸い学問への気風の伝統があります。それを引き継ぎながら、新たな学問環境に備える最先端の教育ソフトパワーを展開する50周年にするべく動き始めたのです」と気概に満ちている。
 
そして、そのアイデアは、「アカデミア部」という新たなプロジェクト部署を立ち上げてすでに実践が始まっている。
 
その中核メンバーである田代正樹副教頭によると、アカデミアの活動として「個人研究」「職業体験プログラム」「ゼミナール活動」など多様な探究活動が進化/深化しているということだ。特に、50年という歳月は、OBの中に東大や京大の教授も輩出し、後輩である在校生と学問研究プログラムの協働活動も進んでいるという。
 
たしかに、大学の学問も再構築される時代である。中高もその動きに対応するには、学びの環境そのものを進化させる必要がある。そして、同校のアカデミア活動を支える生徒一人ひとりの好奇心、開放的精神、探求への眼差しという内発的動機づけは、日々の授業が源泉となる。
 
 
(素数のルールについて対話している数学授業のシーン)
 
静岡聖光学院が探究授業としてのPBLやC1英語教育、ICT教育を大胆に授業でスタートした理由は、以上のような50周年記念事業を機に描いた教育ソフトパワーの大きなグランドデザインに根差していたのである。
 
 
(授業中は、静かに生徒を見守る人工芝)
 

聖学院 知のデザイン広がる <難関思考力>

聖学院のSGT Super Global Teacher)児浦良裕先生と対話した。児浦先生は、数学教師であると同時に、聖学院の21教育企画部部長。知のコンセプチャルデザイナーである。それゆえ、聖学院の生徒一人ひとりの創造的才能を引き出し、実現していくGRIT(気概)を鍛えるクリエイティブコーチングプログラムを、中高一貫という6年間に張り巡らそうとしている。

それがいかなるものなのか、その全貌のデッサンは今年の秋ぐらいに表現できる予定であるというから楽しみである。それにしても、児浦先生自身、数学的思考をアンチ専門分野主義的に拡張できるSTEAM思考の持ち主であるがゆえに、対話していく過程で、いろいろな発想が湧いてきた。今回は聖学院の知のデザインの素描の素描をご紹介したい。by 本間勇人 私立学校研究家

(2017年2月19日、本機構主催「第1回新中学入試セミナー」でも児浦先生は登壇)

聖学院の「思考力入試」は、多くのメディアや受験情報誌で取材され、注目されている。それは、この入試の問いや生徒の思考活動が、従来の知識論理型思考をジャンプして論理創造型思考まで問うているために、生徒一人ひとりの創造的才能を引き出す新しいテストであり、また、2020年大学入試改革の背景にある知のパラダイムのプロトタイプでもあるからだ。

生徒の創造的才能を引き出すエンパワーメント評価として、同校では「メタルーブリック」が開発されている。G1・G2・G3・G4という独自の思考の次元がデザインされている。おそらくG1は単純思考、G2は拡張・収束思考、G3は関係思考 G4は創造的思考というステップになっていると思われるが、思考する素材や対象などに応じて、具体的に「ローカルルーブリック」を設定している。上記はレゴプログラムの「ローカルルーブリック」の簡易版であるが、これが論述やプレゼン、読解力、数学的思考・・・などそれぞれに応じて、変容適用されていくのだろう。

すでにプロトタイプができているのだから、来春も同じように行っていくのかと思っていたが、児浦先生いわく、「プロトタイプは再構築、つまりリファインして進化していくものです。コンセプトという種が芽を出し、葉を広げ、開花し、再び実を結ぶように、成長していくものです。ですから、来春はもう1つ新しい<難関思考力入試>を行います」ということだ。

今まで行ってきた「思考力+計算力」は、自分の思考過程をモニタリングしながら自ら思考の次元をステップアップしていく「批判的思考力」が中心。生徒によって創造的才能の成長の仕方は異なる。その才能が引き出されるには、それぞれのタイプに応じたプログラムが必要。思考を1つひとつ積み上げて行く中で、あるときピョンとジャンプする成長タイプの生徒もいる。

(同セミナーで児浦先生がプロジェクターで映し出した図)

これに対し、紆余曲折、眩暈がするのではないかと思うほどグルグル回ったり、アップダウンを繰り返し思考に没頭できるモヤ感耐性のある生徒は、その霧の中からある瞬間パッと閃くというタイプの生徒もいる。そういう生徒は、レゴを活用した「思考力 ものづくり」が適している可能性がある。

児浦先生の「21教育企画部」のチームメンバーとPBL(プロジェクト型学習)型授業や行事の試行錯誤/思考錯誤を繰り返している中で、生徒の才能の成長タイプが見えてきたという。高等部部長の伊藤豊先生の最近接発達領域の研究が、ここにつながったようだ。

それでは、<難関思考力入試>は、どの才能成長タイプを想定しているのだろうか。児浦先生いわく「現状では、今までの2つの才能を統合・融合したタイプを想定して問いを生み出そうと思います。ただ、2つのタイプに適応する問いを並べるだけではなく、2つのタイプが結合したときに起こるケミストリーが全く新しいタイプを生み出すことになると思います。すでに、在校生の中にニュータイプが存在しているので、そのような生徒のリサーチもしつつ、練り上げていきますから、楽しみにしていてください」ということだった。

ワクワクする話を聞いてしまったがゆえに、刺激を受けて、私なりに聖学院の知のコンセプトがイメージになった。独断と偏見ではあるが、こんな感じである。児浦先生は、いや違います。こうですよということになるだろうが、それこそが、聖学院の対話思考である。今後のSGT児浦先生との対話を期待して頂きたい。

 

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